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グレン・ミラー楽団とともに

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この作品は、『日本語の外へ』「第1部 アメリカ──遠近法のなかへ」
に収録されたものです。

 アメリカがいちばん良くわかるのはメモリアル・デイだと、僕は子供の頃から思っている。メモリアル・デイは、要するにアメリカの戦争の歴史であり、アメリカの歴史は戦争なのだから。そしてメモリアル・デイのすぐあとに、Dデイが来る。メモリアル・デイとDデイとは、事実上はひとつに重なっている。

 一九九四年のDデイ、六月六日は、ノーマンディの海岸に連合軍が上陸した一九四四年から数えて、五十年めにあたる記念日でもあった。記念の式典が現地でおこなわれ、アメリカ国内のTVニュースは多くの時間をDデイに関連した報道に当てた。CBSの『イーヴニング・ニュース』では、アンカーのダン・ラザーはトレンチ・コートを着てノーマンディに立ち、ほとんどがDデイ関係だったその日のニュースをさばいていた。

 戦争のなかからは感動的な物語がいつも数多く生まれる。そのうちのいくつかを、僕は『イーヴニング・ニュース』で見ることとなった。西へ向かうヒトラーの戦車隊のひとつが、途中で通りかかったフランスの小さな村を、なんの理由もなしに壊滅させた。人口が三百人くらいだったその村は破壊され、住人は虐殺された。からくも生きのびた人が数人だけいて、そのうちのひとりが取材に応じて体験を語っていた。この村は、いまも破壊されたときのままの姿で、遺跡のように残っているという。

 Dデイに参加した若いアメリカ兵が、身ごもっている新婚の妻に宛てて書いた何通もの手紙、そしていまは故人であるその妻が産み、父親である兵士にはついにひと目見ることもかなわなかった娘の物語が、紹介された。母親の死後何年か経過したのち、遺品を整理していた娘は、自分にとっては何枚かのスナップ写真のなかの人でしかない父親が、ノーマンディに向かう船のなかから、そしてノーマンディから、妻に宛てて書き送った何通もの手紙を発見する。なにげなく日付順に読んでいったいまはもう中年の娘は、五十年前に母親が夫からの手紙をとおして体験した、愛する人を戦争で失うという恐怖を、追体験することとなった。その娘には娘がいる。戦死した父親にとっては孫娘だ。娘は娘をともなって父親の墓へ出向き、あなたが一度も会うことのなかった娘が私で、そして私のかたわらには私の娘がいます、と語りかけた。

 五十周年記念式典にクリントン大統領は出席した。ヴェトナム・メモリアルの前ヘコマンダー・イン・チーフとしての彼が初めて立ったときにも、さまざまな意見が報道された。今回もそうだったに違いない。僕の見た『イーヴニング・ニュース』は、じつにバランス良く中立だった、と僕は感じた。

 クリントン大統領はDデイ以後に生まれている。兵役というものをいっさい体験していない。軍隊に関する、自分の体をとおした理解が、彼には皆無だ。ヴェトナム戦争の頃の彼は徴兵適齢だった。徴兵を回避するための工作を彼がおこなったことは、まず間違いない。オックスフォード大学で学んでいた期間には、ヴェトナム戦争に対する反対運動を彼はおこなっていた。

 その彼がいま大統領であるのは、誰の画策でもなく、単に時代のめぐり合わせでしかないはずだ。しかし大統領はアメリカ全軍の最高司令官でもあるから、軍内部には彼をめぐって複雑な気持ちが重層し、一般には彼の兵役体験のなさやそれの回避工作は、彼について言われ続けるキャラクター・プロブレムの発生源とされている。

 兵役体験のなさなどまったく問題ではない、重要なのは将来に向けての大統領としての能力だという意見から、奴は逃げたから許さんという意見まで、つまりありとあらゆる意見の人たちが、ヴェトナム・メモリアルの前に立った彼を見た。そして今度は、ノーマンディの海岸をひとりで歩く彼を見た。ノーマンディへ来たとはいっても、敵陣へパラシュートで降下したわけではないし、砲撃の雨のまっただなかの海岸へ、ヒギンズ・ボートで上陸したわけでもない。予定どおり進行していく式次第のなかに身を置き、多少とも緊張した表情を保っていればそれでいい。

 大統領は緊張している、とTVニュースの語り手たちは言っていた。彼は居心地悪そうに見える、とも彼らは語った。ノーマンディで大統領がなにを思ったか知るすべもないが、アメリカの歴史観の明快な一貫性は、強大な軍事力とその行使である戦争から生まれ出たものであることについて、大統領も思いを新たにしたはずだ。

 CBS『イーヴニング・ニュース』のDデイ特集が終わり、クレディットの背景に流れる映像を僕は見た。いまは年配者となったアメリカの退役軍人たちが、記念式典のなかをパレードしていく。そのなかのひとりが、行進しながら大統領のほうに顔を向け、きわめて攻撃的で批判的な、したがって憎悪にまで達していると言っていい表情でコマンダー・イン・チーフをにらみつけ、勢いを込めてなにか盛んに言葉を発していた。

 背景の映像だから音は聞こえない。しかし、いまは老いの日々のなかにあるその退役軍人の表情は、充分すぎるほどに雄弁だった。その人に可能なかぎりの言葉を駆使し、ありったけのエネルギーを注いで、その人は大統領をこきおろし、ののしっていることを明確に伝えていた。

 その部分の映像を、編集の段階で何人もの人たちが何度も、見たに違いない。あの部分を使わなくとも、ふわさしい映像はほかにたくさんあっただろう。しかしあえてその部分を使った彼らの判断の向こう側に、一瞬の閃光のように見えたものが僕にはあった。

 アメリカが自国に関してきわめて一貫した歴史観を持った国であることは、多くの人が知っている。その歴史観は、どの時代でも世界一だった強大な軍事力に裏打ちされている。強大な軍事力の歴史とは、アメリカの場合、ヴェトナム戦争まではどの戦争にも勝ってきた、という歴史だ。

 このことは、単純明快で強い一本の直線のような歴史観を形成せずにはおかない。そしてその直線は、ヴェトナム戦争で、はっきりと大きくひとつ、折れ曲がった。力強い単純な直線は、その歴史のなかで初めて、複雑な屈折を体験することとなった。ヴェトナム戦争を、自らの歴史観の大きな変更はともなわなくともすむかたちで、なんとか乗り越えようとする思いが、アメリカのなかには底流のひとつとしていまも強く存在している。

 建国以来のアメリカを支えてきた真のアメリカらしさが、自らをへし折ったという巨大な出来事がヴェトナム戦争だと理解するなら、ヴェトナム戦争までの歴史観をそのまま維持しようとする願望は、ヴェトナム戦争と同質の単なる蛮行だ。ビル・クリントンがオックスフォードで学んでいた頃、オックスフォードから見たヴェトナム戦争は、核以外の最新兵器の殺傷力を限度いっぱいに駆使した、おそるべき一方的な虐殺だった。

 その戦争への徴兵を工作で回避し、オックスフォードでは反戦運動をした青年が、いまは大統領として五十周年記念式典のノーマンディの海岸を歩いた。五十年前に実戦でそうしたのとまったくおなじに、パラシュートで降下してみせた高齢の落下傘兵たち。式典を見物するため、Dデイ的な歴史観にまさにふさわしいボブ・ホープとグレン・ミラー楽団とともに、クイーン・エリザベス二世号でノーマンディの沖ヘニューヨークから向かった年配の乗客たち。どの人のなかにも等量に、強大な軍事力がもはや歴史とは一体になどなり得ない時代が、とっくに流れ始めている。

 しかしそのような時代にあっても、アメリカの底流は、選挙権のある人たちの数にして半数以上において、時間はDデイ直後で止まっている。第二次世界大戦の戦勝国として、世界で唯一の、世界史上の異常事態と言っていい、軍事、政治、経済そして文化など、あらゆる面で超大国だったときのアメリカのなかで、その時間は止まっている。

 Dデイのパレードに参加して行進しつつも、大統領を力いっぱいののしるひとりの退役老兵の姿に託して、これからもこれまでどおりのアメリカでいいのだとする勢力を、夕方の三十分のニュース番組は、そのしめくくりの映像のなかで象徴的に見せた。クリントンの到達しているラディカルな次元と、それの敵と言っていい従来どおりのアメリカが正面から対立する様子を、僕はその映像のなかに見た。

底本:『日本語の外へ』角川文庫 2003年


『日本語の外へ』 アメリカを知っているのか?
2018年7月30日 00:00
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