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大統領の得点

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この作品は、『日本語の外へ』「第1部 アメリカ──湾岸戦争を観察した」
に収録されたものです。

 二月二十六日、サダムが自分の軍隊にクエートからの撤退を命じた日、そして連合軍がクエートを解放した日、ブッシュ大統領が語ったことのなかに、次のような部分があった。

 The liberation of Kuwait is on course and on schedule, and we have the initiative. We intend to keep it. We must guard against euphoria. There are battles yet to come, and casualties to be borne.
(クエートの解放は作戦どおりそして予定どおりに進行していて、我がほうが主導権を握っています。主導権を敵に渡すことはあり得ません。戦いはまだ続くでしょう。受けとめなければならない死傷者も出るはずです)

 さらには次のような部分もあった。

 Our success in the Gulf will bring with it not just a new opportunity for peace and stability in a critical part of the world, but a chance to build a new world order based upon the principles of collective security and the rule of law.
(湾岸における我らが勝利は、世界ぜんたいにとって致命的な地域に平和と安定をもたらすだけではなく、集団の安全保障と法による支配という土台の上に、新たなる世界秩序を作っていく機会をも、もたらすのです)

 このときブッシュ大統領がアメリカ国内で獲得していた支持率は、八十七パーセントという高い率だった。第二次大戦がヨーロッパで終結した直後の、トルーマン大統領に対する支持率とおなじだ。ブッシュ大統領の支持率はこのあとさらに高まり、九十パーセントを越えた。

 いま僕が引用した後半の部分に、ニュー・ワールド・オーダーつまり世界の新しい秩序という言葉がある。冷戦という巨大な構図が消えたあと、世界には局地紛争が多発していく。さまざまに複雑な背景を持ったいくつもの局地紛争のうち、アメリカにとって死活的な意味を持つものに関しては、アメリカは紛争を力ずくでも抑えていく。そしてそのような意味を持たない局地紛争については、興味を示さずしたがって行動もおこさない、というのがアメリカにとっての新しい世界秩序であることを読み取った人たちが、九十パーセントを越えた大統領の支持率のなかに、どれくらい存在しただろうか。

 二月二十八日、ブッシュ大統領が湾岸戦争の停戦と勝利を宣言した日、クエートから中継されたアメリカ国内向けのTVニュースの、冒頭のひと言は、They have been given a job, and they have done it.というワン・センテンスだった。CBSのダン・ラザーはクエートにいた。「クエートの人たちから私は礼を言われたが、それはきまり悪く、居心地のけっして良くはない気持ちだった」と、彼はカメラに向かって言っていた。そして彼は次のように言葉を続けた。

 The press did not win the war, but since we had to accept the thanks, we’ll just pass it on to those who really earned it ── he men and women of U.S. armed forces, their lives and their commanders. Thank you.
(報道機関が戦いを勝ち取ったのではありません。私たちがクエートの人たちから受けとめた感謝の気持ちは、真にそれを受けるに値する人たちへ、手渡したいと思います。その人たちとは、アメリカ軍の兵士たちであり、彼らの命、そして指揮官たちであります。ありがとう、と私たちは彼らに言います)

 まだ停戦前だったと思うが、戦況について伝える記者会見でノーマン・シュワルツコフはいつもの調子で次のように語り、記者たちを笑わせていた。

「サダムは戦術家ではないですよ。戦略家でもないですね。将軍でもありません。さらに言うなら、彼は一介の兵士ですらないんです。彼は、なんでもないんです。そしてそれ以外の点においては、彼は偉大なる軍人と言っていいですね」

 ニュース番組のなかで、アメリカの女性記者が次のようなことを語るのを、僕は聞いた。「イラクがサウディに向けて射ったミサイルが、アメリカ軍のパトリオットで射ち落とされたときには、フットボールの試合でタッチダウンがおこなわれたときとおなじ歓声が上がりました」

 スポーツへのアナロジーは、この湾岸戦争をめぐるアメリカの人たちの言葉のなかに、たくさんあった。国防長官のリチャード・チェイニーは、停戦前のいつだったか、次のように言った。

 A military operation of this intensity and complexity cannot be scored every evening like a college track meet or a baseball game.
(これほどに密度の高いしかも複雑な軍事行動ですから、その成果をまるで陸上競技や野球の試合の結果のように、点数で毎日あらわすことなんて不可能なのです)

 野球の試合ではあるまいし、スコアをつけては一日ごとにかたづけていくというわけにはいかないですよ、というわけだ。

 湾岸戦争をスポーツになぞらえるとしたら、それはフットボールしかないだろう。フットボールは勝たなければなんの意味もないスポーツだ。勝つためにするスポーツ、それがフットボールだ。湾岸戦争も、勝つためにする戦争だった。徹底した職能制にもとづく精鋭たちが、おなじく徹底した分業のなかで、攻守のための動きを分担する。動きは同時多発的であり、その動きのすべてを律しているのは、作戦とフォーメーションだ。ランニング・バックが敵陣へ深く入っていくタイミングに完璧に同調させて、クオーターバックは正確無比なロング・パスをきめる。敵陣に入りきっているランニング・バックはそれをレシーヴし、強力に走り抜いてタッチダウンする。砂漠のイラク軍だけではなく、かつての太平洋の日本軍も、アメリカ軍のおなじような作戦とフォーメーションに取り込まれ、完敗を重ねていったではないか。

 砂漠での戦争に向けてアメリカ軍の動員が巨大に高まっていきつつあった頃、『ニューズウイーク』のアメリカ版を読んでいたら、ブッシュ大統領を田舎の高校のフットボール・コーチに、そしてサダムを昔のハリウッドの中東ものの時代劇に出てくる邪悪な異教の暴君に、それぞれなぞらえている一ページの文章があった。湾岸戦争に関してアメリカが使っている言葉からアナロジーの対象をさぐり出してイメージすると、ブッシュはこうなりサダムはこのようである、という趣旨の文章だったと僕は記憶している。

 アメリカ兵の母国への帰還が始まった頃、まもなく帰っていくセヴンス・アーミーの兵士たちを前にしてシュワルツコフがおこなったスピーチのなかに、次のような一節があった。

 It’s hard for me to put into words how proud I am of you. How proud I’ve been to be the commander of their force. I’m proud of you. Your country is proud of you. The world is proud of you. God bless you, and God speed your trip back home. God bless America.
(私がきみたちをどれほど誇りに思っているか、言葉で言いあらわすのは難しい。指揮官である私がいかにきみたちを誇りに思うか。きみたちは私の誇りだ。きみたちは国の誇りだ。世界じゅうがきみたちを誇りに思っている。帰還の旅に神の加護がありますように。神がアメリカを祝福されんことを)

 帰って来た兵士たちを迎える基地の式典に参加して、ブッシュ大統領もスピーチをおこなった。感情の高まりと、高まったところでの一致を目的としたこのような式典を、大統領は早くも政治集会として理解し、巧みに利用しようとしていたのではなかったか。政治集会とは、次の大統領選挙のための、選挙運動の一端ということだ。フォート・サムターという基地での彼のスピーチのなかから、一節を僕はメモしておいた。

 You not only helped liberate Kuwait, you helped this country liberate itself from old ghosts and doubts. No one in the whole world doubts us any more.
(あなたがたはクエートを解放しただけではない。いまだに立ちあらわれる古い亡霊や懐疑の念から、あなたがたは我々を解き放ってくれた。我々の戦いの正当性を疑う者は、もはや世界にひとりもいない)

 大統領は拍手大喝采を受けていた。この一節の後段は、ヴェトナムについてだ。古い亡霊と懐疑の念という言葉、そしてそれに続く、私たちに疑念をはさむ人は世界のどこにももういないのです、というような言葉は、いわゆるヴェトナム・シンドロームを受けたものだ。湾岸戦争の勝利によって、ヴェトナムの後遺症も一掃に近いかたちで払拭されるという期待感を、兵士の帰還の場に重ねて、大統領は人々に提供した。それに対する人々からの拍手は、少なくともそのときは、大統領にとっての得点だった。

底本:『日本語の外へ』角川文庫 2003年


2018年7月23日 00:00