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いま日本語は“既知の壁”に囲まれている

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〈書評〉坪内雄藏著國語讀本 尋常小學校用

 国語が日本国家によって教科として制定されたのは明治三十三年、一九〇〇年のことだった。この頃の教科書は文部省による検定制という自由競争下にあり、一定の様式だけは守った凡庸な内容のものばかりのなかに登場したのが、全八巻の『國語讀本 尋常小學校用』という教科書だった。シェイクスピアの翻訳で知られる坪内逍遙が本名の坪内雄藏で執筆・作成した。明治三十六年に教科書は国定制度に変わり、『國語讀本 尋常小學校用』は三年の短命に終わった。

 日本近代の教育史に残っていまも光り輝く教科書、と言われているこの教科書八巻が復刻され、一冊の本となった。国語とは自分の国のことだ。日本人にとっては日本そのものだ。復刻とはいえ僕にとっては初めて見るものだ。近代のただなかを前進しようとした日本がこの一冊にあるなどと思いながら、百十二年を遡って国語の原点に触れてみた。

 上野駅と新橋駅とに日本で初めての公衆電話が設置された年に、すでに登場していた普通の人たちを近代の前方につらなる未知の世界へと連れ出すため、国語の教科書を作った努力の大きさとその知恵の深さにはじき返されるかのように、僕は二〇一二年の現在へ戻って呆然となる。

 国語とは、近代にあっては、社会や世界のさまざまな事柄について、言葉で書かれたものを読んで理解する知力だった。未知の世界へと入っていくためには、その知力はぜひとも必要なものだった。その国語つまり日本語がいま到達しているのは、未知の対極にある既知ではないか。

 自分たちの周囲には、堅牢な既知の壁が、何重にも張りめぐらされている。そのような壁は、その内部に身を置く自分たちを、守ってくれるはずだった。おそらく守ってはくれたのだろう。それゆえに現在がある。と同時に、外部に対してその壁は、非情に立ち塞がる排除や拒絶の壁だった。内部における既知の世界があまりにも精緻に出来上がると、外部にある未知への経路は自動的に閉じられてしまうようだ。

『國語讀本 尋常小學校用』の第五巻、東京について記述した部分のなかに、次のような文章がある。

「かねの聲につぎて、汽てきの聲聞こえ、東の方、やうやう白む。町々、なほ、ひっそりとして、うすぐらし。郵便配り、牛乳配り、あちこちに行きかふ。新聞くばりのすゞの音す。見るうちに、朝日のぼりて、町々明るくなる」

 素晴らしい町の一日の始まりだが、百十二年も前の町だ、いまからここへ戻れるわけがない。国語の教科書は国定とすべし、と百年以上前に定めた日本国家は、かつての植民地に日本語を強制して、失敗した。復刻されて一冊の本となった『國語讀本』のあとがきに、次のような指摘があるのを僕は見る。

「教科書は、学ぶ者にとって、新しい世界への扉である。扉を開くと、そこには、未知の、新しい世界が広がっている」

 何冊もの本のなかに、未知の世界はさまざまに書かれている。したがってそのような本のどれもが、未知の世界への扉になり得ることは、厳然たる事実のままだろう。

 自分たちの言葉で理解したり言いあらわしたりする世界が、既知の極みの繰り返しであるとき、そこにどのような教科書が成立するのか。

 これから未知の世界を切り開くには、自分たちそれぞれが切実きわまりない言葉を持たざるを得ない。未知の世界を切り開くさまざまな営みをとおして、自分たちが縦横につながるとき、そのような世界のなかでのみ、日本語は新たな国語となる。

 優れた国語の教科書が、それじたいで文化だった百年前を漬物石のようにかかえながら、自分たちで新たに切り開いては作っていく文化のなかからのみ、自分たちの言葉が生まれていく時代を、誰もがすでに生きている。

出典:『週刊朝日』2012年3月9日号


2018年4月9日 00:00