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のこぎりバンパーを追憶する

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 一九六六年から一九七十年代いっぱいくらいの期間、アメリカの自動車の前部バンパーは、こんな造形だった。マーキュリー・サイクローン。オールズモビールのトロナードやデルモント88。ビューイック・リヴィエラ・グラン・スポート。それにエレクトラやワイルドキャット。ポンティアック・グランプリ。リンカン・コンチネンタル。クライスラー300。シヴォレー・インパラ・カスタム・クーペ。ここにあるのは当時のこういった車の写真だ。どれがどれだか、いまとなっては誰もわからない。

 一九六六年のアメリカというと、外にはヴェトナム戦争をかかえていたし、国内では公民権の問題と黒人暴動によって、人々は自分たちの国がいまにもいくつにも分裂しそうな恐怖を、強烈に感じていた。黒人運動は激しさを増し、ヴェトナム反戦の高まりもすさまじいものがあった。一九六八年にジョンソン大統領はヴェトナムの北爆を一方的に停止宣言した。ロバート・ケネディとキング牧師が暗殺され、大統領はニクソンに代わり、ヴェトナム反戦はさらに高まって、一九六十年代は終わった。七十年代に入ると、こういった複雑な大変さは、さらに難しさを深めた。  建国して以来おそらく最大の危機的な状況と言われたほどの困難さのさなかにあったとき、アメリカはこんな自動車を作っていた。笑ってもいい、呆れるのもいいだろう。笑いや呆れは、驚きへとまとまっていく。大衆商品としての自動車を、あくまでもアメリカふうにではあったけれど、この時代のアメリカはすでに極めきっていた。やることはもはやなにひとつなく、それでもニュー・モデルは作らなくてはいけないから、思案し抜いた結果として、バンパーをのこぎりの刃のように波立たせることを思いつき、それを実行したのだ。

 アメリカの市場で日本製の自動車が高い評価を獲得したのは、このすぐあとのことだった。車体を思いきって小さくする、軽くする、故障を少なくする、燃費を飛躍的に向上させる、というようなことをアメリカは思いつきもしなかった。節約によって自己の生存を確保していくという実践的な哲学が、当時の日本にはまだ生きていた。アメリカの自動車造形における、アメリカらしさの最後のものであったのこぎりバンパーを過去のものにしたのは、日本製の倹約と勤勉のコンパクト・カーだった。

出典:『Free&Easy』2000年11月号


『Free&Easy』 アメリカの色とかたち
2017年12月13日 00:00
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