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そこはスープの国だった

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 アメリカにおける日常的な料理そして食事のなかで、スープは錬金術にも似た位置づけにあったのではないか。あったと過去形で書くのは、現在のアメリカではスープは箱や袋そして罐などに入り、食料品として最下層に定位置を見つけて、そこを動く気配のないものとなって久しいからだ。

 スープ罐となる肉の煮出し汁のストックからして、大きな鍋でぐつぐつと煮て肉のなかからエッセンスを抽出するのだから、その作業も様子も、そして出来上がったストックも、どこか確実に錬金術と重なり合う。

 そのストックに各種の野菜を刻み入れ、今度もまた大きなスープ鍋で煮込む。錬金術に似たプロセスは、ここでさらにもう一度、繰り返されることになる。動物と植物の生命の根源は、こうしてスープという料理へと、そのかたちを変えていく。

 スープを飲むないしは食べる行為は、生きとし生けるものの命のすべてを、我が体の内部に注ぎ込み、自分のエネルギーへと転換させる試みだ。スープによって元気がつく、力が出る、発育する、限度いっぱいまでの活動が可能になる、といったスープ信仰とも言うべき心理状態が、昔のアメリカでは人々のあいだに広く強固にいきわたっていた。

 このスープ信仰は若さと密接に関係していた、と僕は思う。第二次大戦という歴史の必然に向かいつつあった頃のアメリカは、人にたとえると二十代の青年だった。若い体に沸き上がるエネルギーを、第二次大戦に向けて可能なかぎり増幅させ、鍛え上げ、新たに開発し続けていた青年アメリカは、スープの力を信じていた。

 アメリカのスープ信仰がその頂点にあった第二次大戦中から、信仰が民間のなかでまだ根強かった一九六十年代いっぱいくらいまでの期間、雑誌で広告されたさまざまなスープを、僕はマクロ・レンズをつけた一眼レフで接写してみた。

 確かにこれはアメリカだ。ファインダーごしに見ながら焦点を合わせていると、そのスープのなかへ、懐かしさのなかへ、僕の視線は吸い込まれ、そして飛び込んでいくのだった。

出典:『Free&Easy』2000年8月号


2017年12月8日 00:00