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トリビアのペーパーバックのおかげで、へえ、そうだったのか、と言うのがぼくの口ぐせになろうとしている

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 買うには買ったけれども、読まないままほったらかしてあるペーパーバックが、ワーク・ルームのとなりの部屋の大きな書棚に、三重に四重に、つまっている。

 ごく最近、『ハリウッド・トリビア』というタイトルのペーパーバックを買ったのをきっかけに、読まずにほうってある数多くのペーパーバックのなかから、トリビア関係のものをさがしてきて、目の前にならべてみた。

 トリビアというやつを、これまでぼくは、ほんのすこしだけ、馬鹿にしていた。つまらないクイズ番組の問題のような、枝葉末節、重箱の隅だ、とあらかじめきめつけ、トリビア関係のペーパーバックは開いてみることもせずにいた。

 トリビアとは、「なんら本質にせまることない、どうでもいいようなこまごましたことがら」という意味だ。そして、トリビア関係のペーパーバックには、そういったトリビア情報が、トリビアのネタ本として、ぎっしりとつまっている。

『ハリウッド・トリビア』という二ドル七十五セントのペーパーバックを買い、一日の終わりに一杯だけ飲むマクスウエル・ハウスの熱いブラック・コーヒーのつれづれに、適当にページを開き、目に入ってきた項目をあれこれと読んでみた。そうしたら、トリビアは思いのほか面白い、ということを、はじめて知った。ほかのトリビアの本を読んでみても、けっこう面白い。「へーえ」とか「はーあ」とか、「ふーむ、そうだったのか」などと思いつつひろい読みしていくと、いつのまにかコーヒー・アワーが過ぎ去ってしまう。したがって、というほどのこともないけれど、トリビアについて書こう。

 デイヴィッド・ストラウスとフレッド・ワースのふたりがつくった『ハリウッド・トリビア』は、ひろい読みして面白い本だし、便利な本でもあるようだ。

 どんなふうに便利かというと、たとえば、映画についてちょこっと私的な文章を書く人がこのところ増えているが、ハリウッド映画を中心にセミ・プロふうにせまりたい人にとっては、手ばなせない本になるだろう。トリビア・データがそんなときどう有効に使えるかというと、枕詞的にまず使えると思う。

 スティーヴ・マックィーンについて書くとき、

「一九六三年の作品『大脱走』でマックィーンがオートバイで有刺鉄線の柵を飛びこえたシーンは、マックィーン自身のライディングによるものではなく、ジェフ・スミスというイギリスのオートバイ・ライダーによるものである」

 というようなトリビア・データをさりげなく、誰もが知っているのに知らないのはあなただけだ、という感じで用いると、ハリウッド映画のことがらに詳しいセミ・プロふうの書き手の雰囲気が出てしまう。もちろん、マックィーンについて書こうとしていることとトリビア・データがうまく結びついていないと、効果はあがらないけれど。

 ついでにマックィーンについてのトリビア・データをさらに引用すると、

「一九六八年の『ブリット』でマックィーンにかわってマスタングを運転したのはバッド・エキンズとケイリー・ロフティンという二名のスタント・ドライヴァーである。しかし、マックィーンの運転技術は相当なもので、一九七〇年のセブリングではプロのレーシング・ドライヴァー、ピーター・レブソンと組んで走り、一位のマリオ・アンドレッティに次いで二位に入ったのである」

 ということだそうだ。

 トリビアのもっとも面白いところは、ひろい読みしていくとそれぞれおたがいに無関係であるはずのトリビア・インフォメーションのひとつひとつがどれもみな適当に面白いこと、そして、「へえ、知らなかった」とか「はあ、そうだったのか」と軽くおどろくときのそのおどろきが、インフォメーションのそれぞれはおたがいに無関係なのに、おどろきだけはひとつにつながっていくこと、以上の二点だ。

「マリリン・モンローの本名はノーマ・ジーン・モーテンスンというが、ノーマ・ジーンの部分は、彼女が生まれたころにポピュラーだったふたりの女優、ノーマ・タルメッジとジーン・ハーロウにあやかって、彼女の母親がつけたものだ」

 というインフォメーションに、「へえ」と思い、

「サル・ミネオは、一九五七年の四月、『スタート・ムーヴィン』というレコードでヒット40入りをした」

 というインフォメーションに、「そうだったのか」と思う。

「グレタ・ガルボがはじめてアメリカでつくった一九二六年の『奔流』という映画で彼女が馬に乗るシーンをスタント・ダブルでこなしたのは、ジョエル・マクリーである」

「スチュアート・グレンジャーの本名はジェームズ・スチュアートであったから、スチュアートを前に持ってきて、スチュアート・グレンジャーという芸名を考えたのである」

「ロバート・レッドフォードが主演して当たりをとった『スティング』『追憶』『グレート・ギャッツビー』は、どれもみな、まずはじめにウォーレン・ビティのところに持ちこまれ、彼がことわったものである」

 というような情報は、ある期間にわたってハリウッド映画をある程度知っていると、面白い。

「ジェームズ・ディーンおよびエルヴィス・プレスリーと親しかったことで知られていたニック・アダムズは、ディーンの事故死で彼の出演シーンの台詞のダビングができなくなったとき、ディーンの台詞を彼にかわって喋ったのである。一九五六年の『ジャイアント』である」

 という項目には、ぼくだって、「へーえ」と思った。

『アワ・ミス・ブルックス』というラジオ・ドラマ番組があって、このなかに出てくる女の先生、ミス・ブルックスは、ぼくにとっては大人の女性の色気というものの原点のひとつなのだが、このドラマのなかでミスタ・ボイントンの声をやっていたのがジェフ・チャンドラーだったと知って、おどろいてしまった。

 以上のようなわけで、『ハリウッド・トリビア』は、なかなかいける。ほかのトリビア本に、あたってみよう。トリビアものペーパーバックのこれが最初ではないかと思うが、一九六六年に出た『トリビア』と『モア・トリビアル・トリビア』の上下二冊本がある。

 この二冊は、特にテーマを定めず、アメリカの日常生活ぜんたいのなかから、トリビアの材料を集めている。アメリカの生活を、生まれたときから大人になるまで経験してないとこういうトリビアは楽しめないだろうが、アメリカの人たちにとっては、なんの利害もからまない会話のネタに、とてもいいのだろう。この二冊は刊行当時ベストセラーになったと記憶している。

『ロックンロール・トリビア』というペーパーバックがあった。ブック・ショップで見たけれど、馬鹿ばかしい気がしたので買わなかったから、「あった」と過去形で言うわけだ。

『スーパー・トリビア百科事典』という、二ドル九十五セントの分厚いペーパーバックは、すごい。トリビアのネタが、たいへんな勢いでつまっている。これ一冊あれば、ヒマつぶしなんて、いくらでもできてしまう。

『あの人はいまどうしてるの?』というタイトルのやはりトリビアにつながるペーパーバックが第三巻まで出ている。買ったはずなのだが、見つからない。あるときをさかいにして名前を見なくなった、主として映画俳優や名士、知名人たちのその後と現在とが、たくさん出ている。おなじような内容とつくりの、『あの人はきっとあの人よ』というペーパーバックもある。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』太田出版 一九九五年

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『5Bの鉛筆で書いた』 アメリカ ペーパーバック 映画 片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』
2017年10月6日 00:00
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