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『彼のオートバイ、彼女の島』

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 これが文庫本になったのは一九八〇年のことだ。それ以前に単行本で出ていた時期が、三年はあったのではないか。そしてそれは『野性時代』に連載したものだ。とすると、書いたのは一九七五、六年だったということになる。単行本で出たとき、表紙の片隅に僕は次のような文句を入れた。「夏は単なる季節ではない。それは心の状態だ」。表紙に入れたからには、このひと言こそ主題だったと言っていい。では、心の状態とまで言い得る夏とは、いったいどのようなものですかという質問に、『彼のオートバイ、彼女の島』は答えられるのだろうか。分量は長編と言っていいだけあるこの作品は、しかし、その質問に答えることは出来ない。

 夏とは、ここでは、フェリーで小さな島へ渡っていくときの瀬戸内に注ぐ陽ざしであり、信州の峠道に照る陽であり、晴海の埠頭を包む暑く強い光だ。その夏のなかにあるものは、なになのか。手短に言うなら、文庫の表紙にかけてあるジャケットの文句を、僕は引用するほかない。

「ヴァーティカル・ツイン・エンジンの振動と排気音だけが恋人だと思っていた彼。だが、夏のあの日、浅間の輝ける入道雲を遠くに見る風の吹く丘で、彼女に会ってしまった。ラヴ・ストーリーが始まった。彼のオートバイは走る。高速道路の地獄めぐりをあとに、陽ざしの強い山陽路を西へ。そして夕なぎの瀬戸の小島の蟬しぐれの浜辺へ」

 この文章も、どうやら僕のもののようだ。本来ならこれは編集者が書くべきものだが、ついでに著者本人が書くのが習わしのようになっていたにちがいない。『彼のオートバイ、彼女の島』の内容は、この短文をけっして越えるものではない。ストーリーはろくに作られていない。あるいは、作る用意がまだないのに書いている。そしてそのストーリーが進行していく夏という季節は、心の状態のもっとも初期のかたち、つまりタッチや感触、気分、気持ちなどの次元にとどまっている。『野性時代』に連載した、とさきほど書いたが、それは僕の思いちがいだった。『野性時代』には、ぜんたいを一度に掲載した。若い男性の主人公と、おなじく若い女性の主人公が、ストーリーを進めていくにあたって、中心的な役割を果たしている。このふたりは、初めは性が逆だった。男になっているほうが、初めは女だった。そして女にしてあるほうが、じつは男だった。女性を主役にしたいからそのように書いたのだが、ほとんど出来上がったところで、僕はふたりの性を入れ換えた。主役が女性であることになんの意味もないようなストーリーになったので、それならごく普通に主役を男に、そしてそれを受ける役を女性に、僕は換えなおした。

 夏もオートバイも、そのときどきの必要や必然に応じて、好きなように書けばいい。そのことに問題はなにもない。しかし、小説の主人公としての男と女には、問題がかなりある。男性はごく普通に男、そして女性もごくあたりまえに女であるふたりにとって、物語の可能性は果たしてどのくらいまであるだろうか。普通の男女は、物語の主人公として、あまりにも普通ではないだろうか。あまりにも普通とは、一例として、おそろしく退屈、というような意味にもなる。『彼のオートバイ、彼女の島』のなかでは、そのとおりのことが起きている。

 物語の最後の部分で、主人公たちを中心にして残った人間関係を構成する人々が、全員で記念写真を撮る。ここからまたあらたに始まるのだ、とそのなかのひとりが言う。あらたにはもうなにも始まらないかもしれない、といまの僕は思う。じつはそこで終わっているのかもしれない。時間は継続し、関係も続いていくかもしれないが、そのなかに生まれていくのは、あのときはああだった、このときはこうだった、というエピソードだけではないのか。記念写真を言葉で言いあらわすなら、このときはこうだった、ということでしかないのだから。

 ごく普通に男女であるふたりを、ごく普通に機能させつつ物語を進めていくと、もしその物語がハッピー・エンディングとなるなら、ふたりはほぼかならず「四畳半」を獲得する。彼らの物語は「四畳半」的になる。ふたりが共有してともに安息出来る個人的な時空間、という従来どおりの意味で、僕は「四畳半」という言葉をここで使っている。そのような場が、ほとんどあらゆるストレスの解放される、そして自分たちの資産としての労働力が絶え間なく再生産される場所であった時代は、すでに遠いのではないか。そのような時空間は、いまでは強いストレスの発生現場ではないのか。普通の男女が、物語の主人公としては退屈でしかないという僕の感じかたは、このような認識と緊密につながっている。『彼のオートバイ、彼女の島』には、その退屈さがある。それを自らに確認するために、あえてまずそのような世界を僕は描いてみた、という言いかたは明らかに後知恵だろう。

(初出・底本:片岡義男エッセイ・コレクション『彼の後輪が滑った』太田出版 一九九六年)

今日の1冊|彼のオートバイ、彼女の島

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2017年5月21日 00:00
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