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他人の虹の端に向かって

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 虹が空に出る。消えてしまわないうちにその虹の一端までいく。虹が地面のすぐ近くから出ていたなら、その地面を掘る。すると、そこに埋められている秘宝が、自分のものになる。虹の端、ジ・エンド・オブ・ザ・レインボーには、宝が埋まっているのだそうだ。童話に近いような民間伝承だ。

 虹がまだ空にかかっているあいだに、その虹の端までいくのは、至難事だ。とてもながく空にかかっていた虹があったとして、その虹を通常の虹のかたち、つまり中空にかかる七色の半円としてではなく、弧を描いてこちらからむこうにのびている一本のアーチとして、ながめることがいったい可能なのかどうか。

 北カリフォルニアのハイウエイで、通り雨のあと、虹がくっきりと空に出た。路肩のむこうに野っ原が広がっていて、そのさらにさきは、林だった。

 その虹は、林のすこし手前から、空に立っているように思えた。自動車をハイウエイからはずし、林のほうへ走っていった。

 すると、虹は、いつのまにか向きをかえていた。ハイウエイのすぐちかくから、空にむかって立っているのだ。

 車をとび降り、その虹のふもとめがけて走る。すうっと、虹が遠のいていく。虹がハイウエイを渡ってしまう。

 追いかけてハイウエイを走り渡ろうとして、疾走してくるポンティアック・グランプリにぼくははねられそうになったことがある。

 ホノルルのマノア峡谷では、二重の虹を何度も見たし、夜の虹だって、あった。道路わきの、大きな熱帯樹の下に、ほんとに小さく、自動車のタイアほどの大きさで、ぼうっと虹が出ているのを見たこともある。

 車をとめ、カメラを持って大急ぎでひきかえしてみると、その虹は、もうなかった。『誰かほかの人の虹の端』というタイトルのペーパーバックをぼくがどこで買ったかを、ぼくはいま思い出そうとしている。だが、思い出せない。

 ロバート・ロスナーが書いたサスペンス小説だ。原題は、THE END OF SOMEONE ELSE’S RAINBOW という。いまのアメリカでしか書かれ得ないような、面白い小説だ。

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The End of Someone Else’s Rainbow,Robert Rossner
1975[Warner Paperback Library]

 虹は登場しないけれど、虹の端は、登場する。つまり、いくらだったか忘れたけれど、とにかく一生遊んで暮らせるだけの巨額の現金が、ジュラルミンだかアルミニウムだかの気密性のスーツケースにおさめて、土中のなか深く埋めてある。この現金にからんで、ふたりの孤独な男女が、最後にはおたがいに孤独ではなくなるという、とてもいい物語だ。

 三十九歳のワイリー・ブリッジャーという男が、州立の強制労働刑務所から、出所してくる。二十年ちかく服役し、刑期をつとめあげての、出所だ。人を殺したわけでもないのに、なぜ二十年も入っていたのか。理由は、ちゃんとある。

 銀行をひとりで襲って巨額の現金を強奪し、その現金を、土の中に埋めた。すぐにつかまってしまったのだが、現金をどこにどうかくしたのか、ついにワイリー・ブリッジャーは自白しなかった。だから、二十年も、服役することになったのだ。自白していれば、当然、もっと早くに出てこれただろう。

 強制労働刑務所ですごした二十年。銀行からかっぱらった現金が晴れて自分のものになることによってようやく収支決算のつけられる、長い年月だった。あのカネはもう俺のものだ、二十年かかってかせいだのだ、という気持ちをかためて、ワイリー・ブリッジャーは、二十年ぶりに知る刑務所の外の世界に対して違和感を抱きながら、出所してくる。

 ブリッジャーは、故郷にむかう。場所は明記されていないが、どこか中西部のかたすみのようだ。故郷の町は、オーク・ハローという。

 刑務所からこのオーク・ハローまで、コンチネンタル・トレールウェイズのバスで帰ってくるまでの描写は、ニューシネマ以後の、若い監督が撮った映画の出だしを観ているようだ。簡潔で的確で、動きを無駄なく描き出すと共に、主人公の主観を、はっきりと伝えてよこす。

 生まれてから十八歳になるまで、ワイリー・ブリッジャーがすごしたオーク・ハローは、ちっぽけな田舎町だった。

 高校は、となりの町との中間にあり、唯一の映画館はいつも客が半分ほどしかいず、午後六時まえに開いたことは一度もなかった。メイン・ストリートは三ブロックしかなく、その三ブロックの片方の端には、やはりその町ただ一軒の、食堂があった。

 この町で生まれて育ち、十八歳でハイスクールを出たワイリー・ブリッジャーは、二年間、兵役についた。カリフォルニアの基地、朝鮮半島での十一か月におよぶ実戦、そして、ネオンかがやく日本の夜のワンダーランド。兵役を終えて帰ってきたブリッジャーは、半年もたたないうちに、銀行強盗犯人として刑務所に入れられてしまった。

 二十年ぶりに見る故郷、オーク・ハローは、想像をはるかにとびこえて、激変してしまっていた。家がいっぱいに建ちならび、知らない道路がたくさんできている。かつては雑草の生い茂る野原だったところが、いまでは、おなじような家が見渡すかぎり軒をならべている住宅地だ。雑草は、そんな住宅の庭に生えている芝生に、かわってしまった。

 このあたりの描写もいい。ブリッジャーの孤独感、違和感がくっきりと浮き立つ。土の中に埋めてある現金に対する、エネルギーのしぼりこまれた執着への、原動力だ。

 かつてはちっぽけだった故郷のかわりようにおどろき、ワイリーは、食堂で簡単な食事をする。

 外へ出てさらにひとりで歩いていくワイリーを、フォルクスワーゲンに乗った中年の女性が、ひろってくれる。

 この町の図書館で、ライブレリアンとして働いている女性だという。図書館まで、つれていってくれる。昔はあたりいちめん深い草の茂る野原で、ブリッジャーは子供のころ、このあたりでよく遊んだ。ひとりで。幼いころから、ブリッジャーは、なんとなく孤独だった。

 図書館は、とても現代的な建物だ。子供のころには、想像もつかなかったものだ。コンクリートでかためた駐車場があり、そのわきに、一本の大きな樹がある。

 ブリッジャーは、なにかにとりつかれたもののような目で、その大樹を、じっと見る。

 この樹なのだ。じつは、この樹の、深く張った根の下に、銀行から奪った現金が埋めてあるのだ。

 このあたりまで、書きかたは、とてもいい。けっして大袈裟にはならずに、簡潔な言葉を使い、気持ちを抑制しつつ、淡々と書いている。書きこまれているあらゆるディテールが、読み進むスピードにすこしずつ遅れては、有機的にしっくりとからみ合っていく。

 大樹は、子供のころのブリッジャーにとって、大切な友人だった。父が買いあたえてくれた22口径のライフルを持ち、野ウサギを追っては遊んでいるうちに見つけた友人だ。

 太い幹が大地からしっかりと生え出ている。何本もの枝が、思い思いに空間にのび、春や夏には、その枝に、何千、何万という葉ができる。

 高い枝にのぼり、遠くをいつまでも飽かずにながめては何時間でもすごしたし、すこしはなれたところから、枝の一本一本、葉のひとつひとつに、陽が沈むまで、語りかけたことだって、何度もある。孤独な少年が、田舎の小さな故郷で見つけた、唯一の貴重な友人だ。

 この樹の、大きな根の下に、あの現金が、埋まっている。自分で埋めたのだ。どこにかくしたか、ついに自分は自白しなかったし、調べにあたった刑事たちも、あの現金をみつけだすことはできなかった。

 現金は、いまでも、あの樹の下に、埋まっている。

 二十年ぶりに、さまざまな思いをこめ、茫然とその大樹を見ながら、ワイリー・ブリッジャーは、途方にくれる。自分の体の底が抜け落ち、ぽっかりと大穴があいていくのをどうすることもできない気分だ。

 いったい、どうやって、あの現金を掘りおこせばいいのか。樹のむこうは、図書館の駐車場だ。そして、道路。反対側は、すこし距離を置いて、住宅地だ。掘りかえす作業は、いろんな方向から、まる見えになってしまう。

 昔は、丈の高い草で見渡すかぎり埋もれた、さびしいところだったのに。昔のままなら、まる一日もあれば、現金を掘りおこし、逃げることができる。

 現金を手に入れたら、ブリッジャーは、ニューメキシコへいこうと思っている。朝鮮で死んだ戦友のひとりに、ニューメキシコ出身の男がいた。ニューメキシコがいかに素敵であるか、その男は、いつも語っていた。

 ニューメキシコへいって土地を買い、リンゴ園と牧場をつくる。リンゴを栽培し、馬を育てるのだ。リンゴの実った樹のむこうを、馬が走る。そんな光景を、刑務所で二十年をすごした三十九歳のワイリー・ブリッジャーは、夢に描きはじめている。

 だが、大樹の下から現金を掘り出すには、どうすればいいのだ。樹を見つめれば見つめるほど、絶望的になってくる。

 このワイリー・ブリッジャーとほぼ同時に、オーク・ハローの町に自動車でやってきた男が、ひとりいる。ジャヴィットという、中年をとおりこしそうな年齢にさしかかっている刑事だ。ジャヴィットは、兵役から帰ってきたブリッジャーが銀行強盗をやったとき、直接のとりしらべにあたった刑事だ。

 現金のかくし場所を、ブリッジャーは自白しなかった。ブリッジャーに関する情報との接触をこの二十年間おこたらずにいたジャヴィットはブリッジャーが出所したことを知る。

 出所すればブリッジャーはまっすぐに、かくしておいた現金のところへいくだろう。現金に手をつけたとたんにブリッジャーを逮捕してやろう。ブリッジャーは二十年にわたって沈黙を守るという苦行に耐えたのだが、ジャヴィットは、そのブリッジャーをオーク・ハローで待ちうけるという執念を、燃やしつづけていたのだった。

 ひとまずオーク・ハローの町に落ち着かなくてはならないブリッジャーは、昔なじみの造園師のところに就職し、下宿の部屋を手に入れる。そして、樹の下から現金を掘りおこす作業の計画を考える。

 ジャヴィットは、オーク・ハローの町に来ると同時に、ブリッジャーに対して、暴力的な示威行為に出る。二十年間、自白せずにとおしたおまえだが、現金と共にかならずつかまえなおしてやるからな、とジャヴィットはブリッジャーをおどす。

 このジャヴィットも、古いタイプの孤独を背負っている。自分の仕事に、あくまでも頑固に徹していく猛烈派だ。あまり頑固で猛烈であるため、刑事としての出世にも限界があり、妻子にも離れられてしまった。ブリッジャーの出所にあわせてうまく休暇がとれたので、オーク・ハローに来たのだ。でも、ほんとうは、いまは妻といっしょにいる娘だか息子だかを、海につれていく約束だったのだが。

 なぜジャヴィットがオーク・ハローに来たかというと、刑事としての自分の仕事を完結させるためだ。つまり、現金のありかを自白させそこなったからには、出所して現金をとりに舞いもどったブリッジャーを首尾よくおさえ、ブリッジャーの件を完璧に落着させたいと、こういうわけだ。孤独な人は、しつこいのかもしれない。

 ブリッジャーがオーク・ハローにもどって来た日に、フォルクスワーゲンでヒッチハイクさせてくれた中年のライブレリアン。三十代の赤毛の女で、色香はまだ充分に残っている。

 彼女もまた孤独だ。ひとりで生きていくことを若いうちからいつのまにか身につけた、ひとりで生きていく女性にふさわしい職業のひとつであるライブレリアンの仕事を学び、オーク・ハローのような町の図書館をひとりで運営し、ひとり暮らしをつづけている。

 ほんとうは、彼女は、絵を描きたい。かつてはさかんに描いていたのだが、もう何年も、描きかけのカンヴァスが、ほこりをかぶっている。

 孤独、という言葉は、当たらないかもしれない。ひとりで生きている、と言ったほうがいいだろう。ブリッジャーもそうだし、ジャヴィットも、そんな感じだ。

 赤毛の図書館女、フランシーヌ。とてもいい女として描かれている。明るさのある強い気性を持ち、ものごとを肯定的に考えることのできる女だ。

 この女が、ブリッジャーにとって、非常に大事な存在となってくる。

 なぜなら、図書館の駐車場の地下が、ほとんど使用されていない資料室であり、この資料室の壁から、駐車場のはじに立っている大きな樹の根まで、掘っていけるからだ。

 二十年前は、草ぼうぼうの地面を掘ってブリッジャーは現金を埋めた。二十年後のいま、想像もできなかったような図書館の地下から、つまり土中から、樹の根にむかって逆に掘っていく。小説として、なかなかうまい思いつきだ。

 図書館の地下から掘っていくには、フランシーヌの協力が必要だ。樹の下の現金のことを、ブリッジャーは、彼女にあかす。フランシーヌは、協力を約束する。ただし、掘り出した現金から、かなり大きなパーセンテージで自分にもよこせ、という条件つきで。ブリッジャーは、承知する。

 さあ、ここから、ブリッジャー、フランシーヌ、そしてジャヴィットの三人のからみ合いが、物語の進展と共に、素晴らしいテンポと語り口で、語られていく。

 ひとりで生きる人たちが、自分の生き方を必死になって進めていくと、その結果として、はからずも、他人とのしっとりした熱いつながりを手に入れてしまう。そんな背景を持ちながら、読みおえるまで手離せないサスペンスの連続だ。

 結未がどうなるのか、書かずにおこう。このような、とてもよく出来た人間物語によくあることだが、アイロニーをきかせすぎて、絵に描いたような、小味な印象の結末となっていたが、一冊のフィクションに完全に満足することはできた。

『アップル・サイダーと彼女』角川文庫 1979年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『本を読む人』太田出版 1995年

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1979年 1995年 『アップル・サイダーと彼女』 アメリカ ロバート・ロスナー 小説 書評 本|『他人の虹の端に向かって』 片岡義男エッセイ・コレクション『本を読む人』 読む
2017年1月27日 05:30
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