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猛烈に仕事をする人たちの国、アメリカと、父親を描いた数多くの小説

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 アメリカの小説に関してとりとめなく考えをめぐらせていたら、ひとつのアイディアが浮かんだ。アメリカの父親小説の翻訳シリーズを作ると、それはたいへん面白いのではないかというアイディアだ。まず最初の試みとして、たとえば第二次大戦後から現代までの時代に書かれた作品のなかから、よく選んで三十冊ほど傑作を残し、それを全三十冊のアメリカ父親小説傑作シリーズとする。

 父親自身の一人称によって描かれていく、彼および彼の家族の物語があるだろうし、三人称でとらえた父親もあるだろう。息子の一人称による、彼と父親との関係の物語もあれば、父親と息子を同時に三人称で書き進めた物語もあるだろう。とにかく、父親というものが主題になったアメリカ小説のなかから、傑作を三十冊もひとつにそろえれば、それらの物語をとおして見えてくるものは、おそらくアメリカの核心にせまることを可能にする手がかりだ。アメリカの父親小説全集。僕はまだ聞いたことも見たこともない。誰も思いつく人がいないのだろうか。それとも、アメリカの小説から傑作を拾っていくと、そのほとんどは、なかば自動的に父親小説になるのだろうか。

 男と女を分けて考えたり、なんの根拠もないのにことさらに男、男、あるいは女、女と言いたてるのは、まったく僕の好むところではない。しかし、アメリカのように性差がきわめて大きな社会では、男と女の違いは、たとえば小説のように言葉だけですべてが作り出されていく世界では特に、たいへんに大きな差をもたらしている。

 性差は言葉を使って社会が作り出すものであり、小説もその社会が持つ言葉の産物だ。そして、男を引き受けるにせよ女を引き受けるにせよ、社会のなかで言葉を使っておこなう作業には、好むと好まざるとに関係なく、男と女のあいだに大きな違いが生まれてくる。

 その事実を、アメリカという文化において知るための、父親小説の全集だ。そして、母親小説の全集も、おなじく三十冊、編纂するといい。書き手には女性の作家が多くなるだろう。男性の作家は父親をほぼ自動的にテーマに選び、女性たちもおなじくほぼ自動的に、母親を主題に選び取っている。

 父親小説と母親小説の全集が出来たなら、そしてそれを注意深くすべて読んだなら、その人はアメリカで父親や母親が果たす心理上の機能のようなものの理解への手がかりを、確実につかむはずだ。

 小説の全集の次には、男性が書いた自伝的と評されている文章集の全集を、これは十五冊くらいで編纂すると面白い。女性の書き手に関しても、おなじく十五冊、自伝的モノローグの文章全集を作る。サム・シェパードの『モーテル・クロニクルズ』(邦訳はちくま文庫)は、男性の書き手による自伝的なモノローグ文章全集に、まずまちがいなく収録されるだろう。僕なら、好見本のひとつとして、ためらうことなく収録する。

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Motel Chronicles,Sam Shepard
1983[モーテル・クロニクルズ|筑摩書房|1986]

 男女別による以上ふたとおりの全集を読んで、なにがわかってくるのだろうか。僕がいま知り得ている範囲での結論を述べるなら、娘にしろ息子にしろ、人は父親と母親とのあいだで強力にふたつに引き裂かれるということだ。性差は人の内面をさまざまに引き裂く。引き裂いていくときに発揮される力のうち、いっぽうは父親であり、もういっぽうは母親だ。父親と母親というふたとおりの力によって、自分の内面が裂かれていくのを体験することをとおして、人は性差の社会で自分に折り合いをつけ、自分の場所をみつけていく。

 『モーテル・クロニクルズ』は、はっきりと男性の作品だ。作者のサム・シェパードにとってきわめてプライヴェートな、そして多分に自伝的な要素を多くはらんだ、断片的ないくつもの文章のひとつの集まりだと評されている。個人的で伝記的なものとして読んでも楽しめるし、まったくのフィクションととらえても、たいへんに面白い。フィクションとしてとらえたほうが、描き出される世界はより強く楽しめるかもしれない。男性による文学的な文章の、ひとつの見本だと言っていい。これは女性が書いたものだ、と言われた上で『モーテル・クロニクルズ』を読んだなら、僕は相当に驚き、かつよろこぶだろう。

 何年もまえに『モーテル・クロニクルズ』を読んだ僕の記憶によれば、書き手の一人称で父親について書いた短い文章と、母親について書いた短い文章が、間隔を置いて、まるで対のようになって存在していた。どちらも、書き手がまだ幼い頃の体験を、現在から回想して書いたかたちを取っていた。ひとりの男の子供による、父親と母親との、質的にくっきりと対比されたとらえかたのなかに、サム・シェパードという、アメリカの言葉によるアメリカの書き手がかかえている、すべての問題のそもそもの発端がかくれているのを、瞬間的に見ることが可能だ。

 アメリカは性差の文化だ。男女どちらも優劣つけがたく強力であり、優劣などつけてもなにもはじまらないが、性差の深い谷間のなかでいったんまっぷたつに引き裂かれる体験をくぐり抜けないことには、どうにもならない。

 日本にも性差はあるけれど、質も量も桁がちがいすぎる。性差の質と量とは、自分のものとして獲得している言葉の、質と量だ。そしてその質と量は、アメリカにおいてはともにすさまじく生まじめだ。ふたつに引き裂かれた内面が持つ言葉の、質と量における息のつまるような生まじめさが、アメリカにおけるクリエイティブな、あるいは破壊的な営為の、土台だ。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『本を読む人』太田出版 1995年

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2017年1月25日 05:30
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