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しかし、アメリカには、貧乏もよく似合う

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 いま世界でいちばん豊かな国はアメリカだと、多くの人が思っている。いちばん強くて、いちばん豊かで、あらゆる面で世界をリードしているのはアメリカだと、たいへんに多くの人たちが、すんなりと思っている。アメリカぜんたいが、面白いこと、楽しいことの連続する巨大な遊園地のような場所だ、というふうに認識している人だって、たとえば日本には多いはずだ。

 アメリカのどこをのぞきこんでも、そこには豊かさがあり、きらきらといまこの瞬間を最大限にきらめいていて、なにをどう見ても感嘆の声をあげずにはいられない国、それがアメリカなのだと、アメリカの人たち自身も含めて、世界じゅうほとんどの国の人が思っているのではないかと誰もが考えている。そのアメリカに、もしなにかマイナスの世界があるとするなら、それは、ありあまる豊かさから生まれた奇妙な弊害なのだ、と人々は思っている。

 アメリカ、という固有名詞には、たちどころに、豊かさ、強さ、新しさなどのイメージが結びつけられ、とどまるところなく拡大していく力のようなものを思い浮かべるという一種の反射的な反応が広く人々のあいだに出来あがっている。

 しかし、アメリカには、貧乏もよく似合う。身のまわりにはあの広い国土があるだけでほかになにもなく、たとえば食事としていちおう体裁のととのったものをいちばん最後に食べたのがいつだったのか思い出せない、というような、貧乏や貧困の原形的な状態は、アメリカにとって思いのほかよく似合う。貧乏のどん底にあっても、アメリカはさまになっている。絵になっている。その状態をもし写真に撮ったりするなら、アメリカの貧乏や貧困は、その写真を撮る人の腕にもよるだろうけれど、きわめてフォトジェニックだ。

『不況の年月』というタイトルの写真集を見ていて、僕はまず以上のようなことを、ぼんやりと思った。この写真集のなかには、アーサー・ロススタインが一九三〇年代にアメリカの各地で撮った写真百二十点が、収録してある。一九三〇年代のアメリカは不況のまっただなかにあり、ロススタインが写真に撮ったそのアメリカ各地では、不況を頭からかぶって人々はあえいでいた。

 百二十点のどの写真を見ても、アメリカのどん底貧乏は、さまになっている。撮影者のアーサー・ロススタインの腕前はたいへんなものだから、ひとつひとつの写真のなかにある貧困の、さまになりかたには、ロススタインのたとえばコンポジションの能力、秩序やセンス・オブ・デザインの才能が注ぎこまれているはずだから、それらの芸術的な力によって、貧乏がさまになって見えるということは充分にあるにしても、それでもなお、アメリカの貧乏は、絵になる。どうしてこんなにさまになるのだろう。

 一九三〇年代の不況がアメリカぜんたいにもたらした貧困は、現代の不運な国をみまっている貧困とは、まるで性格が異なっている。巨大な底力をたたえている大きな国が、近代以前の状態から近代へと脱皮していこうとするとき、近代以前の状態がいったん潰滅したことからくる不況だったのだから、近代へむかうとてつもない力は、すでに手に入れていたと言っていい。貧困をきわめつつも、前途は洋々であったのだ。こんな奇妙な貧困の状態を、十年以上にわたって体験した国は、アメリカだけだろう。

 近代以前の状態がなぜいったん崩壊したかというと、近代の国家として国ぜんたいを効率よく運営していくためのさまざまなシステムがまだどこにも整っていなかったからだ。システムの整備されていない状態は、近代へむけて進んでいこうとするぜんたいを、当然、支えることは出来なかった。だから、一九三〇年代のアメリカ各地の貧困は、それまではばらばらであったものがいったん崩壊し、近代のシステムとして編成されなおす寸前の状態として理解出来る。

 不況のまっただなかにあるアメリカの農業にすこしでも手を貸すために、ファーム・セキュリティー・アドミニストレーションという部門が政府によってつくられた。この部門のなかのさらに小さなひとつの部門は、不況のアメリカの農業の現状を写真によって記録するという作業を考え出し、実行に移していった。このFSAは、一九三七年から一九四三年まで、続いた。

 一九一五年生まれのニューヨーカーであるロススタインは、コロンビア大学で医学の勉強をはじめようとしていたとき、FSAに呼ばれ、そこでの写真の仕事のメンバーに、彼は加わることとなった。その部門の活動のため、写真のラボラトリーづくりからはじめたのはロススタインであり、まもなく彼自身、いろんな場所におもむいて写真を撮影するようになった。

 おなじ部門で写真の仕事をともにおこなっていた人たちのなかには、ドロシア・ラーングとかラッセル・リー、さらにはウォーカー・エヴァンス、ベン・シャーンといった人たちがいた。政府がつくった部門での仕事というよりも、大学のセミナーで夢中で勉強している、といった雰囲気のうちに、ロススタインたちは仕事をかさねていき、そのなかで、たとえば、コンセプトを写真のなかでヴィジュアルに表現する方法、というようなことを学んでいった。

 ロススタインにとって、最初の大きな仕事は、一九三五年、ブルー・リッジ・マウンテンズに派遣されて写真を撮ったことだ。ブルーリッジの山のなかに住みついている人たちを写真に撮るためにおもむいたロススタインは、土地の人々および彼らの生活のなかに入りこんでよくなじみ、その場の一員として、市場に出てまだ間もない小型のライカで、念入りに写真を撮った。彼が撮影した人々は、そのあたり一帯がシェナンドア国立公園になったため、やがてほかの場所へ立ち退きさせられた。

 ロススタインたちが所属した部門は、はじめのうちは農業地帯を写真で記録するという、どちらかといえば範囲のせまい仕事をするはずの部門だったのだが、次第にその範囲は広がっていき、当畤のアメリカぜんたいを写真に撮る、というようなスケールを獲得するまでになった。彼らが、撮影した写具は、基本的には記録写真であった。人々に広く公開し、自分たちの国の状態に関する理解をおたがいに深めるという、具体的な役に立たなくてはならない写真だった。

 貧困の農業地帯を記録した写真は、都会で貧困のさなかにいる人たちにとっては、ニュース写真として機能した。ニュース写真であると同時に、さっきも書いたとおり、コンセプトをヴィジュアルに表現した芸術的な写真でもあった。時間の経過とともに歴史的な写真ともなり、いまではたいへんにすぐれた芸術写真として、その生命を保っている。

 ロススタインのこの写真集のなかに収録してあり、特に評価も高く、そして広く知られている作品は、一九三六年、オクラホマ州のシマン・カウンティで撮影した写真だ。砂嵐のなかを、お父さんとそのふたりの息子たちが、掘っ立て小屋のような家のなかへ逃げこもうとしているところが、見事にとらえてある。

 どの写真のなかでも、どん底的な貧困や貧乏がアメリカによく似合っている、とはじめに僕は書いた。似合っているとはどういうことかというと、どの写真のなかでも、人々はきわめて自分らしい状態で存在している、ということだ。自分らしい状態というものは、明らかにひとつの力であり、その力があるからこそ、写真に撮ってさまになるし、フォトジェニックでもあるのだ。

 そして、自分らしい状態とはなにかというと、質実剛健な、不屈とさえ言っていいようなインディヴィデュアリズムのなかにどの人もいる、という事実だ。アメリカがフォトジェニックなのは、この強烈なインディヴィデュアリズムのせいであると、言いきっておこう。

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THE DEPRESSION YEARS
Arthur Rothstein
Dover Publications, Inc.
1978|アマゾン日本|kindle

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『なぜ写真集が好きか』太田出版 1995年

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1930年代 1995年 アメリカ アーサー・ロススタイン 写真 写真集 片岡義男エッセイ・コレクション『なぜ写真集が好きか』
2016年10月24日 05:30
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