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片岡義男.com 全著作電子化計画

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評論・エッセイ

アメリカの色とかたち どこにもなかった楽園の甘い主題歌

 今世紀に入る前から、ハワイは早くも南海の楽園だった。ロンドン、パリ、ニューヨークなどで、資本主義、民主主義、市民社会などに明け暮れていた人たちにとって、緯度がずっと南の、しかも太平洋のまんなかにある小さな島は、南海の楽園として位置づけてようやく、自分たちの世界に取り込むことが出来たのだろう。その楽園は、最初は上流階級の休暇や娯楽あるいは社交の場として、構築された。
 時代が進むにつれて、楽園は少しずつ大衆のものになっていった。その大衆化をいっきに促進した巨大なきっかけは、太平洋戦争だった。戦後のアメリカがハワイに大衆の…

『Free&Easy』二〇〇一年一月号

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