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わたしの片岡義男 No.20片岡サポータ K.M「片岡義男の食」

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【片岡サポータ】K.Mさんは、1963年、千葉県生まれ。アートディレクター。

『孤独のグルメ』というテレビ番組が好きで、新シーズンが始まると欠かさず観ている。僕のまわりにもファンが多く、なぜこんなに人気があるのだろうと再放送を眺めながら考えていたら腑に落ちた。
 たぶん人気の理由は、すべてをゆっくり完食すること、酒が飲めない設定にしたこと、モノローグ形式であること、ではないか。特に完食がポイントだと確信した。他にはない、この番組だけの大きな特徴だ。
 この結論に至って、『メイン・テーマ』の中に出てくる、ふたつのシーンを思い出した。
 オートバイで旅する女性が、ドライブインでトラック運転手の食事を目撃するシーンと、サーファーの男ふたりが千葉駅前で天丼のあと、路上で売っていた甘口鰯を食べて喉が乾き、駐車場のおじさんに熱いお茶をもらって仕上げをするシーンだ。
 ふたつの場面とも大量に食べ、残さずに平らげた満足感があり、最後に熱いお茶で仕上げをする。料理の味や内容ではなく、その食事の姿勢になによりも共感するのだ。
 片岡義男の作品はすべてそうだが、登場人物の誰もが食事をするときはゆっくりと咀嚼し、残さずきれいに完食していることが想像できる。たとえコーヒー1杯のシーンでも、時間をかけてゆっくり最後まで飲む映像が浮かぶ。これはとことん短いセンテンス、たとえば「ふたりは昼食をとった」とだけ書かれていても例外ではない。
 酒については対極に位置するのが池波正太郎の、たとえば『梅雨の湯豆腐』のようなものだろう。彼の作品に出てくる食事は、すべて酒がないとはじまらない。完食する満腹感よりも、それでちびりちびりとやる風情が優先される。これはこれで好きなのだが、片岡作品における酒のポジションは、きっちり食事と分けて考えられている。酒を飲むときはつねに酒だけだ。だから食事のシーンはほとんどが健康的な満足感に向けてまっしぐらに突き進む。これが読んでいる方にとっては不純物のないカタルシスになる。
 最後にモノローグだが、映像におけるモノローグとは、台詞でいうと陳腐になるのを避ける手段でもある。だから『孤独のグルメ』は心理描写のような台詞をモノローグの形式を借りてつぶやく。以前、片岡さんが「日本語の会話が恥ずかしくて書けない」と語っていたのを思い出した。そうなのだ。片岡作品のすべての会話は台詞ではないものね。同時に心理描写などはとことん省き、小説の映像化にだけ心を砕いている。片岡作品は唯一無二の食の映像化に成功していたから心に残るのだ。
 こうしてあるテレビの深夜番組の考察から片岡義男へと連想され、同時にいままでに読んだ作品を思い返すことになる。するとなぜか無性にコーヒーが飲みたくなるので空腹を感じながらもいそいそとコーヒーを淹れ、『メイン・テーマ』と『白いプラスティックのフォーク』を整理されていない本棚の中から探すのだ。

アートディレクター K.M

編集部より
片岡作品を『孤独のグルメ』からの連想という面白い切り口で語っていただきました。とても興味深い内容でした。ありがとうございました。食の映像化といえば、『海苔を巻いたおにぎりの謎』『電車の中で食べました』などの面白いエッセイがありますね。
今回の一冊 電子版『メイン・テーマ1』

『メイン・テーマ』は3作品あります。そのうち1作品目をご紹介。

『メイン・テーマ1』表紙

テーマを決めて、生きることを選ぶ。

自分という人間はこれからどう生きるのか。
他人に伝授できることが肝心だ。
時間をどう使うのかが、その人のメイン・テーマ、というわけだ。

 

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2018年8月21日 00:00

わたしの片岡義男

不定期更新。作家、ライター、編集者……さまざまな立場から片岡作品への思いを語っていただきました。読んだことのある作品でも違った面が見えてくるかもしれません。