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2. アメリカ編 Part1

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 写真家・佐藤秀明の少年時代から現在に至るまでを振り返る「佐藤秀明・写真ものがたり」。第2回の舞台はアメリカ、ニューヨーク。
 20代の青年であった佐藤さんは写真家の道を歩むために日本を飛び出すことを決意します。勤めていた会社を退職し、昼夜を問わず働いて稼いだ旅費で彼がニューヨークへと旅立ったのは1967年のことでした。ベトナム戦争、ヒッピー、ワールドトレードセンター建設、アポロ11号の月面着陸……、激動するアメリカで佐藤さんは一体何を目にし、そして何を思ったのでしょうか。写真に収められたアメリカから、若き日の佐藤さんの「ものがたり」を紐解いていきましょう。
ニューヨーク、若き日の出会い

 1967年、僕が最初にニューヨークに行った時、マンハッタン一周の観光船から撮った記念すべき1枚です。摩天楼を初めて見た時はただただ「凄いなー!」と思うばかりでした。バスがトンネルを抜けた瞬間、ワッ!ともの凄い数の高層ビルが視界を埋め尽くしたんです。まるで谷底にいるみたいでした。目を慣らしておこうと思って霞が関ビル(※日本最初の超高層ビル。地上36階、高さ147m)を見物してから行ったんですが、比べ物になりませんでした。

 ニューヨークへはグレイハウンドの長距離バスで向かいました。ロサンゼルスから四日間乗りっぱなしで大陸を横断するんです。最初はよそよそしかった乗客たちも一緒に乗っているうちに打ち解けていって、最終的には家族みたいに仲良くなったのが思い出深いです。カンザスの田舎から来た青年はずっと陽気に喋っていたのに、マンハッタンが見え始めると途端に口数が減って「アメリカ人だってニューヨークに行くとなったら必死なんだよ」なんて呟いていました。アメリカ人でも圧倒される街なんです。他に印象に残っているのはえらく親切にしてくれたドイツ人の旅行者ですね。途中でバスを乗り換えることがあって荷物を入れ替えないといけないんですが、英語がわからなくてオタオタしていたら代わりにやってくれたり。最後には乗客みんな仲良くなって、別れる前に固い握手をしました。

 この写真はエンパイアステートビルの屋上から撮ったものです。当時はセキュリティチェックもなくて、簡単に登れたんです。左奥にかすかにセントラルパークが見えるから、アップタウンの方を向いて撮った写真ですね。下側からびゅーっと伸びている影はエンパイアステートビルの影ですよ。影の位置から考えて時間は昼過ぎぐらいでしょう。

 5番街のフラットアイアンビルディング。マンハッタンで最初に摩天楼と呼ばれたのがこのビルなんだそうです。1902年にできた古いビルですが今も健在ですよ。オフィスビルなんですが、見てのとおり三角形の変わった形をしているので、観光スポットとしても人気の場所です。映画にもよく登場するので見覚えがある人もいるかもしれません。

 これは当時の若者たち。グリニッチビレッジからセカンドアベニューに向かう道で撮った写真です。あの辺りは若い人たちがたくさんいて、歩いていると楽しかったな。やっぱりニューヨークだからなのか、60年代とは思えないぐらい垢抜けたファッションですよね。

 グリニッチビレッジ。ヒッピーがうろうろしている場所で、丸1日いても退屈しませんでした。

 リトル・イタリー。サンジェナーロ祭というお祭りの時の写真です。リトル・イタリーで毎年9月に行われる大きなお祭りで、いろんな出店が出ていてすごく盛り上がるんです。この頃はまだあまり治安が良くなくて、たまにギャングの撃ち合いもありましたね。壁に銃弾の跡が付いているレストランもありましたけど、それを売りにしている商魂たくましい店もありました(笑)。

 この道を奥に進むとチャイナタウンです。ホームシックになったときはよくチャイナタウンに蕎麦を食べに行ったりしていました。同じアジア人の顔を見ていると少し心が落ち着くんです。この頃はリトル・イタリーのほうが大きかったんですが、いまはチャイナタウンのほうがうんと大きくなっています。

 この写真は1967年か68年だからまさにベトナム戦争の真只中ですね。週末ごとにセントラルパークで反戦集会が開かれていました。ベトナム戦争への反戦運動が社会現象になっていたんです。当時の大統領はジョンソンでしたが本当に評判が悪くて。68年の選挙で戦争の終結を訴えたニクソンが勝って、ようやく収束に向かうんです。

 これはワシントン広場前の反戦集会。真ん中の人は帽子に爆撃機の模型をつけています。当時のニューヨークには兵役を逃れて来た人や退役軍人がたくさんいて、しょっちゅうこういった集会を開いていました。いつまでも終わらない戦争に、みんなうんざりしていたんですね。

 これも反戦運動の写真。僕がセントラルパークで写真を撮っていたら、素っ裸の女性が走って来て岩の上に登ってアジ演説を始めたんです。この写真は演説が終わって取り巻きが持って来た布を羽織った後の場面です。残念ながら裸の写真はありませんよ、撮るより見るのに夢中でしたから(笑)。

 この女性、皆さんもおそらくご存知の有名な方なんですが、わかりますか? なんと草間彌生さんです! 彼女はこの頃からすでに前衛芸術で有名な人で、こういう過激なパフォーマンスを度々やっていたんです。当時の僕は知らなかったので「あの顔つきはきっと日本人だな」と思いながら見ていました。反戦運動には他にも有名なアーティストがたくさん参加していましたね。オノヨーコとか靉嘔(あいおう)とか。

 冬のワシントン広場。写っている三人はヒッピー。どこでも寝泊まりできるようにこうやってシュラフを持ち歩いているんです。本当に退屈なときはここへ行って写真を撮っていました。噴水のヘリに腰かけて広場を眺めると、いろんな人がいろんなことをやっているのが見られたものです。

 マンハッタンの地下には水道管やガス管と同じようにして、高熱の蒸気を運ぶスチームパイプが張り巡らされているんです。冬はそこから漏れた蒸気が吹き出して、街じゅうこういうふうになっていました。スチームパイプの熱は部屋を暖めたり道路の凍結を防いだりするのに使われます。

 イタリア人街。とは言ってもイタリア人に限らずいろんな人が集まってくる所でした。この人たちはまだニューヨークに来て日が浅い移民でしょうね。移民はまずイタリア人街辺りに住むんです。治安は悪いけれどすごく安いアパートがたくさんあったから。みんなフレンドリーで親しみやすい人たちでしたね。

 地下鉄です。向かいのホームに止まっていた車両を撮った写真ですね。14丁目を走る路線で撮ったものだと思います。最後まで古い車両を使っていた線で、椅子は畳のように硬くて座り心地が悪かった。窓ガラスも汚いですよね。ところがこの写真の頃は、まだお馴染みの落書きがないんです。

 数年後にはこんなふうに落書きだらけです。今はきれいになっているみたいですが、最盛期はこんなに酷かったんですよ。

 車両の外側も落書きだらけ。この頃、ニューヨークは破産寸前だったから電車をきれいにする予算もなかったんです。だから、こういうボロボロで落書きだらけの電車が平気で走っていました。電車が走り去ると剥がれたサビの臭いが漂ってくるほどボロボロだったんですよ。

街の内側へ

 セントラルパークの歩行者天国。ここが世界初の歩行者天国なんだそうです。この頃、僕は朝日新聞で夕刊のコラムに載せる写真を撮っていたんです。記事を書いていたのは「天声人語」で有名な編集委員の疋田桂一郎さん。彼に同行して当時の市長のリンゼイさんを取材した時に、来週から歩行者天国を実施するということを知って見に行ったんです。車を気にせず歩けるからみんな大喜びでしたよ。

 エリオット・エリソフォンという有名なカメラマンの仕事を見学する機会もありました。雑誌の『LIFE』から世界の食べ物の写真集を出すということがあって、僕が皿洗いをやっていた日本食レストランが撮影用の料理を作ることになったんです。その時に「お前、写真やってるんだろ?」と店主に声をかけられて、料理助手としてスタジオに連れて行ってもらいました。

 本格的な現場を間近で見学できたことは、いい刺激になりました。僕はこの時初めてポラロイドカメラという存在を知ったんです。本番撮りの前の試し撮りにポラロイドが使われていて。フィルムカメラとは違ってすぐに出来が確認できますからね。カラーのポラロイドは当時出たばかりの最先端で、実際に使っているところを見たのは初めてでした。

 これはオーチャードストリートという衣料品を安く売っているユダヤ人街。ズボンや靴がダメになると、よくここに買いに行きました。服は大抵ここか百貨店のメイシーズで買っていましたね。メイシーズは閉店した後、店の中に番犬のドーベルマンを放すんですよ。昼のうちに店のどこかに隠れておいて、誰もいなくなってから盗みを働く泥棒がいたんです。

 警官とも仲良くなったんですよ。歩いて写真を撮っていたら、パトカーが脇に止まって「お前ちょっと来い」と呼ぶので、恐る恐る行ったら「お前写真家か? いい物やるよ」と言って露出計をくれたんです。あとで調べてみるとその露出計はなんとドイツ製の最高級品! そんな高価なものをどうして僕にくれたのかというと、手錠をかけられている写真中央の男がどこかで盗んできたものらしくて、「盗品の手続きが面倒だからお前にやる」ということでした。「ついでに警察署の中も撮りに来るか?」と言われてついて行って撮ったのがこの写真。この一件がきっかけで彼と仲良くなって友達になったんです。

 この頃のニューヨーク警察は汚職がひどかったんです。クリスマス前になるとレストランへ来て「重点的に警備してやるから」と言ってお金を要求する警官もいて、どの店もそういう警官に払う賄賂を用意していたんですよ。友達になった警官はモダンジャズが好きで「佐藤、モダンジャズを聴きに行こう」と言ってよく連れて行ってくれたんですけど、警官だからって会場にタダで入れてもらえたんです。連れの僕は肩身が狭くて(笑)。それからレンタカーを借りた時スピード違反で捕まったんですが、免許証の中に5ドルを挟んで渡したんです。すると受け取った警官は5ドルをすっと抜き取ってから、パトカーを指差して「もう1人乗ってるんだよ」って。結局もう5ドル取られちゃいました(笑)。こういった汚職を暴いたのがアル・パチーノの『セルピコ』(1972年)という映画です。

大都会の孤独

 あの頃のニューヨークは老人問題が深刻で、年金暮らしの老人たちで公園がいっぱいでした。空いているベンチがまったくないですよね。座っているのはみんなお年寄りですよ。何もやることがないから日向ぼっこしているんです。

 孤独な老人。上半身裸ですね。この人も日光浴しているんでしょう。こういう孤独な人がたくさんいましたよ、ニューヨークには。

 変な人たちもいました。冬のコニーアイランドで撮った写真です。「POLAR BEAR CLUB」といって、真冬に雪とか水の中で遊ぶ人たちの集まりです。ニューヨークの冬です、極寒ですよ。それなのに水着一丁で雪合戦をしたりするんです。格好も変でしょう? 水着なのにベレー帽を被ったり。しかもみんな意外と若くない(笑)。

 地下鉄の入り口。“Brooklyn Bridge – City Hall Station” と書いてありますね。ここから右へ行くと市庁舎公園があって、左にまっすぐ進んで行くとブルックリンブリッジにたどり着きます。写真正面に見える古風な建物は、市庁舎の分館です。

 ロングアイランドの墓地。奥に見えるシルエットはマンハッタンのビル群です。左に写っている一番高いビルがエンパイアステートビルですね。「ビルがまるで大きな墓標のようだ」なんて考えながら撮った一枚です。ここも夜にゲートを閉めた後、ドーベルマンを放していました。ホームレスが入って来て寝床に使わないようにするためです。

 ソロモン・R・グッゲンハイム美術館。抽象画や現代アートが沢山展示されている美術館です。建物自体もかなり変わった構造をしています。写真にも写っているように通路が螺旋状になっていて、ぐるぐる回って下りながら鑑賞していくんです。この美術館のある通りには他にもいろんな美術館や博物館が立ち並んでいるので、ミュージアム・マイルと呼ばれています。有名な観光スポットです。

 1969年、フロリダのケープカナベラル。アポロ11号打ち上げ前夜の写真です。僕はカメラマンの助手として朝日新聞の取材団に参加していて、打ち上げ前日に間近で見学させてもらえたんです。打ち上げ当日は8 km離れた所から三脚を立てて800 mmの望遠レンズで打ち上げの瞬間を狙っていました。すごかった。ロケットが煙を出しながら上がって行くのが見えたと思ったら、次の瞬間ドドーン!って轟音と衝撃が押し寄せてくるんです。距離があるから音や爆風は遅れて届くんですよ。三脚が吹き倒されそうになったから慌てて支えたのを覚えています。周りのカメラマンもみんな三脚に抱きついていました。

 当時の写真屋の現像代。36枚撮りの現像は1時間仕上げで10ドル99。1ドル360円の時代だからフィルム1本現像するのに4000円近くかかったということですね。だからカラー写真なんてとても撮れないですよ、フィルム自体が高かったし。カラーより安く済むモノクロフィルムばかり使っていました。少しでも節約するために、アポロの取材で日本から来たカメラマンにフィルムをごっそり置いていってもらったりもしました。

ワールドトレードセンター、その今昔

 建設中のワールドトレードセンター。この時点ですでに40階ぐらいの高さがあるんじゃないでしょうか。ある日チャイナタウンに向かっているとドーン!と大きな音がしたので見に行ってみると、大きな鉄球でビルを壊していたんです。次に行った時には辺り一帯が更地になっていました。「うわー! これはきっと大きいものが出来るんだろうな」と思って、行くたびにパチッパチッと撮っていたんです。

 そしてこれが完成した後の写真。出来上がった当初は評判が悪かったんです。当時のビルにしては装飾が少なかったから素っ気なく見えたんでしょう。「なんであんなもの建てたんだ」なんて言っている人もいました。

 これは9.11で崩壊した3か月後。みぞれが降るくらい寒い日でした。犯罪現場だから無闇に取材や撮影はさせないということで、この場所から撮るにもニューヨーク市から特別な許可をもらう必要があるんです。僕が出していたワールドトレードセンターの写真集を見せたら、ここに案内されて撮影させてもらえたんです。

 これは下から撮った写真。まだ煙っていて異様な臭いがしていました。商魂たくましい中国人が、周りで屋台を開いて現場の写真を売ったりしていたなぁ。この時にバイトでお世話になったシェフや友達の警官に久しぶりに会いに行ったんです。シェフは現場のすぐ近くに住んでいて、事件の時の話を聞くと「崩壊した後、窓を開けたら塵で一面真っ白だった」と。それからすぐ避難指示が出て、ホームレスの収容施設に避難したらしいです。事件の後も「次はあそこが狙われる」とか色々なデマが流れて大変だったとか。

 今回は「アメリカ編 Part1」として31枚の写真を見ていただきました。懐かしいですね。当時は日本から自由に出国できるようになってから間もない時代だったから、同じように世界に出て行った人たちがたくさんいたんです。ヨーロッパに行った知り合いもたくさんいました。結局ヨーロッパでは食べていけなくてニューヨークに流れ着いて、そうやって再会した同級生もいました。そいつはライン川でじゃがいもを盗んで食いつないでいたらしいですよ。そういった人たちに頼りにされたり、逆に頼ったりしながら生きていました。あそこで生活するなら、そうやって人と仲良くして仕事をもらったり、いろんなことをやっていかないとダメですから。僕だって人付き合いはそんなに得意じゃないけれど、気が付いたらいろんな友達が出来ていました。

 ニューヨークの話はまだまだたくさんあるんです。話をしていると次から次へと思い出します。まだまだ写真はいっぱいありますから、「アメリカ編 Part2」というのをやりましょう。

次回はアメリカ編 Part2


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