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ロンサムな野人たちのかっこいい関係――映画評論家・大久保賢一さんに聞く30年前のこと

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 今日、映画評論家の大久保賢一さんに来ていただいたのは「ロンサム・カウボーイ」についてお聞きしたいことがあったからです。
 今、私たちはカメラマンの佐藤秀明さんと一緒に『ロンサム・カウボーイふたたび』というWeb企画を走らせています。佐藤さんは20日間の滞在で、相当な距離を車で走り、現地での膨大な写真を撮りました。
『ロンサム・カウボーイ』は片岡義男さんが書いた短編集につけられた本のタイトルです。作品の名前ではないです。その短編集に一貫して存在する人間像として「ロンサム・カウボーイ」が貫かれていました。その言葉から生まれるいろんなお話を大久保賢一さんからお聞きしていきたいと思いました。ご自分が感じるロンサム・カウボーイについて……実際に番組や出版に関わった経験をお持ちである大久保賢一さんにお話しいただきます。
 『ロンサム・カウボーイふたたび』特設サイトはこちら

全2回| 12


『荒野より ハードタイムスへようこそ』

萩野 この『ウォーレン・オーツ 荒野より。』(本を指さしながら)大久保さんが執筆されているわけでね。これは、そもそもFM東京の番組が契機となって生まれたものだと聞いています、ちょうど30年前になりますか?

大久保 そうです。80年代のはじめに番組は始まりました。FM東京の番組でした。スポンサーはパイオニアでした。車に積むオーディオを「カーステレオ」という形で売り出していく、そういう時代だったのです。パイオニアと広告代理店とで、ウォーレン・オーツを起用して主演映画の『デリンジャー』と『ガルシアの首』の衣装を着てもらい、映画のシーンのようにCMをつくったんですよね。宣伝ポスターにももちろんこれを使ったのです。
 シリーズものです。歌手のライ・クーダーやウィリー・ネルソン、ジョニー・キャッシュ、映画監督ジョン・ミリアス、作家のカート・ヴォネガット・ジュニア、E.L.ドクトロウ、リチャード・ブローティガンなどが登場しました。彼らが自分の仕事、作品について語り、自分にとってのアメリカについて語るシリーズでした。

萩野 自分のアメリカ、自分の仕事という言葉が出てきましたけれど、これがFM番組『荒野より ハードタイムスへようこそ』に流れていた一本の筋というか、道というものだったのですね。

大久保 はい。自分が小説を書く、自分が映画を作る、自分が演技をする、それぞれの仕事に対する考え方も語るけれども、自分の生まれたアメリカという国、場所について語るっていうそういう企画なんです。
 町で録音しても、住んでいるモンタナの山小屋のなかで録音しても、それが繰り返し荒野へ、砂漠へ、山の中へという形で帰っていくような気配がずーっと続くんですよ。
 つまり大都会と向かい合うような形で仕事はするし人とも付き合う。でも同時に仕事を離れたこっちの時間、自分自身の空間がものすごく貴重なんだと繰り返し語るところがありました。ですから砂漠や荒野は不毛の地っていう風に普通は思われるでしょうけど、本当にそうだろうか? 緑滴る大地っていうのが豊かで……そうではなく枯れているように一見みえる砂漠や荒野というのも、実は空気とか生命とかということからはものすごくクリアで気持ちのいい場所ではないか。生きるには厳しい場所だが、厳しいのは当然ではないか、っていう立ち方を男たちはする、というところがあったのです。ですから、生きやすいところ、快適なところではなくて、厳しい大気の中でどういう風にものを作り、仕事をし、人と付き合うかみたいなことを語っていくというのが番組のコンセプトでした。最初から狙ったというよりはトータルに言ってそういう風になっていったと思います。

 番組名は『荒野より ハードタイムスへようこそ』でした。毎回語り手に英語で「Welcome to Hard Times」と口にしてもらうところからその回が始まりました。この言葉はドクトロウの書いた最初の小説の題名を借りました。ドクトロウは小説『ラグタイム』が評判をとって映画にもなりましたが、『Welcome to Hard Times』も映画になっています。ヘンリー・フォンダ主演の西部劇です。Hard Timesというのはドラマの舞台になる町の名前で、ウォーレン・オーツも出演しています。

萩野 ハード・タイムズって「しんどい時」とかそういう意味じゃ……。

大久保 「今はきついかもしれないけれど、この中でやっていこうじゃないか」ということを含ませて「荒野より」と言ったわけです。場所も時間も含めて、安穏な、安逸な時間ではないけれども、「ここで仕事するぜ」、「ここで生きるぜ」っていう感じの暮らし方に添うように、タイトルは始まって……で、そのように説明したわけではないけれど、登場する男たちはみんな非常にフィットする形でこれまでのキャリアと今のアメリカをどう考えているかを語ってくれたのです。
 だから、あの時ですらめずらしいし、あの後もおそらくないだろう直球の番組を作った、っていう気持ちがあります。変化球でもソフトでもない。

萩野 ストレートでズバッといこうということですね。この番組はFM東京で?

大久保 そうです。当時は新宿にあったFM東京っていう局がやりました。その後TOKYO FMに変わりました。スポンサーはパイオニアです。
 ちょうど、カーステレオっていう当時の商品名に「Cow Boy」じゃなくて「Car Boy」にして……。

萩野 もじっちゃったんですね。

大久保 ですから、片岡さんの本のタイトルから借りてきて、牛を追う男たちのカウボーイ(Cowboy)から「Cow」を「Car」に変えてカーボーイ(Carboy)とコマーシャルを打った。スポンサーと番組内容っていうのは、いろんな形の組み合わせがあると思うけれど、ものすごくぴったりとした、これはグラフィックということを念頭にウォーレン・オーツが出演することでコマーシャルとして決定的になったと思います。荒野に男が一人立って、現場で、実弾撃ったりしてた。

萩野 ああ、YouTubeにCMありますよね。

大久保 そうです。バンバンっていっているあれは実弾なんです。カメラも回っているところで、ウォーレン・オーツがそういう風に演じるということをやって、TVで流した。
 同時に選曲もすごく優れていましたけれど、コマーシャルの音の効果と番組の選んでいく曲の効果、そこで、どういう風に日本語で語るか、まさにウォーレン・オーツが自分の映画の中で語るような言葉が、コピーとして考えられた。CMの言葉としてそれを片岡義男さんが引き受けて朗読をしてくれた。あの声は片岡さんです。

萩野 若いナ、あの声……。
 片岡義男さんが本の帯にも表紙にも推薦文を書いています。やっぱり、「荒野」っていう言葉が彼は好きなんですよね、非常に。小説のなかで、主人公の名前が「荒地三枝子」っていうのがありますよ。

大久保 (笑)

萩野 荒地三枝子は何回か出てくるんだけど、僕の知っているのは、漫画家なんです。そんな若くはないんだけど。

大久保 編集者と下高井戸の店で会うとか、そういうくだりがありますね。

萩野 そうそう、世田谷線のあたりで。いろいろあるんです。荒地三枝子っていう名前を付けるにあたってのきっかけがある。荒地三枝子とつけたことは、「うまくやった」と言っているときも。

大久保 Wilderness! あれは、もうダイレクトにウィルダネスの荒地です。

萩野 よくご存じですね。その通り『蛇の目でお迎え』です。

October 14, 2017 at 1255PM

■『蛇の目でお迎え』はここでお読みいただけます。

大久保 片岡さんは直球という感じがすごくする。

萩野 『ロンサム・カウボーイ』の「ロンサム」っていうのは、たった一人という意味ですよね。カウボーイっていうと集合的なイメージをどうしても、持ってしまいます。むかし『ローハイド(RAWHIDE)』とかテレビの人気番組を見ていたから、一人でいるカウボーイじゃなくて、ごろごろいるカウボーイみたいなイメージを持ってしまうと『ロンサム・カウボーイ』って聞いたときに、なんか不思議な孤独感、寂寥感がある。なんかふと振り返るとたった一人、みたいなね。

大久保 景色がすぐ浮かびますよね。立ってる一人っていう風に思える。
 萩野さんが言ったTV番組の『ローハイド』を僕も同じように毎週見ていた子供でした。
 考えてみれば、集団で連携して仕事していく、だけども一人一人を取り出してみると、すごく明るいっていうのかな。ロンサムをキープしながら……。

萩野 一人一人が自立して、確立している。

大久保 共同作業をするときは、しっかりやる。それぞれを侵さない部分というのもちゃんとある。そういうところにロンサムを感じます。
 僕は、だいぶ後になってから、アメリカのニューヨークで、『天国の日々』、原題は『Days of Heaven(デイズ・オブ・ヘブン)』という映画を見たときに、劇作家のサム・シェパードが出ていました。彼が出演した初めての映画です。姿がすごく『ロンサム・カウボーイ』と感じたナ。彼は大地主だから、馬に乗って牛を追うわけではないけれども、アメリカの大平原……その広いスペースに一人いるっていう姿の対比がものすごく「ロンサム」という言葉にフィットしている気がしました。だから、アメリカ人って職業がカウボーイではなくてもそういう立ち方をする時がいつかある。アメリカの男には何かどこかしらに……みたいなことを感じます。「ロンサム」という言葉は決して「ロンリー」という言葉じゃない。泣きながら言うものとは決定的に異なる、すごくクリーンな、きっぱりした、力も蓄えている、そういう立ち姿というのは、すごくイメージとしてあります。

萩野 片岡義男さんの書いたものを読んだり、彼の姿を見ていたりすると、「ロンサム」というのは個というか、自立している、決して孤立しているんじゃなくて、一人だけどきちっと立っている。そういうことをとても感じます。我々的にはきわめて少ない姿です。なんか、つるんじゃうオレたちワタシたちという対極にある感じがすごくします。

大久保 どんどん時代が進むにつれて、コミュニケーションというのが容易じゃなくなっているから、一人でいることをなかなか許さないっていう環境の中に入ってきている。
 僕たちよりもずっと年下の子供たちを見ると、本当に独自性とか、ひとつひとつの個性とかを尊重してお互い付き合うというよりは、「同じでないと怖い」みたいな、そういう、人とは違うということに対する強い怯えがあるような環境があると思います。

萩野 まあ、そうさせているんでしょうね。明らかにそういう意図があり、扇動しているように感じますよ。

大久保 すごくメディアの力が強烈だと思う。言葉も振る舞い方も、好むものも全部同じになっていく。日本も変わってきたし、アメリカ・外国に対する視線の向け方も変わってきたと思います。

たくらみをにするのが企画だ

萩野 FM東京でやった番組のこと、剛速球企画だとか「やっちゃったんだ」とかチラッとおっしゃったけど、そういう意味でも、個性的な自立した企画、「ロンサム」な企画っていうのが通ったというのがすごい気がします。やっぱり仕掛けた誰かがいたんだろうと。

大久保 そうですね。これはもう個人的な、誰と誰とが企んで企画を通してということがなければ、絶対に標準的な平均的な……そういう形で成立したものとは全然違う。聞いている人の動向とか、数字とかに頼って作った番組ではないし、音楽をかける、語りが入る、そういういろんな番組があるとは思うけれど、男たちをずらっと並べて、それも“むくつけき”ですよ。決して若くもないし、誰でも知っているポピュラーなタレントでもないし、それぞれのジャンルでゴリゴリとすごい仕事をしてきたベテランが、自分のことを渋く語る。
 よく通ったと思います。でもそれは、意識的な番組だったからこそ、聞いている人たちも30年経ってもやっぱりすごく覚えていてくれるわけです。こういう曲がかかって、こういう言葉があったよねってネットでやりとりをしているのを目にすることがあります。覚えている人たちは、非常にはっきり記憶してくれている。

萩野 中心にいたのはどなたなんですか?

大久保 番組のディレクターは当時のFM東京の馬場葉子さんでした。僕はアメリカ取材で語り手の一人一人の言葉を聞きとり、彼らの言葉を日本語に訳しました。毎回のアメリカ取材では制作会社ジェイ・プラネットのうきかねさんが現場のディレクターで、放送台本の構成も浮田さんでした。そして番組の企画から、登場する語り手の選択や台本の構成には、当時FM東京の社員ディレクターだった桶谷裕治さんが関わっています。僕のパートナーの森山京子が、当時FM東京でDJをしていたので、彼女を通して僕は浮田さん、桶谷さんと知り合いました。番組のスポンサーのパイオニアのコマーシャルに映画俳優のウォーレン・オーツを起用し、番組の一人目の出演者をオーツにすることを企画提案したのも浮田さん、桶谷さんでした。彼らが「大久保さんに」と仲間に入れてくれたのです。桶谷さんはその後、世界初のデジタルラジオ放送『セント・ギガ(St.GIGA)』の立ち上げにも関わりましたが、若くして亡くなりました。彼は『荒野より』の番組のコンセプト、方向性を出してくれた人でした。

萩野 取材は長時間にわたって喋ってもらったのでは?

大久保 そうですね。様々なテーマについて語ってもらって数時間。それが一日で終わるときもあれば、何日か泊まりこんだときも。リチャード・ブローティガンのときは、彼の希望でモンタナの家に泊まりこみました。滞在中に彼が「友達の家に行こう」というので一緒に行ったらそれが同じパラダイス・ヴァレーに住むピーター・フォンダの家でした。放送の一回分『彼は僕の友達』はピーターの家で録音したものから作りました。偶然、その場に俳優のジェフ・ブリッジスもいて、聞けば、モンタナで撮影した映画『天国の門』に出演した後、こっちに家を建ててしまったと。あの映画は監督のマイケル・チミノが西部の街を丸ごとひとつ、本建築の家を並べて撮ったのです。普通の映画ならカメラが写す正面だけそれらしく作るのが常道ですが、チミノは見えないところもしっかりした家を建てた。それで、という理由ばかりではないですが、映画会社ユナイテッド・アーチスツは破産。ジェフは撮影後に解体する家が「もったいない」と一軒分の建材を引き取って自分の家を建てた。
 だからモンタナの渓谷、パラダイス・ヴァレーには、小説家がいる、カントリー・ミュージシャンがいる、俳優も詩人もいる、ということになったのです。

仕掛けている本当の顔とは……?

大久保 番組には出演していませんが、しばらく前に亡くなった俳優のハリー・ディーン・スタントンが、実は出演者の何人かをつなぎ合わせているんです。

■雑誌『Switch』の表紙を飾るハリー・ディーン・スタントン

 パラダイス・ヴァレーには、ウォーレン・オーツ、サム・ペキンパー、ピーター・フォンダ、ジェフ・ブリッジスといった映画人のほかに作家のトーマス・マグウェインや画家のジェームズ・バーマも隣人だった。ハリー・ディーン・スタントン自身はモンタナに家を持つことはなかったけれど、映画人たちをモンタナに呼び寄せたのは彼だったのです。オーツが来たのもモンテ・ヘルマン監督の映画『コックファイター』で共演したハリー・ディーンに誘われたからです。
 パラダイス・ヴァレーに住むリチャード・ブローティガンの家に行ったとき、前の小道から入ったところにある大木の幹に、巨大な角材を並べた馬車の荷台が立てかけてあって、「あれ何?」とリチャードに尋ねると、「ハリー・ディーンが置いていった。プレゼントだ」と。近づいてみると荷台の端に小さな真鍮のプレートがピカピカと光っていて、“Harry Dean Stanton’s Coffee Table”の文字が刻まれていました。
 ハリー・ディーンは19歳で海軍兵として沖縄に上陸しています。何も分からずに行って、自分たちが何をしたかを知って帰ってきて……話し始めたのがその沖縄戦のことだった。
 だから日本に対して複雑な思いがあると言ってました。そのことが、力の行使、それと向かい合う「個」のあり方について思い巡らすことにつながったとも。60年にわたる俳優としてのキャリア、出演作品は結構あります。ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』やデヴィッド・リンチの『ストレート・ストーリー』など、主演・主演級もあるけれど、多くは脇役でね。Shadowy Face(顔に影が落ちている)と評されてきました。集団の中にあっても「和して同じず」。
 コミュニケートすることはやぶさかではないが、一人でいても平気だ、という流儀は関わった多くの人間から信頼されることになったわけです。
 もう一つ、サム・ペキンパーやウォーレン・オーツのような映画人たちが、ロサンゼルスからこちらに、自分の好きな場所を持った理由というのがあると思うのです。その頃の映画の作り方が、やっぱりすごく変わりつつあった時代で、スタジオの職人とか、古強者ふるつわもので、気難しい。けれどこういう人間たちがすごい映画を作っていた時代から、ニューヨークの本社のビジネスマンが全部仕切って言われたとおりにロスが現場がやるという形になりつつあったのです。ハリウッドが映画会社のものではなくなり、業界外から参入した資本が映画を牛耳るようになった時代、否応なしに「市場」「データ」が優先される時代。ビジネスマンの「パワーランチ」といったものがどうにも肌が合わなかった野人たちがいたんですね。オーツに誘われてパラダイス・ヴァレーに山小屋を立てたペキンパーはその最たるものでした。

■サム・ペキンパー

 モンテ・ヘルマン監督の鶏を闘わせる闘鶏、それを仕事にしている男を描いた、『コックファイター』という、これの主演がウォーレン・オーツですけど、ハリー・ディーンが共演していて、二人が仕事が終わって、「じゃあな」っていう時に、「俺これからモンタナ行くからおまえも後から来ない?」ってハリー・ディーンが言ったことで、ウォーレン・オーツはそれまで知らなかったモンタナに遊びに来てすごく気に入っちゃって、それからサム・ペキンパーも来てしまった。

萩野 ほんとですか!

大久保 ハリー・ディーン・スタントンは不思議な人です。あの番組にも、それから「荒野」というコンセプトにも、「ロンサム」ということにも、すごくつながる個性の人です。常に一人なんですよ。群れない人です。
 無愛想に「プレゼントだ」と言ってどさっと下ろしていった巨大な“Coffee Table”、あのテーブルのように、いろいろな奴が訪れてはひとしきり話しては去ってゆく、そこにいる間は自分を作らなくていい。そんな「場」がハリー・ディーンだったのではないか。モンタナのあのブローティガンの家の前にあった荷馬車の台……思い出しますよ。

萩野 ブローティガンて、『アメリカの鱒釣り』ですよねぇ。

大久保 結局、荒野であり、ロンサム、一人で立って平気である、その気持ちよさも過酷さも引き受けられるという男、まあ人間っていうふうに言ったときに、ある意味で、ハリー・ディーンの場合はテーブル。彼自身が一つのテーブルかもしれない。つまり、いろんな人が集まってきて、テーブルのことを気にしないで、お互いに初対面だったり、やり合いしたりして、また散らばっていく。いつでもテーブルはそこにあって、平気な顔で人を迎えているみたいな。だからコーヒーテーブルというのは、言いえているんだろうね。それは決してアスファルトのビルディングにあるものじゃなくて、風の吹き曝しの屋外にあって、パーティーのテーブルかもしれない。場所ということを考えるなら、いろんな人間が通り過ぎてもいくし、そこに一時とどまるということでもあるし、モンタナという渓谷を大きなテーブルとしてハリー・ディーンにきっかけを与えられて何人もがそこを知るようになったことも含めて、常にそこは安逸な避難場所ではなく、クリーンだが厳しい風も受ける、それを承知でテーブルの周りに集まってという感じもするんです。荒野であり、たった一人であることを了解してるお互いがその時だけは一緒にいるというね。

萩野 かっこいいね。かっこいい関係だね。

大久保 いいなと思いますね。

萩野 片岡義男さんが、その番組にしろ、一連のシリーズにしろ、なにか関わったことはあるんですか?

大久保 桶谷さんが生きていればもっと正確なことが話せただろうにネ……亡くなってしまった。片岡さんの了解をいただくために、ロンサム・カウボーイを「カーボーイ」として使わせてくださいということはお話ししたんです。この本に対してこういうかたちで言葉を下さったのも、それ以前にコマーシャルに出演したことも含めて、片岡さんとの関係は浅からぬものがあったはずです。

萩野 じゃあ桶谷さんは片岡さんとは会ってるんだ。

大久保 会ってると思います。

私たちは何かでつながっている

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萩野 そもそも、今話しているこの場はウェブサイト片岡義男.comですからね。「ロンサム・カウボーイ」はそのキーワードです。これに関わるお話なら、なんでも片岡義男.comの読者に届けていきたいという一心です。写真家・佐藤秀明さんの渡米がきっかけで今日の話になったのですけど、片岡義男さんも佐藤秀明さんも長い関係で、元をただせばロンサムという同じ根っこでつながっていると言ってもいいでしょうから。お聞きしてきた話は共感というか、共振するものがあるでしょう、きっと。

大久保 僕らもアメリカに興味を持って育った世代です。さまざまなアメリカとの関係、影響を受けたもの、世代によってあると思いますが、僕らの世代なら、音楽ならビートルズから、ビートルズに影響を与えたアメリカのブルースミュージシャンというかたちで、たどっていくわけです。紙の本でいえば、僕は片岡さんたちの紹介するアメリカの影響下にすごくあった。主に雑誌ですよこれは、その時自分がどんな雑誌を読んできたかに決定的に影響されると思うんですよ、十代というのは。僕の場合は『ポパイ』もそうでしたが、『ワンダーランド』『宝島』という、非常に奇妙な不思議な雑誌が同時にあって、その影響はすごく受けている。

■雑誌『ワンダーランド』

萩野 『宝島』はもともと『ワンダーランド』ですからね。

大久保 『ワンダーランド』があって、その後に『宝島』ですね。あのカバーのデザインやレイアウトも含めて、内容の情報に限らず、全部に影響を受けた世代だと思います。片岡さんたちの仕事を通して僕たちはアメリカを手に入れていた。そのニュアンスとしての空気とか、「ロンサム」というニュアンスも、頭ではなくて肌で受け取っていた面があった。そういう何人かが、浮田さん、桶谷、僕が番組を作ることになった時、パイオニアにどういう風に提案しようかという時に、『ロンサム・カーボーイ』とやってしまったわけです。つまりスポンサーが導入する新商品をどういうキャッチコピーでコマーシャルを作るかという時に、普通ならコマーシャルのメインのキャッチコピーにそんな風に「カウボーイ」を「カーボーイ」になんて出てこないと思うんです。担当のパイオニアの加藤さんという方と桶谷が仕掛け人ですよ。

萩野 パイオニアの宣伝部ですか加藤さんという方は?

大久保 そうだと思います。そして加藤さんがライトパブリシティをCM制作の会社としてチョイスして、最高の作品ができた。桶谷と加藤さんの話し合いが成立。その場には当然、制作ディレクターとしての浮田さんも立ち会ってますけど、この2人が意気投合したことが始まりだと思います。その2人の背景には、意識、経験として片岡さんが紹介してきたアメリカの風景というものがはっきりあった。そうでなければ、あのコマーシャルは出てこないです。

萩野 あのCMはちょうど82年でしょ? 81年に僕はパイオニアに新聞広告で入った。同じ頃だったんだね。その時、パイオニアはレーザーディスクを市場導入している。レーザーディスク、そしてカーステレオの『ロンサム・カーボーイ』と。かっこいいモノへの人の憧れをテコに商品開発をする会社だったのでしょう。その一つとしてレーザーディスクがあったと思うんですよ。レーザーディスクの場合は、コンテンツの中味は映像でしたから、これをどう集めるかは音楽とは別種の難儀がともなう、そんな中で憤死してしまったのだと……今になれば冷静に思うことができます。僕はパイオニアでレーザーディスクのコンテンツ担当として、あの時、こういうことでは面白くない、『サウンド・オブ・ミュージック』だ『スターウォーズ』だと、みんな知ってる映画じゃなくて、見たことのないような映画を見ることはできないのかと、ひそかに大久保さんに接近していったんですよ。話はずっと戻っちゃうけどネ。あなたに何か面白い映画はないのかと聞いた。そうしたら、あなたがいみじくもさっき言った『天国の日々』、これがいいんだと言った。どこにもなかったそれは、日本でも公開されてなかったですからね。

大久保 劇場公開されたのは数年後、いや十数年後でしたかね。でも、いったん日本の若い観客が見たら、ものすごく強烈に印象に残りますよ。今だって私たちに届けられていない面白いものは山ほどあります。外国映画の日本公開の形は本当に変わってしまって、選りすぐるなんてことは全然ないんです。すごく、限られたものしか入ってないですね。だから、ニュアンスの面白い「インデペンデント」のとんがっていたり、異色だったりする面はふるい落とされると思います。都会の安全なロマンスはOKですけど、それこそ荒野に、荒々しい、間違ってないけどねじれたものとかはフィルターをかけられてしまう。時代によって作られる映画の傾向は変わるとは思いますけどね。

萩野 だから先ほどそのハリウッドの映画人で、くせがあって、腕がよくて、したたかなものを作っていく人たちがパワーランチに喰われていったとは言いえて妙です。あれから30年、40年たって、映画に限らず喰いつくされてみんなこんな風潮・風俗になってしまった。

大久保 ビジネスは絶対、安全に最大の利潤という形で動かされると思うんですが、それが30年たって逆の巻き返しの時を迎えはじめている。パワーランチは通用しなくなって、今改めてまた「個性的な映画を」という風になっている……繰り返しているのかナ。
今すごく面白いアメリカのインデペンデントの監督たち、顔ぶれは多彩ですが、非常に小さな規模でしか、彼らの作品は公開されないし、ウォーレン・オーツやペキンパーやその時代の映画人たちからすれば、息子どころか孫に近い世代の監督たち。それでもユニークな映画を作ってる。日本にかつてたくさんの映画がどーんと来てる時には、非常に不思議な、奇妙な、荒々しいものも交じって来ていたのが、今ははじかれてしまっている。でも、その当時の映画を知っている個人が立ち上げた配給会社なんかが、ミニシアターを含めて自分たちがやり始めている。アップリンクやユーロスペースなんかもそういう形をへて続いている。言葉を含めて、読み手、あるいは観客とどうつながるかというのが、もう1回、新しい形になってきてると思います。

第2回は11月13日(月)公開予定


2017年11月6日 20:47