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片岡義男で「戦争」「戦後」を読む

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2020年8月15日、日本は75年目の終戦の日を迎えます。1939年生まれの作家・片岡義男はまだ幼い子供として、戦中戦後の一時期を祖父の住んでいた山口県岩国市などで過ごしました。当時のことはいくつかのエッセイで触れられていますが、今回は当時の日本とアメリカ、戦中戦後の記憶、戦後数十年を経て日米の関係について考察した作品など9本をご紹介します。

大変なときに生まれたね

『大変なときに生まれたね』
1975年の夏、片岡義男はあるFM番組の取材で、作家・横溝正史にインタビューをしています。その際に横溝から生年(1939年)を聞かれ、その時に言われた言葉がこのエッセイのタイトルとなっています。当時、日本は日中戦争の真っ只中でした。文中では歴史年表から当時の「食」を中心とした項目をピックアップしつつ、当時の「大変さ」を追体験していきます。そして、その大変さを国民に強いた日本政府は今も消滅しておらず、また同じことをやるだろう、と警鐘を鳴らしています。

白い縫いぐるみの兎

『白い縫いぐるみの兎』
1945年2月。5歳だった片岡義男は両親とともに、東京から祖父のいる山口県岩国市へと汽車で旅をします。それは日本の敗色濃厚な中で空襲から逃れるための疎開でした。その裏には「婆や」と呼ばれていた若い乳母の、懸命な働きがあったことを、ずっと後になり母から聞かされます。

結束してこそ我らは建つ。一九四二

『結束してこそ我らは建つ。一九四二』
アメリカはその建国時から「理想の国を自分たちで作る」ことを理念として掲げてきました。その推進力の源泉は「利潤を求めて突進を続ける」資本主義にあります。そしてその背景には「科学的な合理性」という武器と「結束」が常にありました。それは戦争という営みで大いに発揮されることになります。

ワンス・アポナ・タウン

『ワンス・アポナ・タウン』
1940年代、アメリカ大陸の東西を結ぶ鉄道の中間点にあったノース・プラット駅は、戦線へ向かう兵士たちを乗せた列車が必ず通る場所でした。そこでは地元の人たちが食事を無償で振る舞い、駅はキャンティーン(軍関係者のための飲食や娯楽施設)としての機能を持つようになります。アメリカの農業国としての底力を示すエピソードですが、この時期日本では多くの国民が食糧難に耐えていました。しかしその往時のアメリカも今はもうどこにもないようです。

その光を僕も見た

『その光を僕も見た』
1945年の夏、片岡義男少年は山口県岩国市に疎開していました。8月5日の朝、屋外で背後から前方に向けて一瞬走り抜けた「明るい光」を感じます。そしてその日の夕方、東の空に異形の「雲」を見ます。朝、感じた光が何であったかは説明不要でしょう。
「この光だけは過去にならない。だから僕はいまもこの光の中にいる」

ジープが来た日

『ジープが来た日』
戦後のアメリカ占領下の日本を描いたドラマで、アメリカ軍は必ずと言って良いほど「ジープ」に乗って登場します。ジープは、第二次世界大戦中にアメリカ軍の軍用車両として開発され、世界中の戦闘地域を走り抜ける、アメリカ軍の象徴とも言える存在となりました。ジープという車は、ひょっとすると戦後の日本の自動車産業にとってひとつの「お手本」だったのかもしれません。

占領とヌードル・スープ

『占領とヌードル・スープ』
終戦直後、六歳の片岡少年は疎開先の瀬戸内の町に住んでいました。しかし父親の仕事の関係で、個人的には非常に身近なところにアメリカがあり、そのひとつが輸入された食品の箱と缶でした。それらは遊び道具としてもってこいのものだったようですが、その一方で幼い子供にも日本は占領下にあることを認識させるに足るものだったようです。

僕の国は畑に出来た穴だった

『僕の国は畑に出来た穴だった』
昭和22年11月7日の午後に瀬戸内海全体を撮影した1枚の航空写真。撮影された当時、片岡義男はその写真の中に確かにいたと言います。そしてその写真は疎開先の瀬戸内の町で、戦後に見た丸い池や、それらにまつわるさまざまな記憶を呼び起こします。あれから50年、日本という国のシステムはその間に起こった様々な問題に対し、うまく機能してきたのでしょうか? 1997年に書かれた長編エッセイです。

「真珠湾」よりも大切なこと

『「真珠湾」よりも大切なこと』
戦後の日本はひたすら経済活動に邁進し、世界に類を見ない復興と経済発展を遂げました。諸外国との間でも経済を主軸とした関係を築けば事足りましたが、これからは文化全体、すなわち「言葉の関係」に入らざるを得ず、相手に対しても自分に対しても、ドアを大きく開く機会を作らなければ進むべき道はない、とこのエッセイの中で片岡義男は述べています。そこには真珠湾が教えてくれる「ひとつの事実」があると言います。真珠湾攻撃から50年後の夏に発表されたエッセイです。


片岡義男が太平洋戦争前後の時代を背景として、あるいは戦後をキーワードとして綴ったエッセイは他にあります。「太平洋戦争」「戦後」などのキーワードで検索して見てください。

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