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言葉で見つめなおす「日本」のカタチ

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作家・片岡義男はハワイ移民である祖父と日系二世の父親を持ち、日本語と英語、2つの母語と文化で育ってきたというバックグラウンドを持ちます。そして書き手として1970年代後半以降、アメリカ文化やサーフィン、オートバイなどに関するエッセイや小説を次々と発表します。今も多くの方が持つ「片岡義男」のイメージのルーツのひとつは、ここにあると言って良いでしょう。

その後、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、片岡はいくつかの長編評論を上梓します。この時期、アメリカは1991年の湾岸戦争に始まり、アフガニスタン侵攻、イラク戦争と立て続けに戦争の当事者となりました。そして日本にも日米同盟を盾にその都度「行動」を要求してきました。それらを伝える(主として報道を通して届く)「言葉」を手掛かりに、片岡義男はアメリカとは何か、日本とは何か、そして日本とアメリカの関係とは……といったテーマに自らの「言葉」で切り込んでいきます。

今回ご紹介するエッセイはどれも今から15〜20年以上前に書かれたものばかりですが、その内容は、今まさに現在の日本の社会が抱える課題や、置かれている状況について語っているような錯覚に襲われるものばかりです。あなたの持つ片岡義男のイメージが、少し変わるかもしれません。


主体でも客体でもなく

1)主体でも客体でもなく
ある辞書によると「主体」とは「行為・作用を他に及ぼすもの」、「客体」とは「その行為や作用を及ぼされるもの」と解説されており、これは西洋的かつ科学的な考え方です。日本は近代化の過程で技術としての科学は受け入れたものの、科学の精神は受け入れなかったとも言われており、その結果として、社会を支える基本的なシステムが科学であることを知らずに現在に至ったようです。グローバル化が進み、世界と日本との距離がこれまで以上に近くなった今、主体と客体の問題はもう一度考えてみる必要があります。
(『日本語で生きるとは』筑摩書房、1999年所収)


ワシントン・ハイツの追憶

2)ワシントン・ハイツの追憶
「ワシントン・ハイツ」は戦後のアメリカ占領下で東京・代々木に作られた米軍の施設で、軍の兵舎や軍関係者の家族用宿舎などがありました。1964(昭和39)年に日本に返還され、改修ののち東京オリンピックの選手村として使われました。そのいきさつについては昨年NHKで放送された大河ドラマ『いだてん』でも詳しく語られていたので、ご記憶の方もあるでしょう。
片岡義男は1958年に撮影されたワシントン・ハイツの空中写真の中に「科学的な計画ぶり」を見出します。そして戦後の日本が、いまだアメリカから学んでいないものとして「科学性」を挙げています。
(『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス、2004年所収)


「不断の努力によって」

3)「不断の努力によって」
日本国憲法の第十二条は「自由及び権利の保持義務と公共福祉性」について書かれており、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって保持しなければならない」としています。この「不断の努力」とは、どういったものなのでしょうか。憲法が制定された当時には想像もしなかったような事態が次々と発生しうる現在、私たちはどのように自分たちの基本的人権を守っていくべきかについて考えます。
(『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス、2004年所収)


第九条

4)第九条
小学一年生当時、片岡少年は先生から「天皇は日本の国のシンボルです」と教えられ、「シンボル」よりも「象徴」の方がいい、と思ったそうです。長じて法学部に進んだ彼は、日本国憲法そのものよりも、その成立プロセスに興味を持ったと言います。
ここ数年、憲法改正に関する話題は珍しいものではなくなりましたが、このエッセイでは1991年の湾岸戦争を契機に湧き上がった「憲法第九条」にまつわる論議について、その歴史も追いながら考察しています。ぜひ日本国憲法の条文を見直しながら読んでみてください。
(『日本語の外へ』筑摩書房、1997年所収)


世界はただひとつ

5)世界はただひとつ
太平洋戦争後の日本の国家システムや経済発展は、米ソ冷戦で優位に立とうとするアメリカの方針のもとで進められました。日本経済は右肩上がりを続けますが、その結果として、日本国内が世界のすべてだという考え方、ありとあらゆることが日本語で間に合う社会が強固に出来上がったと、片岡義男は考えます。そしてそれは「日本語の使いかたや自覚のありかたに関して、恐ろしいまでにただひとつの方向へと傾き続けた時代」であったと。
戦後の経済発展に伴い発生した、国内のさまざまな問題や課題を「日本語」という言葉の持つ特殊性から見つめ直した評論です。
(『日本語で生きるとは』筑摩書房、1999年所収)


嘘と隠蔽の国

6)嘘と隠蔽の国
「噓と隠蔽の国」とは、穏やかなタイトルではありませんが、これは1999年に刊行された『日本語で生きるとは』(筑摩書房)の中の一編です。この中で片岡は、日本語の持つ基本的な性能のひとつとして「ひたすらなる列挙」を挙げ、さらに日本人による日本語の使われ方のもっとも特徴的なものとして「主観に関わる部分」を挙げています。そして、このことが主観と客観、言い換えるならば「本音と建前」のダブルスタンダードという強力なあり方を生み、それが戦後の日本がひとまず到達した地点である、としています。
(『日本語で生きるとは』筑摩書房、1999年所収)


大統領命令と日本

7)大統領命令と日本
アメリカ大統領にはさまざまな権限がありますが、そのひとつに軍の最高司令官(コマンダー・イン・チーフ)としての顔があります。その意味においては、ホワイト・ハウス自体もひとつの軍隊であり、アメリカの安全を守るための「命令」は軍事同盟を結んでいる日本にも及ぶ、と彼らが考えるのは当たり前のことなのかもしれません。しかしそれは、一方で、日本の安全を脅かすことになるのかもしれません。
(『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス、2004年所収)


日本の主権のなかにあるアメリカ

8)日本の主権のなかにあるアメリカ
2003年3月に勃発した、イラク戦争終結後の復興支援として、日本は総額50億ドルの拠出を決定。その少し前、アーミテージ国務副長官(当時)は、日本からの支援額について「たいそう気前のいいものとなるのは間違いない、と期待している」と語りました。「たいそう気前のいい(クワイト・ジェネラスーquite generous)」という部分を日本側は「寛大な」と訳しましたが、意図的な誤訳だったようです。副長官がこのような言い方をした背景には、1960年に発効した日米安全保障条約があり、それは半世紀以上経った今もなお、多くの課題を私たちに突きつけています。
(『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHKブックス、2004年所収)


内容のある良き忠告

9)内容のある良き忠告
2020年3月に外務省が発表した、「アメリカにおける対日世論調査」によると、有識者・一般人ともに「アジア地域の中で、日本はアメリカにとって最も重要なパートナーである」とした人は全体の最多割合を占めました。しかし安全保障・軍事面においてこのパートナー関係は「=(イークオル)」なのでしょうか? 湾岸戦争、同時多発テロ、イラク戦争と、日本はアメリカの要請に応じてさまざまな支援や派兵を行ってきましたが、それを経て現在「内容のある良き忠告」をアメリカに対してできるほどの関係になったのでしょうか?
(『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHKブックス、2004年所収)


現実に引きずられる国

10)現実に引きずられる国
2003年8月、当時の小泉純一郎首相は自民党に対して、2005年11月までに党の憲法「改正」案をまとめるよう指示しました。結果として小泉内閣時代に憲法が改正されることはありませんでしたが、当時の現行憲法、特に第九条について改正が必要な理由として挙げられていたのが「今の現実に合わなくなったから」というものです。このことはその後の改憲論議でも繰り返し引き合いに出されており、もはや聞き飽きた、という人もいるでしょう。
しかし片岡義男は、2004年に綴ったこのエッセイの中で「憲法を改正した日本は、現実に引きずりまわされる国となる」と警鐘を鳴らしています。
(『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス、2004年所収)


「解釈憲法」の命日となる日

11)「解釈憲法」の命日となる日
「日本国憲法第九条と自衛隊の関係」は、自衛隊の前身である警察予備隊発足の頃から常に議論の的となってきました。日本では半世紀以上にわたってこの第九条の「改正」ではなく「解釈」の変更で国際社会、特にアメリカとの関係に対応してきました。このエッセイが書かれた2003年は、アメリカが大量破壊兵器の査察を拒否したイラクに対し多国籍軍を結成し、日本に対しても地上部隊派遣を求めた年です。当時の小泉内閣は特別措置法を成立させることで、この事態に対応しました。それから11年、2014年7月1日になされた集団的自衛権に関する新たな閣議決定は、まさに「(それまでの)解釈憲法の命日」だったのかもしれません。
(『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHKブックス、2004年所収)

2020年4月24日 10:00