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「解釈憲法」の命日となる日
二〇〇三年十一月十九日  一九四六年の六月、当時の吉田首相は、「憲法第九条は自衛権の発動としての戦争も交戦権も放棄した」と明言している。日本でいまだに続いている「解釈憲法」の歴史は、このあたりから始まった。二年後、一九四…
[エッセイ]  2017年5月3日 00:00
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「の」の字のコレクション
 五年ほど前、古書店のカタログを見ていて、思いついた。なんとかのかんとか、というふうに「の」の字ひとつによって、なんとかとかんとかが結びつけられているタイトルの本を買う、という遊びだ。半分までは本気だが、残りの半分は冗談…
[エッセイ]  2017年4月27日 00:00
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『山の音』
──失われた日本、消えた昭和。半世紀以上も前の映画に触発されて蘇る、淡い記憶の数々。  一九三五年(昭和十年)に『乙女ごゝろ三人姉妹(きょうだい)』、そして一九五一年(昭和二十六年)には『舞姫』と、成瀬巳喜男は川端康成の…
[エッセイ]  2017年4月26日 00:00
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日本のMの字
     三八ページ*〔写真・右〕と三九ページ〔左〕の、どちらの写真においても、撮っているときにはまったく意識しなかったのが、安価なハンバーガーの店のMというローマ字のロゴだった。このMの字が、いまの日本のこのような光景…
[エッセイ]  2017年4月24日 00:00
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世界はすべて片仮名のなか
 日本語には片仮名という書きかたがある。どんな外国語であろうとも、おおよそのところでよければ、その音を片仮名で表記することが、じつにたやすく可能だ。僕の好きな冗談のひとつに、全篇を片仮名書きした『風とともに去りぬ』という…
[エッセイ]  2017年4月23日 00:00
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平成十一年の五つの安心
 平成十年に日本で首相を務めている人物が、自らを「ヴォキャ貧」であると評したことは、日本にとって記念すべき出来事だ。戦後の五十数年を体験してきた日本がついに到達した、マイナス領域におけるひとつの頂点だ。  平成の十一年め…
[エッセイ]  2017年4月21日 00:00
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主体的に判断しながら様子を見る日本
二〇〇三年十月二十九日  いわゆる国際社会、つまり世界各国の複雑微妙な関係の重なり合いのなかで、日本はどのような考えにもとづいてどの位置に立ち、どんな方向に向けてなにをしようとしているのかといったことがらをめぐって、次の…
[エッセイ]  2017年4月20日 00:00
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言葉はきわめて人工的に身につく
 言葉というものは誰もがいつのまにか自然に身につけていくもの、と信じて疑わないのが日本人だ。生まれてからの自分の身辺に続く日常生活という成りゆきのなかで、人は言葉を覚えていく。三歳児になると二千語を覚えていて、三歳児なり…
[エッセイ]  2017年4月19日 00:00
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ペラペラとはなにだったか
 英語がペラペラ、という言いかたがある。なにを言っているのか自分にはわからないが、日本人が外国人と英語で滑らかにコミュニケートしている状態に見えるとき、その日本人の英語はペラペラである、と表現されてきた。まったくたいした…
[エッセイ]  2017年4月17日 00:00
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作家とはなにか
 日本の書き手によって小説が書かれるとき、ごく一般的に言って、舞台は日本そして時はいまとなる。過去を舞台にした物語でも、書き手はいまの日本の人なのだから視点はすべて現在にあり、したがって過去のことを題材にしてはいても、語…
[エッセイ]  2017年4月15日 00:00
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縦書きか横書きか
 メモや下書きを書くとき、僕は横書きしている。いつ頃からそうだったのか、もはや自分にもわからないほどのずっと以前から、メモや下書きのようなものすべてを、僕は横書きにしてきた。あらゆる文章を横書きするわけではない。メモや下…
[エッセイ]  2017年4月14日 00:00
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主体でも客体でもなく
 鎖国という制度を終わりにして開国したとき、日本は西欧から技術としての科学を受け入れ、科学の精神のほうは受け入れなかった、としばしば説かれる。多くの人たちが、何度も繰り返して説く。そしてまともな反論を、少なくとも僕は見て…
[エッセイ]  2017年4月13日 05:30