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ガールたちの戦後史
 ガールという言葉は、それ単独では、日本語として定着していない。日本におけるガールの始まりはモダン・ガールだと思うが、たとえばこの例のように、なにか別の言葉と結びついて、ガールは日本語のなかに組み込まれてきた。このモダン…
[エッセイ]  2017年4月10日 05:30
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一九五七年の春をさまよう
 知らない町を歩いていたら古書店があった。入ってみた。古書と呼び得る本と最近の本とが、半半にある店だった。よく探せば買いたい本は何冊かあるだろう。壁に沿った棚の前には平台があり、雑誌が積み上げられてならんでいた。そのいち…
[エッセイ]  2017年4月9日 05:30
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あのトースターの謎を解く
 一九五十年代のなかばに自宅で使っていたトースターを、解けないままに残ったひとつの小さな謎として、いま僕は思い出している。アメリカ製であったことは間違いない。確かサンビームという会社のものだったと思う。本体の両端に底と一…
[エッセイ]  2017年3月27日 05:30
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察し合いはいかに変形したか
 思いやり、という言葉が日本で死語になる日が来るだろうか、と僕は自問する。思いやりという言葉はとっくに死語になっている、と僕は答える。思いやりとは、なにか。思いをやることだ。自分の思いを、他者にやること。やるとは、おこな…
[エッセイ]  2017年3月26日 05:30
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なにも言わない人(2)
前回|1|  他者との関係ごとに相手および自分の呼称を変化させつつ、自分への利益の誘導にかまけ続け、したがって現実と立場とを離れることのついにない、小さな小さな自分という人。そのような人が、日本語世界で日本語を使う、最小…
[エッセイ]  2017年3月25日 05:30
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なにも言わない人(1)
 戦後の日本人にとって、人生とは会社に勤めることだったようだ。なんらかの会社組織に雇用されてそこに所属し、仕事をして給料をもらい、なおかつ生活のほぼ全領域を会社に依存させること、これが戦後の日本人の人生だった。どこからも…
[エッセイ]  2017年3月24日 05:30
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赤い矢印文化圏
 東京のどこを歩いても、とにかくいたるところに赤い矢印がある事実を認識している人は、思いのほか少ないのではないか。数は多いしどこにでもある、そして多数の赤い矢印がどこにでもあることが当然のようになってもいるから、視覚では…
[エッセイ]  2017年3月23日 05:30
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性悪説でいこうか
 監視カメラの設置される場所が急速に増えている。集合住宅のエレヴェーターとその周辺、商店街や歓楽街のあちこち、ATM、コンビニ、駅や空港、駐車場など、それぞれの管理者が、そこを利用する人たちの安全や安心、あるいは防犯のた…
[エッセイ]  2017年3月22日 05:30
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なにもしなかった4年間(1)
 高等学校の三年生という状態が終わりに近づくにつれて、卒業出来るのかどうかの問題が、僕の前に立ちあらわれてきた。このこととその顛末については、すでに書いた。卒業できるかどうかの問題をかたわらに置くと、つまり卒業は出来ると…
[エッセイ]  2017年3月18日 05:30
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「と思います」をめぐって
「私は作家になりたいと思います」という言いかたのなかにある、「と思います」の部分は、少しは日本語がわかるという段階の英語世界の人たちには、なかなか理解しにくいようだ。作家になりたい、ということを思うとは、どういうことなの…
[エッセイ]  2017年3月14日 05:30
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体に悪い日本語
 体に悪い食べ物、というものは確かにあるようだ。ごく普通の食べ物だと思われていて、多くの人が日常的に食べているけれど、そのまま食べ続けるとやがて体のあちこちの機能を損なう、という性質の食べ物だ。このような食べ物を中軸のひ…
[エッセイ]  2017年3月13日 05:30
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過去と未来から切り離されて
 自分、という人にとって、いちばん楽なありかたは、どのようなありかただろうか。自分、という人は、この自分自身という意味ではなく、いまの日本に生きている人たちのひとりひとり、というほどの意味だ。  自分という人の基本は、な…
[エッセイ]  2017年3月12日 05:30