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1月6日|ホノルルのムサシヤ・ショーテン|アロハ・シャツの歴史を旅する

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1月6日|片岡義男エッセイ365|アロハ・シャツの歴史を旅する

 おはようございます。エッセイ配達人です。

 アロハ・シャツについてのエッセイは、単行本未収録のものを含めると10編近くありますが、今日は特に歴史について取り上げた一編です。

 アロハ・シャツ(ハワイアン・シャツ)の誕生は1920〜30年頃といわれますが、これには日系移民の文化も深く関わっています。エッセイ末尾に登場するトミー・スティールの『The Hawaiian Shirt: Its Art and History』には、1920年代のはじめに、ハワイ大学のある学生が竹や雪模様の入った浴衣生地のシャツを着て注目を浴びたという証言が収められています。

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Tommy Steele,The Hawaiian Shirt: Its Art and History, Abbeville Pr, 1984.[amazon日本]

 さらに遡れば、アメリカの開拓者が着ていた作業着「1000マイル・シャツ」に行き着きます。片岡さんがいうところの“北アメリカのオレゴン街道やオーヴァランド街道を東からえんえん陸路でカリフォルニアまで来た人たちがよく着ていた、サウザンド・マイル・シャツ(千マイルを旅しても破れないシャツ)”です。このシャツがハワイ風にアレンジされて「パラカ」という作業着になりました。

 ハワイの炎天下で着るこの作業着は、シャツをパンツ(ズボン)の中に入れるのでなく、外に出してダブっと着るものでした。チェック柄だったこともあり着物の絣(かすり)を連想させたのでしょうか、日本の移民たちにも愛用されました。これを、”中国や日本のハワイに渡った人たちのなかの、服の仕立てのできる人”たちがアレンジを効かせ着用、販売するようになったのがアロハの起源のひとつといわれます。日本から持参した着物は新たに入手するのが難しく、工夫をこらして仕立てなおさざるをえない事情もあったようです。

 「服の仕立てのできる人」の代表格が「ムサシヤ・ザ・シャツ・メーカー」のシャツ職人・宮本長太郎でした。

 1885年に東京からハワイに渡った日系一世の長太郎はホノルルに店をひらき、日米の反物を使ってシャツを仕立てていました。息子の孝一郎が屋号を「ムサシヤ・ショーテン」に改め店を継ぎますが、この店で1933〜34年頃に注文を受けたシャツこそが「最初のアロハシャツ」だと孝一郎の妻、ドロレス・ミヤモトは主張しています。

 これが当時のタグ。

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[画像転載:By The ALOPHA SHIRTS|Dale Hope

“KOICHIRO”さんの似顔絵がトレード・マークで、地元紙の広告にも登場しました。これが評判となって「ムサシヤ・ショーテン」はホノルルで最も知られたシャツ店になったそうです。今ではヴィンテージ・アロハとして、高価な値で取引されています。
 

今日のリンク

● SUN SURF Hawaiian|アロハ・シャツの歴史|ヴィンテージ・アロハの復刻をしているブランドによるアロハ・シャツのABC。模様や生地の解説も。

● THE ALOPHA SHIRT|HISTORY|ハワイのデザイナーでアロハ・シャツの専門家、デール・ホープのページ。[英語]

*トップ画像は「ムサシヤ・ショーテン」の宮本孝一郎さん。The ALOPHA SHIRTS|Dale Hope]より。

今日の一冊|『アロハ・シャツは嘆いた』

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観光地化する以前のハワイ。その類まれな美しさを象徴する1つの実物として、アロハ・シャツ、というものがある。

2017年1月6日 05:30|編集部ブログ