戦争から75年目を迎えて

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戦争という言葉が目につく季節がやってくる。原爆、終戦、そして平和とは……。考えないわけではない。しかし、75年目を迎える私たちは、時の経過とある種の安閑としたボケ体質を身につけたのか、戦争からは遠ざかってしまった。忘れてしまった戦争。一人ひとり一様に誰もが受けねばならなかった過酷な記憶は、遠くに過ぎ去ってしまった。

昭和21年生まれの私は、ありありと思い出す。朝から晩まで、家も近所も学校までも、あらゆるものが戦争で囲まれた日常に生きていたあの日々のこと。そこら中に戦争の面影は目に入ってきた。軍隊の帽子やゲートルを足に巻いたおじさんは私の知り合いのように近しく存在していた。ハルピンだ満洲だシベリアだの言葉も子どもながら耳にこびりついている。ハバロフスク……名前は耳に残り、けれどどこにあるのか未だ定かにわかっていない。引き揚げ、舞鶴、興安丸、尋ね人……何を話しているのかい? 多くの人はあまりの疎遠感に、きっとそう言うことだろう。

戦争とは、私たちにとって過去のものなのか、新しい向き合うべきものなのか。何か特別視してしまうこの言葉のもつ重みに耐えられなくなる。そのなかで、片岡義男が語りかける二篇が気持ちのどこかにある響きを伝えてくる。

チャタヌーガ・チューチュー

『チャタヌーガ・チューチュー』
1941年12月9日。日曜日の朝のハワイ現地時間。日系人家庭の部屋の中から流れてきた当時の流行歌。シンシナティのチャタヌーガ市へ行く汽車を歌ったジャズだった。「チューチュー」というのは子どもが発する擬音のようなもの。おそらく『チャタヌーガへの汽車ポッポ』とか、単に『チャタヌーガ・ポッポー』ぐらいの感じなのかもしれない。夜通し遊んだパーティーから息子が朝帰りして、夜の余韻を楽しむように、借りてきたレコードをかけているのだ。ハワイ、晴、日曜日、そこに暮らす日系人の家庭の朝、流れている『チャタヌーガ・チューチュー』。今、それらの上を過ぎ去る低空飛行の爆音。日本の軍艦から発進した艦上爆撃機の編隊が屋根の上から異常を振りまいた一瞬のできごと。起こった大事件と直前にいた人の生活の平易な柔らぎの対比を、空恐ろしくさえ感じさせる。戦争の事実がここにある。

広島の真珠

『広島の真珠』
広島の真珠とは、広島の原爆資料館を取材した、『ライフ』の記者であったロジャー・ローゼンブラットが語った「ノット・ア・シングル・パール・イン・ヒロシマ(広島に真珠はひと粒もなかった)」からとられている。どんな事態にせよそれを引き起こした原因つまりコーズと、引き起こされた結果であるエフェクトとが、常に一対になっている。社会や世界のなかで起こるすべての出来事の基本は、コーズとエフェクトとの連鎖である、戦争もそうだ、と彼は語った。この一言は、原爆投下という悲惨な現実を体験させられた私たち日本人の忘れてはならないはずのものである。

戦争を忘れるとは、何か片方に穴の開いた精神を持ち歩く姿がいつの間にかもたらし、身を慣らして行った結果ではないか。ふと、片岡義男の二篇の作品から自分たちの歴史と身を持って体験した苦しみを忘れかける理由のありかが、時の経過などではない、今、すぐ、そこにある自分たちの精神にあることにハッと気付かされる。

「片岡義男 全著作電子化計画」プロデューサー:萩野正昭


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2020年7月28日 07:00|サイト更新情報