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食欲の秋、あなたは何を食べますか?

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ここ数年、日本では四季から「春らしい春」「秋らしい秋」が急速に失われているような感じがあります。スーパーなどに並ぶ野菜や果物も一年中入手できるものが多くなり、季節感も薄れつつありますが、それでも今の時期が「食欲の秋」であることにはどなたも異論はないでしょう。
今月のエッセイ特集では、片岡義男.comで公開中の作品から、食べ物に関するエッセイをピックアップしてみました。


瀬戸の潮風、うどんの香り

1)「瀬戸の潮風、うどんの香り」
片岡義男は、太平洋戦争中に東京から山口に疎開し、終戦後しばらくの期間を瀬戸内で過ごしています。そのため「瀬戸内育ちの側面をかなり強く持っている」とこのエッセイの中で書いています。30〜40代の頃に何度か乗船した宇高連絡船の中で食べたという讃岐うどんを「これほどにおいしいうどんを、それ以前にもそれ以後にも食べたことがない」と述懐するのは、そんな少年時代の瀬戸内での感覚が呼び覚まされるせいなのかもしれません。


トマト、胡瓜、豆ご飯、薩摩芋

2)「トマト、胡瓜、豆ご飯、薩摩芋」
畑で自ら栽培した野菜を収穫し、食べる……。それはかつて貧しかった日本のどこにでも普通に見られた風景でした。昔の子供たちはこうした体験を積み重ねることで、「本物の味」や「生きる知恵」などを学び取っていたのではないでしょうか。太平洋戦争の時期、疎開先での片岡義男もその例外ではなかったようです。


大変なときに生まれたね

3)「大変なときに生まれたね」
1975年の夏に、FM番組のインタビューで横溝正史さんの別荘を訪れた片岡義男。「大変なときに生まれたね」は彼の生まれ年を聞かされた際の横溝さんの言葉ですが、「大変」とは言うまでもなく「戦争」のことでした。このエッセイでは当時の食べ物事情を時系列で辿ることで、いかに「大変」な時代であったかを追体験できます。そして文末で日本政府に対して痛烈な一言を放っています(2005年に書かれたエッセイです)。


占領とヌードル・スープ

4)「占領とヌードル・スープ」
戦後すぐのモノのなかった時代、アメリカの商品の入ったカラフルなボール箱は、それだけで子供たちの遊び道具として十分な機能を持っていました。片岡義男の場合、それはチキン・ヌードル・スープの箱でした。単に遊び道具として使うだけでなく、箱に書かれた文字を読んだり意味などを調べることで、子供なりに自分の世界を広げるのにも役立ったようです。その一方で「占領」という現実を認識させたのもまた、その同じ箱でした。


ご飯のおかずが、ご飯

5)「ご飯のおかずが、ご飯」
食べ物や味の記憶は「場所」とも密接に結びつきやすいのかもしれません。貧乏体験もあまり自慢すべきことではありませんが、体験した本人からすれば「輝かしい貴重な記憶」であるようです。1956年、日本は経済白書の中で「もはや戦後ではない」と宣言しました。片岡義男より七歳先輩で地方から上京した「彼」はその頃大学生でしたが、アパートで飯盒(はんごう)を使って米を炊いていたといいます。そしてそのおかずは……。


海苔を巻いたおにぎりの謎

6)「海苔を巻いたおにぎりの謎」
コンビニで買うおにぎりの「海苔」は乾燥した状態でパッケージングされ、そのまま簡単に巻いて食べることができます。でも電車の中などで隣の人がおにぎりを噛んだ瞬間に出る「パリーッ」という音が気になったことはありませんか? 片岡義男はその音を「パリーッとしか書きようのない、そしてそれ以外ではあり得ない、曖昧なところのいっさいない、明確さをきわめた音」と表現しています。


オカズヤのオイナリサン

7)「オカズヤのオイナリサン」
片岡義男が好きな食べ物の一つであるという稲荷ずし。日本ではありふれた食べ物ですが、1968年にハワイ・マウイ島の日系人の家でご馳走になった稲荷ずしは、「日系の人たちがその背後に持っている歴史のニュアンス」をも持ち合わせた特別なものだったそうです。ちなみに片岡義男の祖父は山口出身のハワイ移民、いわゆる「日系1世」です。


僕はチェリーを忘れてた

8)「僕はチェリーを忘れてた」
人間の「味の記憶」は幼少期からの食体験を通じて形成されると言われています。東京で食べた「チェリー・シロップがけのアイスクリーム」をきっかけとして、子供の頃に親しんだアメリカ産の「チェリー」の味と香りと色に再会するための探求の旅が始まります。


この他にも食べ物に関するエッセイはいくつかあります。「」「食べる」「菓子」などのタグで検索してみてください。

2019年11月22日 10:00|サイト更新情報