戦争関連エッセイ縦書き版を公開しました

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2019年8月15日、日本は74回目の終戦の日を迎えます。
作家・片岡義男の生まれた昭和14(1939)年、日本は日中戦争の只中にあり軍部が台頭、昭和16(1941)年12月8日には真珠湾攻撃が行われます。片岡さんは4歳の時に東京への空襲から逃れる為、祖父の故郷である山口県岩国市に身を寄せ、少年時代の一時期を過ごします。その当時のことはあるインタビューで「ずっと東京にいたら、だめだったと思う」とも述懐しています。
戦中戦後のことについてはエッセイや評論、書評、映画評などの中で様々な形で触れられていますが、今回は片岡義男.comで公開中の作品から、戦前から戦後にかけての出来事、片岡さん自身の当時の記憶について書かれたものを7作品ピックアップしてお届けします。

だから三歳児は泣いた

だから三歳児は泣いた」は、ハワイの知人からもらった、片岡さん三歳の誕生日に撮影した写真にまつわる話です。戦争中でも、子供の感性というものは今も昔も変わらないものなのかもしれません。この翌年、片岡さんは山口県岩国市に疎開することになります。

チャタヌーガ・チューチュー

チャタヌーガ・チューチュー」は、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃した昭和16(1941)年12月7日日曜日の朝(現地時間)、ハワイに住む日系人1世と2世の親子の朝の会話に「戦争」という現実が入ってきた瞬間を描いたフィクションです。

基本英単語について

基本英単語について」。昭和17(1942)年4月18日、アメリカ軍による日本本土に対する初めての空襲(隊長の名にちなんで「ドーリットル空襲」と呼ばれる)が行われます。その際に日本軍に逮捕された乗員8名のうち3名が処刑されますが、その事実を英語で発表した際に使われた「ある英単語」について考察しています。

『ハワイ・マレー沖海戦』一九四二年(昭和十七年)

『ハワイ・マレー沖海戦』一九四二年(昭和十七年)」は、開戦一周年を記念して昭和17(1942)年に海軍省の命令によって東宝映画が製作、同年12月3日に公開された国策映画について書かれたものです。実際にはその年の6月、ミッドウエーで日本軍はアメリカ軍に大敗。8月にはガダルカナル島での戦いが始まり12月に日本軍は撤退、太平洋戦争での攻守が転換した年と言われています。

「フラッグス オブ アワ ファーザーズ」

「フラッグス オブ アワ ファーザーズ」は、クリント・イーストウッド監督の手により映画化された『父親たちの星条旗』(2006)としてご存知の方もあるでしょう。硫黄島の摺鉢山頂上で撮影された有名な写真「硫黄島の星条旗」(1945(昭和20)年2月23日撮影)の兵士の一人であるジョン・ヘンリー・ブラドレーの息子、ジェームズ・ブラドレーによるノンフィクションのペーパーバックについての書評です。

その光を僕も見た

その光を僕も見た」。片岡さんが岩国市に疎開中の昭和20(1945)年8月6日の朝、背後から前方に向けて一瞬走り抜けた「明るい光」と、その日の夕方、東の空に見た「雲」について書かれたものですが、これについてはもう説明の必要はないでしょう。このエッセイの中で「この光だけは過去にならない」と片岡さんは綴っています。

爆弾の穴について思う

爆弾の穴について思う」は、疎開先の岩国で見た「爆撃によって作られた畑の穴」についての記憶を綴ったものです。終戦の年の1945(昭和20)年3月以降、岩国市は9回以上の空爆を受けました。海軍航空廠や陸軍燃料廠もあったため空襲の対象になったようですが、民間人への機銃掃射も行われ、多くの犠牲者が出ました。その最後の空襲は、日本の無条件降伏が決まっていた8月14日、岩国駅周辺の絨毯爆撃であったと記録されています。

この他にも戦争に対するエッセイはいくつかあります。
太平洋戦争」「戦後」などのキーワードで検索して見てください。

2019年8月1日 12:00|サイト更新情報