973編公開中。 今を映す手鏡のように
2004年 の一覧
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2020.5.22
祟りとハンカチとマスタード
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 二〇〇四年十月二十日のアメリカン・リーグ優勝決定戦で、ニューヨーク・ヤンキーズはボストン・レッドソックスに敗れた。こういう大事な試合のTV中継では、観客が掲げ持つプラカードを見逃さないようにするのも、楽しみのひとつだ。…
2020.5.19
ナポリへの旅
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 スパゲッティ・ナポリタン、という呼び名の料理が、かつて日本にあった。あるいは、いまでもまだある、と言うべきか。間に合わせにちょっとなにか食べておく、という食べかたの伝統が、たとえば首都東京には江戸時代からある。江戸に流…
2020.5.8
東京オムライスめぐり
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 オムライスを一度だけ食べた記憶がある。昭和二十一年、あるいは二十二年、絵に描いたようなただの子供だった僕は、百貨店の食堂のようなところで、オムライスをスプーンで食べた。スプーンが僕の口には大きすぎたことが、オムライス記…
2020.5.7
東京のハードな日々
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 残暑はとっくに終わっている季節の、しかしひどく暑い晴天の日、水曜日の午後三時すぎ。東京・内神田のたしか二丁目、その名も出世不動という道を、JR神田駅の南口からさらに南へ下がった地点にあるJRの高架下に向けて、僕はひとり…
2020.4.8
What’s he got to say?
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 No Direction Homeは二〇〇五年にマーティン・スコセッシのコピーライトになっているドキュメンタリー映画だ。日本語の題名はないようだ。たとえば「帰路無道標」と表記して、音声では「ノー・ディレクション・ホーム…
2017.10.9
引っ越しという自己点検
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 いろんな視点から自分を点検し考察しなおすための、たいへんな好機のひとつは引っ越しではないか。六年前におこなった引っ越しは、僕にとっては確実にそのとおりの機会だった。そのとき点検し考察しなおした自分というものは、それ以後…
2017.9.11
大統領によれば
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 二〇〇一年九月十一日の午前九時すぎ、大統領はフロリダ州サラソータのエマ・ブッカー・エレメンタリー・スクールという学校にいた。生徒たちと向き合って椅子にすわっている大統領に、画面の左手からひとりの男性があらわれ、大統領へ…
2017.8.29
家庭から遠かった男たち
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 自分の家庭以外のところで食事をすること、たとえば街の軽食堂で昼食にせよ夕食にせよ、一回の食事としてなにかを食べることは、子供の頃の僕にとっては、家庭を中心とした日常のなかに成立しているルーティーンから、明らかに逸脱した…
2017.8.26
近未来を書きませんか
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 八月をあと十日残す、雨のような薄曇りのような日の午後、下北沢の喫茶店で二十代の編集者と会った。コーヒーと打ち合わせのひとときは気象の話から始まった。日本のとびきり暑い夏を体験しようとした彼がお盆休みに出かけた日本海側の…
2017.8.18
ワシントン・ハイツの追憶
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 一九五〇年代なかばから持っているジャズのLPを必要があって見直していたら、ラルフ・フラナガンのLPジャケットのなかに、一枚の写真が入っているのを見つけた。週刊誌ほどの大きさの白黒のプリントで、ワシントン・ハイツのおよそ…
2017.8.6
袋小路の居心地
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 十一月二十七日、陸自の調査団の一部がイラクでの調査を終えて、日本へ帰って来た。残りの人たちは引き続きクエートにとどまり、イラクの情勢を観察するという。自衛隊の派遣予定地とされているイラク南部のサマワは、治安が比較的良好…
2017.8.5
自分探しと日本の不況
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 いまの日本は消費不況のなかにあるという。物が売れないのだ。なにがどのくらい売れれば気がすむのか、という問題はいまはかたわらに置いておくとして、売れないのは人々が買わないからだ、これは誰にでもわかる。なぜ買わないのか。買…
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