884編公開中。 今を映す手鏡のように
2003年 の一覧
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2017.7.24
夏の陽ざしとモノクロームの街
縦書き
 白と黒、そしてその中間にある無限階調、つまりさまざまな灰色だけで出来ている街というものを、夏の光のなかで夢想するのは楽しいものだ。白黒のフィルムで撮影するなら、どこのどのような街も、モノクロームの街になる。しかしそれは…
2017.7.20
日本のMの字 その2
縦書き
 ここにもあのMの字がある、と思って撮ったのではない。グラフィックな面白さに惹かれて撮った。ただそれだけのことだ。しかしその二点をこうして左右のページに配置したのち、あらためて観察すると、東京の景観のなかに点在するディテ…
2017.7.18
江戸を歩く
縦書き
 七〇ページ*〔写真・右〕そしてその左隣の七一ページ〔左〕にあるふたつの光景は、おたがいによく似ている。よく似ていると言うよりも、同一であると言ったほうが正確だろう。ごくわずかな空間をあいだにはさんで、密接して建つ二軒の…
2017.7.12
時間のテーマ・パークを
縦書き
 建てられてからすでに存分な量の時間が経過しているがゆえに、それじたいがすでにそのような時間そのものとなっていると言っていい建物、そしてその周辺。たとえばそのほんの一例として、この二ページ〔写真・上〕にあるような建物とそ…
2017.6.14
傘の記念写真を撮った日
縦書き
 傘は絵になる、という法則は充分に成立する、と僕は思う。日常生活のなかにすっかりなじんでいるから、もはや誰も傘に新たな視線を向けることはないようだが、別のページで書いたとおり、開いた状態でもあるいは閉じられていても、傘は…
2017.4.24
日本のMの字
縦書き
     三八ページ*〔写真・右〕と三九ページ〔左〕の、どちらの写真においても、撮っているときにはまったく意識しなかったのが、安価なハンバーガーの店のMというローマ字のロゴだった。このMの字が、いまの日本のこのような光景…
2017.4.8
簾と提灯のグラフィックス
 一三四ページ*〔トップ画像〕の写真にある光景は、僕にとってはグラフィックス以外のなにものでもない、という種類の光景の典型だ。自分でこれだけの光景を三次元で作り出すのはたいへんだが、写真に撮るのは難しくもなんともない、発…
2017.3.30
東京の情緒
 大卒で会社に入り、そのまま従来どおりの定年まで会社勤めをまっとうしたとして、人生七十年のほぼ半分を、その人はサラリーマンとして過ごすことになる。その場所がずっと東京だったら、この二ページ*にあるような光景は、自分と深く…
2017.3.21
四歳の子供がそれを見た
       二〇〇二年のひときわ暑かった夏に、三〇〔写真・右〕そして三一ページ〔同左〕*にある光景を、僕は写真に撮った。さかのぼること半世紀以上、一九四四年、僕が東京の目白で四歳の子供だった頃、乳母に手を引か…
2017.3.15
それを環境と呼ぶか
 個性や自分らしさなどは、自分はこれではなくあれを買ったという軽度の、あるかないかの微小な差異にもとづく、形而下の出来事でしかない。そんな自分をはるかに越えた価値、つまり普遍性という形而上の出来事への加担こそ最大の生きが…
2017.3.11
いつかどこかで
 あるひとつの光景を目にして、これとおなじ光景をいつかどこかで見たことがある、と思う心理的な働きぜんたいを指して、既視感と呼んでいる。光景ではなく状況でもいい。過去のどこかでおなじような光景や状況を本当に体験していて、そ…
2017.3.5
太陽の直射光と簾の相性
 東京の光景に写真機を向けて、数万回はシャッターを切ったことの成果のひとつとして、簾はフォトジェニックであるという発見を僕は持っている。この二ページ(下記)にある光景のなかの簾は、どちらも天然の素材を使ったもののようだ。…
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