972編公開中。 今を映す手鏡のように
1999年 の一覧
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2020.6.25
『ピーナッツ』を語る 一生もののつきあい
縦書き
『ピーナッツ』の連載が始まったのは一九五〇年十月二日だったという。アメリカ各地の七つの新聞に、『ピーナッツ』のコミック・ストリップが連載で掲載された。作者のチャールズ・M・シュルツから原画を受け取った配信会社が、全米各地…
2017.11.16
キャンディ・ウエイファーに込められた
縦書き
 色とかたちとは味や香りでもある、と考えた次の瞬間、僕はこのキャンディのことを思い出した。アメリカの色とかたち、そして味と香りを、その一身に体現しているものの、ほかに匹敵するものが見つからないほどの好例が、じつはこのキャ…
2017.11.9
この光と空気のなかに
縦書き
 エドワード・ホッパーの絵を見るたびに感じることについて、僕は書いてみることにする。見るたびに感じるとは、見るたびに感じることの質や方向に沿って、そのたびに、けっして小さくない影響を、ホッパーの絵から僕は受けている、とい…
2017.11.2
アメリカの正義が勝つ
縦書き
 いまのアメリカで出版されているペーパーバックは、どれもみなよく似たつまらない装丁ばかりで、出版社ごとの装丁の特徴や方針などは、皆無に等しい。  一九六〇年代いっぱいくらいまでのペーパーバックには、銘柄別にデザインの特徴…
2017.10.26
美女を三つ折りたたむ
縦書き
 一九五十年代前半の、ごくみじかい期間、アメリカの『エスクワイア』という雑誌には、三つ折りの引き出しページがあった。横長のページの一端はほかのページとおなじく綴じてあり、その横長のスペースは、山折りと谷折りひとつずつで、…
2017.10.14
アメリカにおけるトマトの色
縦書き
 アメリカの大衆向けの、大量生産の規格品としての食品のチャンピオンは、キャンベルのトマト・スープだと僕は思っている。  一九二一年には、キャンベルのトマト・スープひと缶の値段は、十二セントだった。まずとにかくそれは安い。…
2017.4.23
世界はすべて片仮名のなか
縦書き
 日本語には片仮名という書きかたがある。どんな外国語であろうとも、おおよそのところでよければ、その音を片仮名で表記することが、じつにたやすく可能だ。僕の好きな冗談のひとつに、全篇を片仮名書きした『風とともに去りぬ』という…
2017.4.19
言葉はきわめて人工的に身につく
縦書き
 言葉というものは誰もがいつのまにか自然に身につけていくもの、と信じて疑わないのが日本人だ。生まれてからの自分の身辺に続く日常生活という成りゆきのなかで、人は言葉を覚えていく。三歳児になると二千語を覚えていて、三歳児なり…
2017.4.17
ペラペラとはなにだったか
縦書き
 英語がペラペラ、という言いかたがある。なにを言っているのか自分にはわからないが、日本人が外国人と英語で滑らかにコミュニケートしている状態に見えるとき、その日本人の英語はペラペラである、と表現されてきた。まったくたいした…
2017.4.13
主体でも客体でもなく
縦書き
 鎖国という制度を終わりにして開国したとき、日本は西欧から技術としての科学を受け入れ、科学の精神のほうは受け入れなかった、としばしば説かれる。多くの人たちが、何度も繰り返して説く。そしてまともな反論を、少なくとも僕は見て…
2017.3.25
なにも言わない人(2)
前回|1|  他者との関係ごとに相手および自分の呼称を変化させつつ、自分への利益の誘導にかまけ続け、したがって現実と立場とを離れることのついにない、小さな小さな自分という人。そのような人が、日本語世界で日本語を使う、最小…
2017.3.24
なにも言わない人(1)
 戦後の日本人にとって、人生とは会社に勤めることだったようだ。なんらかの会社組織に雇用されてそこに所属し、仕事をして給料をもらい、なおかつ生活のほぼ全領域を会社に依存させること、これが戦後の日本人の人生だった。どこからも…
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