882編公開中。 今を映す手鏡のように
1999年 の一覧
2017.4.23
世界はすべて片仮名のなか
縦書き
 日本語には片仮名という書きかたがある。どんな外国語であろうとも、おおよそのところでよければ、その音を片仮名で表記することが、じつにたやすく可能だ。僕の好きな冗談のひとつに、全篇を片仮名書きした『風とともに去りぬ』という…
2017.4.19
言葉はきわめて人工的に身につく
縦書き
 言葉というものは誰もがいつのまにか自然に身につけていくもの、と信じて疑わないのが日本人だ。生まれてからの自分の身辺に続く日常生活という成りゆきのなかで、人は言葉を覚えていく。三歳児になると二千語を覚えていて、三歳児なり…
2017.4.17
ペラペラとはなにだったか
縦書き
 英語がペラペラ、という言いかたがある。なにを言っているのか自分にはわからないが、日本人が外国人と英語で滑らかにコミュニケートしている状態に見えるとき、その日本人の英語はペラペラである、と表現されてきた。まったくたいした…
2017.4.13
主体でも客体でもなく
縦書き
 鎖国という制度を終わりにして開国したとき、日本は西欧から技術としての科学を受け入れ、科学の精神のほうは受け入れなかった、としばしば説かれる。多くの人たちが、何度も繰り返して説く。そしてまともな反論を、少なくとも僕は見て…
2017.3.25
なにも言わない人(2)
前回|1|  他者との関係ごとに相手および自分の呼称を変化させつつ、自分への利益の誘導にかまけ続け、したがって現実と立場とを離れることのついにない、小さな小さな自分という人。そのような人が、日本語世界で日本語を使う、最小…
2017.3.24
なにも言わない人(1)
 戦後の日本人にとって、人生とは会社に勤めることだったようだ。なんらかの会社組織に雇用されてそこに所属し、仕事をして給料をもらい、なおかつ生活のほぼ全領域を会社に依存させること、これが戦後の日本人の人生だった。どこからも…
2016.11.19
静止と列挙と固い枠
 日本語の文章は、それがどれほど複雑なかたちのものであっても、核心に向けて削り込んでいくと、最終的には「—は—である」という構造にまで還元することが出来るという説を僕はかつてなにかの本で読んだ。僕…
2016.7.11
噓と隠蔽の国
 この本〔『日本語で生きるとは』1999年〕の冒頭に、「英語で生きる人」と題した部分がある。英語で生きるとはどういうことなのか、ということについてごく簡単に書いた部分だ。  英語で人生を生きていく人のありかた、そして生き…
2016.6.25
世界はただひとつ
 太平洋でのアメリカとの戦争をめぐって、もう戦争は終わりにしようと言う一派と、徹底的に戦って最後には日本本土でアメリカと決戦するのだと言い張る一派とが、国民はなにも知らないところで、権力争いを続けた。戦争は終わりにしよう…
2016.5.30
より良き日本語の人
 日本の最たるものはなにかと訊かれたなら、それは日本語です、という答えしかない。日本を日本らしさに満ちた日本そのものに保ち続ける力で最大のものは、日本語という言葉が発揮する力だ。ここで僕が言う日本語とは、戦後五十数年間の…
2016.5.28
通訳は位置についたか
 早くも十年は前のことになるかと思うが、G5会議の様子が報道されるのを、僕はアメリカのTVニュースで見た。ヨーロッパのどこかでおこなわれた、確かG5の会議だった。荘厳な建物のなかの、もっとも広くて威厳に満ちた部屋に、G5…
2016.1.9
対話をしない人
 自分専用の固い枠の内側に守られ、そのかぎりにおいて安心して存在していることの出来る自分という人のありかたは、日本人のありかたの基本だと言っていい。ものごとの言いあらわしかたにかかわる日本語の基本能力が、主観という固い枠…