884編公開中。 今を映す手鏡のように
1983年 の一覧
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2016.12.21
クロスワード・パズルの楽しさが、ぼくを離してくれない
 ぼくは、クロスワード・パズルについて書くのを忘れていた。  だから、クロスワード・パズルについて書こう。  日本でアメリカのクロスワード・パズルに接するもっとも簡単な方法は、日本で発行されている英字新聞を買い、その新聞…
2016.6.6
雨が、ぼくにオードリー・フラックの画集を開かせた
 窓の外にいま午後がある。その午後は、いっぱいに雨を持っている。梅雨の雨だ。今年は、長くて冷たい梅雨だという。なるほど、いまはたしかに肌寒い。  雨を見ながら、ふと考えた。雨は不思議だ。  もしいま雨が降っていなかったな…
2016.5.5
菖蒲湯そして乾杯
 端午の節句には京都にいた。なんの用件も目的もないまま、ただでかけてみたくなってやってきた京都だった。イノダでコーヒーを飲めばそれで充分だというような、一泊するだけの小旅行だ。  イノダでは、たしかにコーヒーを飲んだ。三…
2016.4.24
デリア・エフロンの二冊の本が描く、アメリカの子供の世界
 デリア・エフロンの二冊目が出た。今度のタイトルは『ティーンエイジ・ロマンス』という。アメリカでは一九八二年九月に書店にならんだのだが、ぼくは十一月になってから東京で手に入れた。  デリア・エフロンの一冊目である『まるで…
2016.4.23
リトル・ゴールデン・ブックスを開くと子供の頃のぼくがいる
 まだごく幼い頃のぼくにとって、大きな謎であったことのひとつは、リトル・ゴールデン・ブックスはいったい全部で何冊あるのだろうか、ということだった。いまでも、本の三方を黄色く塗ったこの小さな本たちを書店で見るたびに、全部で…
2016.1.26
服は雄弁な言葉だ。気をつけて着こなそう
 エミリー・チョーというニューヨーク女性がリンダ・グローヴァーと共著でものした一九七八年の本『ルッキング・テリフィック』を、ついさっき、ぼくは読みおえた。  買ったブックストアのレシートが、はさんであった。ホノルルのウォ…
2016.1.18
マンハッタンの10番通りと14番通り
 自分にとっていちばん好きな場所はニューヨーク、特にマンハッタンだ、といつも言っていたアメリカ人の友人の持論は、ニューヨークはアメリカのなかの独立国だ、というのだった。  どんな人のどのような視点や興味からニューヨークを…
2016.1.15
ABCで苦労する子供たちと、ひらがなで楽をする子供たち
 昨年の十二月三十一日の午後、ぼくは東京にいた。東京の片隅でふとひらめくものがあり、そのひらめきにもとづいて洋書店へいき、アメリカおよびイギリスのABCブックを、目につくはじから買ってみた。ABCブックは、じつにたくさん…
2015.12.18
発情期少年の興味にこたえて、アメリカのSFがはじまった
 アメリカでは、一九三〇年代からずっと、SFが娯楽のジャンルとしてつづいてきている。いま急にブームになったものではないのだ。  アメリカのSFは、どんなところにそのルーツを持っているのだろうか。エドガー・アラン・ポー、ジ…
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