882編公開中。 今を映す手鏡のように
1950年代 の一覧
1 2
2017.8.28
『妻』
縦書き
戦後の日本はやがて崩壊する仕組みのなかにあった。 一九五三年の映画がそのことを静かに教えてくれる。  一九五三年(昭和二十八年)の四月に公開された『妻』は、林芙美子の『茶色の目』という小説を原作としている。例によって例の…
2017.8.24
川があり、橋があり、ホテルもあった
縦書き
 僕が十歳だった年、夏の終わりのある日の小さな出来事を、いまでも覚えている。僕宛に葉書が一枚、届いたのだ。現在のよりもひとまわりは小さいサイズの、当時の日本の官製葉書だった。宛名は日本語で書いてあったが、文面は英語だった…
2017.8.21
ご飯のおかずが、ご飯
縦書き
「こうしておいしい料理を次々に食べて、ワインの酔いもほどよくまわってくると、頭のずっと奥の片隅に、気がつくとふと立ち上がっているのは、学生時代の記憶なんですよ。そういう年齢にさしかかってるのかなとも思いますけど、学生時代…
2017.8.18
ワシントン・ハイツの追憶
縦書き
 一九五〇年代なかばから持っているジャズのLPを必要があって見直していたら、ラルフ・フラナガンのLPジャケットのなかに、一枚の写真が入っているのを見つけた。週刊誌ほどの大きさの白黒のプリントで、ワシントン・ハイツのおよそ…
2017.4.9
一九五七年の春をさまよう
 知らない町を歩いていたら古書店があった。入ってみた。古書と呼び得る本と最近の本とが、半半にある店だった。よく探せば買いたい本は何冊かあるだろう。壁に沿った棚の前には平台があり、雑誌が積み上げられてならんでいた。そのいち…
2016.10.14
『路上にて』を買いそこなう
 日本語に翻訳されたときの題名を『路上にて』という、ジャック・ケルアクの『オン・ザ・ロード』を一九六二年、大学三年生のときに読んだ。そのときのペイパーバックをいまでも持っている。シグネットというペイパーバック叢書からの、…
2016.9.28
アメリカはここからがもっとも面白い
 かつてのアメリカがいかに途方もなく桁はずれに豊かであったかを体感するひとつの有効な方法は、たとえば一九四〇年代、そして一九五〇年代のアメリカの、一般的な家庭雑誌に掲載されていた広告を観察することだ。  第二次大戦に勝っ…
2016.7.20
遙かなる同時代
 近所に住んでいたからおたがいにずっと以前から知っていて、僕のことをヨシオちゃんと呼んでいた年上の美人たちとは、いったいなになのか。いまの僕に確信を持って言えるのは、彼女たちは僕にとって同時代であったということだ。  た…
2016.6.10
ジン・ボ・チョへの道
 都営新宿線の地下鉄で新宿から神保町まで、二百十円でいくことが出来る。三百八十円というようなときがくれば、そのとき多くの人々は、かつて二百十円だったことを忘れている。なにかの折りに昔の料金を知って、その安さに人々は驚くの…
2016.5.12
このとおりに過ごした一日
 五月なかばのよく晴れた日。高校三年生の僕は、自宅にあったすべての教科書を入れた鞄を持って、ひとりで駅に向けて歩いていた。教科書をすべて鞄に入れたのは、時間割りがどこかへいってしまい、その日の授業がなにとなにだったか、わ…
2016.4.28
いつラジオの音量をあげたか?|エルヴィスから始まった
3 トータルな体験と目覚め 〈3〉 いつラジオの音量をあげたか?  くりかえすけれども、ようするに音楽そのものはどうでもよくて、たまたまなにかのロックンロールによって、多くの人たちのひとりひとりが、なににどれだけ目覚めた…
2016.4.11
渋谷から京橋まで眠る
 自宅からバス停留所までものの三分だ。バスで渋谷まで、普通は十五分だ。十分おまけして、二十五分か。そして渋谷から地下鉄・銀座線で京橋まで、二十五分。五分おまけして三十分。京橋から昭和通りを越えて会社まで、早足で歩いて七、…
1 2