882編公開中。 今を映す手鏡のように
過去 の一覧
2017.3.12
過去と未来から切り離されて
 自分、という人にとって、いちばん楽なありかたは、どのようなありかただろうか。自分、という人は、この自分自身という意味ではなく、いまの日本に生きている人たちのひとりひとり、というほどの意味だ。  自分という人の基本は、な…
2017.1.5
どこにもないハワイへの行きかた
 ハワイが島ではなくなっていく、とぼくが、ある日、自覚する。その自覚を土台として、センチメンタルな感情のたかまりが、おこってくる。まだ島としての香りや感情の残っている部分を、なくなってしまわないうちに、まるで落葉をひろい…
2016.10.4
本を三冊買う
 本を三冊買う、という楽しみかたの方針を、現在の僕は確定されたものとして持っている。三冊だと買うときにもっとも楽しい。おそらくそのせいだと思うが、買ってからずっとあとまで、その楽しさは持続する。だから、楽しみかたの方針と…
2016.9.17
なぜいま僕はここにいるのだろうか
 尾道は三度めだ。最初は僕が六歳か七歳の頃、父親の運転する米軍の車で通り抜けた。敗戦後まだ日の浅い時期だ。夏の暑い日だった。二度めは三年まえ、ある雑誌の連載記事の取材のため、編集者そして写真家とともに、坂の町と誰もが言う…
2016.9.13
後悔くらいしてみたい
 後悔にはふたとおりがある。ひとつは、過去において自分がしたことをいまになって悔いる、という種類の後悔だ。そんなことをするとあとで後悔するよとか、あんなことをしてしまって後悔してるんだ、といった後悔がこれにあたる。もうひ…
2016.9.5
タイム・トラヴェルでどこへいこうか
 タイム・トラヴェル、と片仮名書きされる日本語がある。もとは英語だが、日本語になりきって久しい、と言っていい。なんのことだか意味のわからない人が、けっしていないわけではないが、じつに多くの人におよその意味は通じる。日本語…
2016.6.13
写真を撮っておけばよかった
 過去は巨大な教訓だ。偉大な反省材料だ。教訓も反省も、僕の過去のなかにすら、おそらく無数に存在している。過去は文字どおり、とっくに過ぎ去った時間なのだ。戻ってはこない。しかしその過去のなかにあり続ける教訓や反省材料は、こ…
2016.3.20
自分とはなにか
 自分とは、生まれてから現在まで生きてきた、そしていまもこうして生きているこの個体である、という言いかたは、確かに事実の一面を言いあらわしている。では、その個体は、いま、なになのか。こういう質問にはどう答えればいいのか。…
2016.1.17
過去とはつながっていたほうがいい
 信濃町の慶應病院で生まれた僕は、何日かあとにそこから自宅へと連れ帰られた。自宅へはそのとき初めていったのだから、帰った、という言いかたは当てはまらないようにも思うが、そんなことはどうでもいいだろう。この自宅とその周辺で…