973編公開中。 今を映す手鏡のように
の一覧
2020.7.3
僕はこうして日本語を覚えた
縦書き
 日本で育っている子供は、その子供をいつも取り巻いている日常のなかで、日本語を覚えていく。身辺にいる大人たちが喋るのを聞いては、覚えていく。育っていく環境という、成り行きの見本のような日常のなかに、どの子供もいる。その成…
2017.3.21
四歳の子供がそれを見た
       二〇〇二年のひときわ暑かった夏に、三〇〔写真・右〕そして三一ページ〔同左〕*にある光景を、僕は写真に撮った。さかのぼること半世紀以上、一九四四年、僕が東京の目白で四歳の子供だった頃、乳母に手を引か…
2016.11.8
[ロディアのパッド]
 ロディアのパッドのうち、方眼紙のものすべてをそれぞれ何冊かずつ揃え、大きい順に積み上げてみた。その様子が82ページ〔下〕の写真だ。ロディアの塔、と僕は呼んでいる。いちばん小さいサイズの11番が十何冊かあるので、頂上に向…
2016.9.5
タイム・トラヴェルでどこへいこうか
 タイム・トラヴェル、と片仮名書きされる日本語がある。もとは英語だが、日本語になりきって久しい、と言っていい。なんのことだか意味のわからない人が、けっしていないわけではないが、じつに多くの人におよその意味は通じる。日本語…
2016.7.9
ゴールデン・スランバーズ|アビーロードのB面
 この激しい降りようは、いったいどうしたことだろうかと、彼女はひとりで思った。叔母さんの家で過ごした、明るく陽の射す午後が、まるで嘘のようだ。あの午後が終わってから、まだ五時間ほどしか経過していないのだが、あの午後といま…
2016.7.5
ミスタ・マスタード|アビーロードのB面
「お若いの、今日も元気かい」  公園の浮浪者が、低い位置から彼にいきなり、声をかけた。  彼は午後の公園をひとりで歩いていた。空は灰色に曇っていた。雨は降っていないのだが、今日も彼はシャツの上に木綿のレイン・コートを着て…
2016.6.19
父のシャツ
 幼年期を終って少年期へ入っていこうとしていたころのぼくにとって、いつも身近にありながら解明不可能な謎をいくつもはらんで常に魅力的であったもののひとつに、父親の着ていたシャツというものがある。なかでも仕事のときに身につけ…
2016.6.8
風に吹かれて謎になる
 僕はジョルジョ・デ・キリコの絵がたいへんに好きだ。彼の人物画や静物画にはほとんどなにも感じないけれど、謎に満ちた抽象的な数多くの絵は、いくら見ても飽きることがない。  謎と言えば、彼の絵のなかで僕にとって最大の謎は、塔…
2016.5.9
アイスクリームには謎がある
 アイスクリームについて思うと、その思いは過去へと向かっていく。僕がまだ充分に幼くて可愛い坊やだった頃、僕はいちばん最初のアイスクリームを食べたはずで、それについての記憶はいまも残っている。幼い体の口腔感覚がとらえた、ア…
2016.4.23
リトル・ゴールデン・ブックスを開くと子供の頃のぼくがいる
 まだごく幼い頃のぼくにとって、大きな謎であったことのひとつは、リトル・ゴールデン・ブックスはいったい全部で何冊あるのだろうか、ということだった。いまでも、本の三方を黄色く塗ったこの小さな本たちを書店で見るたびに、全部で…
2015.12.10
西陽の当たる家
 僕は西陽の当たる家が好きだ。午後になったら自分の家は西陽を受けとめてほしい。そしていくつかの部屋には西陽が射しこんでほしい。これまで僕はいろんな場所でさまざまな家に住み、いくつもの部屋を自分の場所として使ってきた。しか…
2015.10.20
父親と万年筆
 僕の父親は、ハワイで生まれてカリフォルニアで育った、日系二世のアメリカ人だ。ひとりの人としての核心部分まで二世らしさの貫徹した、謎の多い不思議な人物だった。二世の見本のような人だった、と言っていいだろう。このような人た…