972編公開中。 今を映す手鏡のように
自分 の一覧
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2017.9.7
銀座で夕食の約束
縦書き
 銀座で夕食の約束があった。僕と男性もうひとり、そして女性がふたりの、合計四人だ。女性たちのうちのひとりと落ち合った僕は、コーヒーを一杯だけ飲み、彼女とともに夕方の銀座を夕食の店にむかった。  歩道を歩いていて、あるとき…
2017.8.5
自分探しと日本の不況
縦書き
 いまの日本は消費不況のなかにあるという。物が売れないのだ。なにがどのくらい売れれば気がすむのか、という問題はいまはかたわらに置いておくとして、売れないのは人々が買わないからだ、これは誰にでもわかる。なぜ買わないのか。買…
2017.4.7
身のうえ話 その1
 小学校に入学する日、つまり入学式の日、ぼくは生まれてはじめて、学校の校舎というものを見た。  木造の大きなその建物をひとめ見たとたんに感じたことを、いまでも思いだすことができる。 「これはぼくの好きなものではない」  …
2017.3.12
過去と未来から切り離されて
 自分、という人にとって、いちばん楽なありかたは、どのようなありかただろうか。自分、という人は、この自分自身という意味ではなく、いまの日本に生きている人たちのひとりひとり、というほどの意味だ。  自分という人の基本は、な…
2017.1.16
早稲の田に風はほんとに吹いたか
 高校の三年生になると大学進学に関するさまざまなことが話題になってきていたが、ぼくは大学へいく気などまったくなかった。ぼくは学校の勉強が好きではなく、勉強とはデスクにむかって教科書や参考書にアンダーラインを引くことだと考…
2017.1.12
南の海の小さな島に誘惑されて
 地球儀の南側に横たわる巨大な海のまんなかの、小さな小さな島にひとりで到着してホテルに入り、部屋のテラスから海を見ながら僕は水を飲む。遠いところへ来たなあと、つくづく僕は思う。ジェット旅客機の定期運行システムとそれを支え…
2016.10.26
自分のことをワシと呼んだか
 四歳から十二歳までを、僕は瀬戸内で過ごした。山口県の岩国と、広島県の呉というところに、ほぼ四年ずつ。どちらの地方の言葉も、自分は地元の人たちとおなじように使えたし使っていたはずだと、長いあいだ僕は思ってきた。  岩国の…
2016.9.21
やがて隠者になるのか
 二十代前半の頃には、どこで誰と会っても、誰と仕事をしても、そのときそこに集まった何人かの人たちのなかで、いちばん若いのは常に僕だった。 「きみはいくつなんだ」 「二十四歳です」 「なぜそんなに若いんだ、馬鹿野郎」  と…
2016.9.13
後悔くらいしてみたい
 後悔にはふたとおりがある。ひとつは、過去において自分がしたことをいまになって悔いる、という種類の後悔だ。そんなことをするとあとで後悔するよとか、あんなことをしてしまって後悔してるんだ、といった後悔がこれにあたる。もうひ…
2016.8.5
自分の意味が消えるとき
 空を眺めることをなぜ僕が好いているか、その理由をひと言で表現するなら、空を見るとそのたびに、自分というものの意味があっけなく消えてしまうからだ。  空は圧倒的だ。すさまじい。とてもかなわない。しかも、人間の力も存在など…
2016.7.6
パムとはパミラのことか|アビーロードのB面
 町にいたときは快晴だったのだが、海岸まで来てみると、空には雲が出はじめていた。海岸は広く快適だった。人の姿は、遠くにひとりふたり、小さく見えているだけだ。  パミラは、初夏の街着のまま、海岸から海のなかへ入っていった。…
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