972編公開中。 今を映す手鏡のように
神保町 の一覧
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2020.7.1
僕はチャーリー・ブラウンなのだから
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 僕が『ピーナッツ』を読み始めたのは、一九五六年ないしは一九五七年のことだった。どちらの年だったにせよ、信じられないことに、その僕は世田谷区で高校生だった。父親の仕事の関係で、自宅にはアメリカの新聞がいつも何種類もあった…
2020.6.25
『ピーナッツ』を語る 一生もののつきあい
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『ピーナッツ』の連載が始まったのは一九五〇年十月二日だったという。アメリカ各地の七つの新聞に、『ピーナッツ』のコミック・ストリップが連載で掲載された。作者のチャールズ・M・シュルツから原画を受け取った配信会社が、全米各地…
2020.6.15
ビートルズ詩集とはなにか
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 久しぶりに会う友人の編集者は、僕が知っているとおりの彼だった。雰囲気、身のこなし、表情、そして笑顔や言葉など、なにひとつ変わらず、そのことは僕をうれしい気持ちにさせた。彼と落ち合ったのが経堂駅のすぐ近くにある素晴らしい…
2020.6.11
珈琲に呼ばれた
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1「旅と、音楽と、珈琲と」 『珈琲が呼ぶ』という本は二〇一八年の一月に発売された。編集を担当して一冊の本にまとめた篠しの原はら恒つね木きさんが、最初に僕に見せたエッセイは、鴻こうの巣す友ゆ季き子こさんによるものだった。題…
2020.6.5
残りご飯のバター炒めと海苔の佃煮
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 一枚の写真が、なんらかのかたちあるいは意味で、物語のなかで重要な役を果たす短編小説をいくつか書き、一冊の本を作ってみたい、といま僕は考えている。物語はみな多様なものになるだろう。どのような物語をどんなふうに構成し、それ…
2020.4.2
あの路地にいまも昔の自分はいるか
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 神保町の三省堂の前を西へ通り過ぎ、左の脇道に入ってすぐ右側、すずらん通りへ出る手前に、西へのびる短い路地がある。この路地に入ると、そこには出会うものがたくさんある。僕は大学生だった頃からフリーランスのライターでもあった…
2020.3.31
ウェスト・エンドの都市伝説
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 神保町の古書店で僕がアメリカのペイパーバックスを古書で買ったのは、ごくおおざっぱに言って、一九六〇年代の十年間だ。  渋谷から10番、須田町行きの都電に乗ると、やがて神保町に西から入ることは、中学生の頃から知っていた。…
2018.3.26
ペイパーバックの中のトルーマン・カポーティ
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 トルーマン・カポーティの小説『ティファニーで朝食を』を、いま頃になってようやく僕は読んだ。長編小説だとばかり思っていたのだが、短い小説だ。しかし短編とも呼びがたいのだろう、シグネットというペイパーバックの叢書で一冊にま…
2017.10.8
それらは消えた、そしてそれっきり(2)
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《(1)からのつづき》  いまも神保町にあるもの。とっくに、あるいはいつのまにか、消えてしまったもの。この両者を、不確かな僕の記憶のなかで見くらべていると、なんと言ったって決定的に消えたのは都電だ、という思いに僕は到達し…
2017.10.7
それらは消えた、そしてそれっきり(1)
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 建てなおす以前の三省堂は良かった。あのクラシックな建物は、見るからに三省堂だった。たとえばお茶の水駅から明大前の坂を降りてきて、駿河台下の交差点から向かい側を見ると、そこに三省堂があった。あの建物がいつ頃に建てられたも…
2016.11.12
万年筆についての文章
 原稿料のともなう文章を、僕は大学生の頃から書き始めた。原稿料がともなう文章とは、この場合は、商業的に出版されている雑誌に書く、という意味だ。  そのような文章には、当然のことだが、締切りがある。なにを書くにしても、その…
2016.11.6
彼は鉛筆を削りながら交差点を渡っていった
 かつて鉛筆で原稿を書いていた頃、僕は自宅ではその鉛筆をナイフで削っていた。スイス・アーミー・ナイフ、つまりヴィクトリノクスあるいはウェンガーのどちらでもいい、長さ五センチと一センチ八ミリの大小ふたつの刃が一枚ずつついて…
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