884編公開中。 今を映す手鏡のように
社会 の一覧
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2019.7.19
僕の国は畑に出来た穴だった 3
縦書き
前回(2) この作品は、『日本語の外へ』「第2部 日本語──ペシミズムを越えようとしていいのか」 に収録されたものです。 3  幼い僕が初めて自分の国というものに気づいたら、その国は戦争をしていた。戦争をしていたという言…
2017.8.9
『ハナ子さん』一九四三年(昭和十八年)(2)
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前回(1)はこちら  隣組とは、昭和十五年に日本国家が制定した、最末端の一般市民組織だ。政府からの伝達を伝え合ったり、生活物資を配給したりするときに機能したそうだ。国民をひとからげに管理しようとした国家の試みのひとつだ。…
2017.8.8
『ハナ子さん』一九四三年(昭和十八年)(1)
縦書き
 映画の冒頭、タイトルよりも先に、「撃ちてし止まむ」という言葉が画面に出る。この言葉を僕は知っている、しかし、どのような経過をへて世のなかに出た言葉なのか、背景はまったく知らない。しかし調べればすぐにわかる。一九四三年の…
2017.3.26
察し合いはいかに変形したか
 思いやり、という言葉が日本で死語になる日が来るだろうか、と僕は自問する。思いやりという言葉はとっくに死語になっている、と僕は答える。思いやりとは、なにか。思いをやることだ。自分の思いを、他者にやること。やるとは、おこな…
2017.3.25
なにも言わない人(2)
前回|1|  他者との関係ごとに相手および自分の呼称を変化させつつ、自分への利益の誘導にかまけ続け、したがって現実と立場とを離れることのついにない、小さな小さな自分という人。そのような人が、日本語世界で日本語を使う、最小…
2017.3.22
性悪説でいこうか
 監視カメラの設置される場所が急速に増えている。集合住宅のエレヴェーターとその周辺、商店街や歓楽街のあちこち、ATM、コンビニ、駅や空港、駐車場など、それぞれの管理者が、そこを利用する人たちの安全や安心、あるいは防犯のた…
2017.3.13
体に悪い日本語
 体に悪い食べ物、というものは確かにあるようだ。ごく普通の食べ物だと思われていて、多くの人が日常的に食べているけれど、そのまま食べ続けるとやがて体のあちこちの機能を損なう、という性質の食べ物だ。このような食べ物を中軸のひ…
2017.3.12
過去と未来から切り離されて
 自分、という人にとって、いちばん楽なありかたは、どのようなありかただろうか。自分、という人は、この自分自身という意味ではなく、いまの日本に生きている人たちのひとりひとり、というほどの意味だ。  自分という人の基本は、な…
2016.12.23
「そいつぁ、いかすぜ」
「いかすぜ」という言いかたが登場したのは、一九五〇年代のなかばだったと思う。当時のひとりの映画スターの個人的な口ぐせのような言葉だったが、ものの見事に時代を反映していたがゆえに、十代後半から二十代半の、戦後生まれとは言え…
2016.11.23
社員証と高い付加価値
『スーダラ節』という歌が全国的なヒットになったのは一九六一年のことだ。この歌によれば、サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ、ということだった。文字どおりこの気持ちでいた人たちが多かったと同時に、これでいいのか、このままで…
2016.11.21
日本語が消えていく
 戦後から現在までの六十年近い期間のなかを、日本は五年きざみで激変を繰り返してきた。人も社会も五年ごとに、それまでとは質もかたちもメカニズムも、まるで異なる別のものへと転変していった。焼け跡からの復興、高度成長、バブル、…
2016.7.31
「抵抗勢力」と「バブルの崩壊」
 言葉だけはいたるところで盛んに飛び交い、したがって多くの人たちが使うから自分も使い、使っているうちになんとなくわかったつもりになりながらも、その言葉が具体的になにを指し示し、どのようなことを意味しているのか、正確な実態…
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