973編公開中。 今を映す手鏡のように
母親 の一覧
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2020.7.3
僕はこうして日本語を覚えた
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 日本で育っている子供は、その子供をいつも取り巻いている日常のなかで、日本語を覚えていく。身辺にいる大人たちが喋るのを聞いては、覚えていく。育っていく環境という、成り行きの見本のような日常のなかに、どの子供もいる。その成…
2020.6.12
読売新聞、金曜日夕刊
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1  義  自分の名前にある義という字について。男のこが生まれたらヨシオにしよう、と父親は考えていたが、彼は漢字のまったく書けない日系二世で、音声としてのヨシオを好いていただけだ。漢字をみつくろったのは母親だ。ヨシオのヨ…
2020.5.4
あほくさ、と母親は言った
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 僕には母親がひとりいる。日常的な日本語では、産みの母、と言われている。英語ではバイオロジカル・マザーと言うようだ。その産みの母は、育ての母、でもあった。あのひとりの女性が僕を産み、僕を育てた。そのことに間違いはない。僕…
2020.4.30
南日本新聞のあれやこれや
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僕におけるもっともらしさ  かつて南米のペルーから日本へ数多くの男性たちが仕事をしに来ていた。彼らの姿をいまはまったく見ない。日本の失われた二十年の始まりとともに彼らも帰国し始めたなら、彼らが日本を去り始めてすでに二十年…
2020.2.21
大人になっても手放せないものはありますか?
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世界で有名になったライナスの毛布  PEANUTSの日めくりカレンダーを僕は今年の1月1日から使っている。8月24日からはライナスのブランケットが主題だ。いま僕がこれを書いているのは9月6日だ。ライナスのブランケット問題…
2019.12.17
友だちの家で食べた
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 友だちの家で初めて食べたものが、僕には多いような気がする。印象が強く残り、したがっていまでもよく覚えているものを三つだけあげると、寒天、芋粥、そしてカレーライスとなる。  寒天は武家屋敷の別邸に住んでいた友だちのところ…
2018.3.2
女たちの描く「女」が怖い
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 いちばん左にあるのを僕は二〇〇七年の夏に読んだ。まんなかのを秋口に、そして右側にあるのは、冬になってから読んだ。二作とも女性の書き手によるものだ。意図してそう選んだのではなく、まったくの偶然だ。偶然と言えば、表紙の写真…
2018.2.23
一九六二年、ボストンの怪事件
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 第一回の殺人は一九六二年の六月に起きた。ボストンの小さなアパートメントの自室で五十五歳の女性が絞殺・強姦された。二週間後、おなじくボストンで六十歳の女性が、まったくおなじような状況のなかで、おなじように殺害された。続い…
2018.1.29
「リーヴィング・ホーム」
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 タイトルのリーヴィング・ホームは、直訳的な理解だと、家を去る、という意味だが、このアニタ・ブルックナーの二〇〇五年の小説の文脈では、家を出る、と解釈しておくといい。そしてこの場合の家とは、母親と同義だ。母親といっしょの…
2017.9.19
『パリ・テキサス』を観た
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 空中から撮影した荒野が画面に映る。その荒野のなかを、ひとりの男が歩いている。いったいこの男になにごとが起こったのだろうかと、スクリーンを観ている人は思う。ここから、この映画はスタートする。  荒野をひとりで歩いて来たそ…
2017.6.1
テキーラの陽が昇る
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 会議は二時間、続いた。十五分の休憩があり、会議は再開された。それから一時間が経過していた。さらに一時間は、続くはずだ。この会議をとりしきっている男性は、会議のためにこのような時間のとりかたをするのが、好みだ。休憩をあい…
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