981編公開中。 今を映す手鏡のように
東京書籍 の一覧
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2020.9.11
御八つ、お三時、三時ですよ
縦書き
 こうしてスパゲッティ・ナポリタンを初めて体験してからの僕が、なにかと言えば店でナポリタンを食べる子供になったかというと、そんなことはなかった。ナポリタンを作ってくれるよう、母親に頼む子供にもならなかった。なぜなら、この…
2020.9.9
なんでも好きなものを食べたまえ
縦書き
 僕にとっての日本はオキュパイド・ジャパン、つまり占領下の日本だった。一九四五年夏の敗戦からそれは始まり、歴史年表の上では一九五一年九月、サンフランシスコ講和会議で対日講和条約が調印されたときまで、続いた。赤子そして幼子…
2020.9.4
かあちゃん、腹へったよう
縦書き
 日本におけるケチャップの運命をたどるとき、立ち寄らずにすませることのできないもののひとつは、チキンライスだ。ごく普通の家庭でのチキンライスについて、考えてみたい。  食事の時間ではないときに、「かあちゃん、腹へったよう…
2020.9.2
小麦をどう食べるか
縦書き
 パスタは、小麦をどう食べるかという、人類にほぼ共通の普遍的な課題への、ひとまずの回答だ。小麦を栽培することを知ってからその小麦を粉にするまで、古代エジプトでは二百年ほどかかっていたことを、僕はどこかで読んでかなり驚いた…
2020.8.26
元帥とイタリア風のスパゲッティ
縦書き
 一九四五年(昭和二十年)八月三十日、日本を占領する連合軍の総司令官、ダグラス・マッカーサー元帥とその一行が、フィリピンから神奈川県の厚木飛行場に到着した。当初の予定では八月二十八日に日本へ来るはずだったが、その日の日本…
2020.8.24
いかなる理由でナポリタンなのか
縦書き
 スパゲッティ、と片仮名で書いた一語がころんと目の前にある状態は、かなりのところまで不思議だ。目にした一瞬、読めはするけれど、それがなにを意味するのか、わからない。いつもの駅なかや駅そばの、あの店この店で食べる、お待たせ…
2020.8.14
ナポリタンをシェアしたくない昭和の子供
縦書き
 外寸で直径が六十五ミリ、高さはちょうど百ミリのスティール缶だ。プル・リングで開けることができる。二百九十五グラムのパスタ・ソースが入っている。二人前から三人前として使えるそうだ。缶から鍋に空けて、かき混ぜながら弱火で温…
2020.8.11
デュラム、セモリナ、アル・デンテ
縦書き
 私はスパゲッティが好き、と言うならその言葉の裏づけとして、『文化麵類学ことはじめ』(石毛直道著、一九九五年講談社文庫。後に講談社学術文庫『麵の文化史』)という本を読んでほしい、という思いでこの本を紹介しておこう。この本…
2019.11.8
鉛筆を削るとき
縦書き
 僕は鉛筆を削るのが好きだ。ひとりで鉛筆を削っているときの自分の状態を、僕は好いている。鉛筆を削ることを覚えたのは小学校へ入る前ではなかったか。新しい鉛筆を削っていき、芯があらわれ、その芯をほどよく尖らせていると、心地良…
2017.8.25
明日への希望は社会の財産
縦書き
 一九六二年に公開された日活映画『キューポラのある街』で、若い女優としてまず最初の頂点をきわめた頃の吉永小百合をめぐって、スクリーンに投影される彼女のイメージとして大衆がもっとも歓迎したのは、彼女の全身、その一挙手一投足…
2017.8.23
あなたの家の赤い屋根
縦書き
 一般常識のテストで正解を取るのは、ひとつに固定された理解のしかたを、自分もまたなぞることだ。ほんとうはなにも知らない人にとっての、そう教えられたからそう答えておくという種類の、まったく形式上の出来事だ。そしてその形式の…
2017.8.22
純情だったあの頃のリンゴ
縦書き
 戦後、というと「リンゴの唄」だ。昔の日本人の心のなかで、両者は一本の線で結ばれている。心のなかと言うよりも、いわゆる一般常識のなかでは、と言ったほうが正確かもしれない。「敗戦後のなんにもない虚脱状態の日本人たちの胸に、…
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