884編公開中。 今を映す手鏡のように
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2017.10.9
引っ越しという自己点検
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 いろんな視点から自分を点検し考察しなおすための、たいへんな好機のひとつは引っ越しではないか。六年前におこなった引っ越しは、僕にとっては確実にそのとおりの機会だった。そのとき点検し考察しなおした自分というものは、それ以後…
2017.10.8
それらは消えた、そしてそれっきり(2)
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《(1)からのつづき》  いまも神保町にあるもの。とっくに、あるいはいつのまにか、消えてしまったもの。この両者を、不確かな僕の記憶のなかで見くらべていると、なんと言ったって決定的に消えたのは都電だ、という思いに僕は到達し…
2017.10.7
それらは消えた、そしてそれっきり(1)
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 建てなおす以前の三省堂は良かった。あのクラシックな建物は、見るからに三省堂だった。たとえばお茶の水駅から明大前の坂を降りてきて、駿河台下の交差点から向かい側を見ると、そこに三省堂があった。あの建物がいつ頃に建てられたも…
2017.9.17
スーザンが育った時代(3)
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《(2)からのつづき》 10 『花と咲く』と『アイヴィの日々』を読み終わって、ぜんたいに関して静かな気持ちで丁寧に考えをめぐらせていくと、『アイヴィの日々』のいちばん最後の部分の破綻のしかたは、ぜんたいにおよんでいる端整…
2017.9.16
スーザンが育った時代(2)
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《(1)からのつづき》 7  スーザン・アレンの文章は、落ち着いた静かさをたたえた、誠実な文章だ。ことさらにドラマを作ったりすることなく、正しい遠近法を常に守りながら、ひとつひとつきめこまかく、書くべきことをその順番にし…
2017.9.15
スーザンが育った時代(1)
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1  南ダコタ、ネブラスカ、アイオワ、イリノイと続くコーン・ベルトのまんなかに、アイオワ州がある。このアイオワ州は、ぜんたいがまっ平らだと、よく言われている。わかりやすくひと言で言うなら、まっ平らかもしれない。標高がもっ…
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