882編公開中。 今を映す手鏡のように
時間 の一覧
1 2 3
2017.7.12
時間のテーマ・パークを
縦書き
 建てられてからすでに存分な量の時間が経過しているがゆえに、それじたいがすでにそのような時間そのものとなっていると言っていい建物、そしてその周辺。たとえばそのほんの一例として、この二ページ〔写真・上〕にあるような建物とそ…
2017.3.19
なにもしなかった4年間(2)
前回|1|  きっとそうだ、といまの僕は思う。なにのために僕はそんなことをしたのか。自覚はまったくしていなかった。だから、なにのために、というようなことは、考えてもみなかったはずだ。なにのためでもなく、ほとんどいっさいの…
2017.3.12
過去と未来から切り離されて
 自分、という人にとって、いちばん楽なありかたは、どのようなありかただろうか。自分、という人は、この自分自身という意味ではなく、いまの日本に生きている人たちのひとりひとり、というほどの意味だ。  自分という人の基本は、な…
2017.3.11
いつかどこかで
 あるひとつの光景を目にして、これとおなじ光景をいつかどこかで見たことがある、と思う心理的な働きぜんたいを指して、既視感と呼んでいる。光景ではなく状況でもいい。過去のどこかでおなじような光景や状況を本当に体験していて、そ…
2017.1.31
日常の現実にかまけていると本を読む時間はどこにもない
■片岡さんは多忙な人だと思うのですが、本を読む時間は、どうやって作るのですか。  面白い本というものは、まちがいなく面白いのです。自分で面白い本をみつけてきてそれを自分で読むことの楽しさを、ぼくはごく幼い頃に発見してます…
2016.10.8
一冊のペーパーバックは、日常ではない時間の象徴だ
 英語による僕の読書はペーパーバックに限られていると言っていい。不特定多数を相手にしたマス・マーケット用のいわゆるペーパーバックと、読者が多数であるにこしたことはないけれど不特定ではあり得ないクオリティ・ペーパーバックの…
2016.10.4
本を三冊買う
 本を三冊買う、という楽しみかたの方針を、現在の僕は確定されたものとして持っている。三冊だと買うときにもっとも楽しい。おそらくそのせいだと思うが、買ってからずっとあとまで、その楽しさは持続する。だから、楽しみかたの方針と…
2016.9.21
やがて隠者になるのか
 二十代前半の頃には、どこで誰と会っても、誰と仕事をしても、そのときそこに集まった何人かの人たちのなかで、いちばん若いのは常に僕だった。 「きみはいくつなんだ」 「二十四歳です」 「なぜそんなに若いんだ、馬鹿野郎」  と…
2016.9.18
午後の紅茶の時間とは
 いま僕が滞在を許されているお屋敷では、午後三時になると、三時ぴったりに、僕の仕事部屋のドアにノックの音が聞こえる。はい、と僕が返事をすると、お茶のお時間でございます、いかがなさいますか、とドアのむこうから女性の声がきい…
2016.9.17
なぜいま僕はここにいるのだろうか
 尾道は三度めだ。最初は僕が六歳か七歳の頃、父親の運転する米軍の車で通り抜けた。敗戦後まだ日の浅い時期だ。夏の暑い日だった。二度めは三年まえ、ある雑誌の連載記事の取材のため、編集者そして写真家とともに、坂の町と誰もが言う…
1 2 3