972編公開中。 今を映す手鏡のように
日本 の一覧
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2020.7.3
僕はこうして日本語を覚えた
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 日本で育っている子供は、その子供をいつも取り巻いている日常のなかで、日本語を覚えていく。身辺にいる大人たちが喋るのを聞いては、覚えていく。育っていく環境という、成り行きの見本のような日常のなかに、どの子供もいる。その成…
2020.7.2
風がそこに吹いている
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1  そこにいるのは自分ひとりだけという他に人のいない状態を寂しいと言うなら、それはlonesomeだよと、英語で説明されたのは、僕が六歳くらいのときだ。この説明を聞いてlonesomeはよくわかったが、自分では使うこと…
2020.6.30
TVの記憶をふたつ
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 当時の僕の仕事場はたいそう快適だった。東の端にあった階段を二階へ上がり、まっすぐの廊下を西へ向けて歩いていき、突き当たりにあった和室を抜けると、二十畳ほどの広さの人工芝のヴェランダだった。このヴェランダの南西の角に、温…
2020.6.23
すでにそうなってそこにある
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 一九四九年に製作された『黄色いリボン』というアメリカの西部劇が日本で公開されたのは一九五一年、昭和二十六年のことだった。二〇一九年から振り返ると六十八年前だ。対日講和条約と日米安全保障条約のふたつが調印された年だ。『黄…
2020.6.16
パーマの帝国
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「パ」と「マ」のふたつの片仮名に、音引きの縦棒「ー」を一本加えて作る「パーマ」という言葉は、まだ充分に現役であるようだ。太平洋戦争が終わるのとほとんど同時に、この言葉が日本じゅうに広がった。戦後の日本でいっせいに始まった…
2020.6.12
読売新聞、金曜日夕刊
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1  義  自分の名前にある義という字について。男のこが生まれたらヨシオにしよう、と父親は考えていたが、彼は漢字のまったく書けない日系二世で、音声としてのヨシオを好いていただけだ。漢字をみつくろったのは母親だ。ヨシオのヨ…
2020.5.27
リアル・マヨネーズの473ミリ・リットル
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 ベストフーズのマヨネーズを久しぶりに買った。ガラスの瓶に入っている。瓶の胴体に紙のラベルが巻いてある。ラベルのデザインに用いてあるこのダーク・ブルーやこの黄色、そして赤と白などには充分に見覚えがある。キャップもダーク・…
2020.5.19
ナポリへの旅
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 スパゲッティ・ナポリタン、という呼び名の料理が、かつて日本にあった。あるいは、いまでもまだある、と言うべきか。間に合わせにちょっとなにか食べておく、という食べかたの伝統が、たとえば首都東京には江戸時代からある。江戸に流…
2020.5.16
スープはどうなさいますか
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 いまの日本のどこへいっても、そこにはスーパーがある。片仮名書きされたスーパーという言葉はもうとっくに日本語で、スーパーを意味する。スーパーとはなにですか、と尋ねられたなら、それはスーパーです、と答えるほかない。字面とそ…
2020.5.11
それはいまもこの黄色なのか
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 二十代の前半から後半にかけての数年間、キャンベルの缶詰スープをしばしば食べた、という記憶がかすかにある。主として朝食だったと思う。自分で買っていたのは確かだが、それがどこだったか思い出せない。僕ひとりでどこかへ買いにい…
2020.4.29
そうか、きみは島へ帰るのか
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 ハワイから日本へ戻ることにきめた数日後、親しい日系の二世の男性が、So. You are going back to your island.と、僕に言った。そうか、きみは島へ帰るのか、というような意味だ。日本が島だと…
2020.4.17
僕の日本語がなぜつうじるのか
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 アメリカの爆撃機による東京の空爆を逃れて、山口県の岩国にいた僕は、一九四五年八月六日の朝、友人の家から自宅へ帰るため、ひとりで外を歩いていた。広島に投下された原爆の閃光を、当時五歳の僕は、全身で受けとめるかのように、う…
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