981編公開中。 今を映す手鏡のように
日常 の一覧
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2020.9.11
御八つ、お三時、三時ですよ
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 こうしてスパゲッティ・ナポリタンを初めて体験してからの僕が、なにかと言えば店でナポリタンを食べる子供になったかというと、そんなことはなかった。ナポリタンを作ってくれるよう、母親に頼む子供にもならなかった。なぜなら、この…
2018.12.5
リコー・XR6
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 女性の脚がある光景の写真は銀座で撮った。歩道を歩いていたらこの光景が見えた。だから僕はそれを写真に撮った。西欧の白人女性の脚だと断定していい。見事な出来ばえの脚だ、と多くの人が思うはずだ。僕もそう思う。  この一対の脚…
2018.11.28
ヤシカ・エレクトロ35MC
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 ヤシカ・エレクトロ35というシリーズのなかの、このMCという機種を、僕は一年前に初めて見た。中古写真機店のガラス・ケースのなかにあり、値段は四千円だった。シャッター羽根のあいだに油がにじみ出てくっつき、シャッターは作動…
2018.5.16
報道だからこそいまも魅力を失っていない
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〈書評〉木村伊兵衛著『木村伊兵衛のパリ ポケット版』  パリのパリらしさをよく知っている日本女性に、本書『木村伊兵衛のパリ』を見てもらった。彼女は木村伊兵衛の名を知らないわけではない。彼が撮影した日本の職人や戦前の東京の…
2018.5.4
江戸人にみる虚構の楽しみかたの極意
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〈書評〉アダム・カバット著『江戸の化物 草双紙の人気者たち』  雨のそぼ降る寂しい夜、異様に大きな頭に竹の子笠をのせ、着物一枚に帯をしめて素足にわらじを履き、漆塗りの丸盆に紅葉の印のついた豆腐を一丁のせて手に持ち、もうい…
2018.4.11
自己都合の神などそもそも居場所はない
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〈書評〉土井健司著『キリスト教は戦争好きか キリスト教的思考入門』  人と人との関係はいまごく部分的な要素だけで成立している。かろうじて維持している役割、機能、立場などだけで、人は人との関係を作っている。いまの日本ではこ…
2017.12.8
そこはスープの国だった
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 アメリカにおける日常的な料理そして食事のなかで、スープは錬金術にも似た位置づけにあったのではないか。あったと過去形で書くのは、現在のアメリカではスープは箱や袋そして罐などに入り、食料品として最下層に定位置を見つけて、そ…
2017.11.9
この光と空気のなかに
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 エドワード・ホッパーの絵を見るたびに感じることについて、僕は書いてみることにする。見るたびに感じるとは、見るたびに感じることの質や方向に沿って、そのたびに、けっして小さくない影響を、ホッパーの絵から僕は受けている、とい…
2017.8.29
家庭から遠かった男たち
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 自分の家庭以外のところで食事をすること、たとえば街の軽食堂で昼食にせよ夕食にせよ、一回の食事としてなにかを食べることは、子供の頃の僕にとっては、家庭を中心とした日常のなかに成立しているルーティーンから、明らかに逸脱した…
2017.8.25
明日への希望は社会の財産
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 一九六二年に公開された日活映画『キューポラのある街』で、若い女優としてまず最初の頂点をきわめた頃の吉永小百合をめぐって、スクリーンに投影される彼女のイメージとして大衆がもっとも歓迎したのは、彼女の全身、その一挙手一投足…
2017.8.7
平和の記念写真
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 このふたつの光景それぞれに、心惹かれるものがあった。だからこそ僕はそれらを写真に撮ったのだが、撮る行為は反射的なものだった。なぜ自分は心惹かれるのかについてはなにも考えないまま、現像の出来たフィルムは適当にファイルし、…
2017.8.5
自分探しと日本の不況
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 いまの日本は消費不況のなかにあるという。物が売れないのだ。なにがどのくらい売れれば気がすむのか、という問題はいまはかたわらに置いておくとして、売れないのは人々が買わないからだ、これは誰にでもわかる。なぜ買わないのか。買…
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