981編公開中。 今を映す手鏡のように
新宿 の一覧
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2020.9.11
御八つ、お三時、三時ですよ
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 こうしてスパゲッティ・ナポリタンを初めて体験してからの僕が、なにかと言えば店でナポリタンを食べる子供になったかというと、そんなことはなかった。ナポリタンを作ってくれるよう、母親に頼む子供にもならなかった。なぜなら、この…
2020.6.5
残りご飯のバター炒めと海苔の佃煮
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 一枚の写真が、なんらかのかたちあるいは意味で、物語のなかで重要な役を果たす短編小説をいくつか書き、一冊の本を作ってみたい、といま僕は考えている。物語はみな多様なものになるだろう。どのような物語をどんなふうに構成し、それ…
2020.4.15
チェックアウトはいつでも出来る
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 一九七一年にリンダ・ロンシュタットのバンドとして彼女とツアーに出ていたとき、自分たちのバンドを作ろうではないか、という意見で四人はまとまった。グレン・フライ。ドン・ヘンリー。バーニー・リードン。ランディ・マイズナー。マ…
2020.3.31
ウェスト・エンドの都市伝説
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 神保町の古書店で僕がアメリカのペイパーバックスを古書で買ったのは、ごくおおざっぱに言って、一九六〇年代の十年間だ。  渋谷から10番、須田町行きの都電に乗ると、やがて神保町に西から入ることは、中学生の頃から知っていた。…
2018.3.21
あの映画をもう一度観たい、その1
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 イギリスとスイスとの合作映画『ワイルド・ギース』が制作されたのは一九七八年だった。そしてその年に日本でも劇場公開された。僕は東京の渋谷で観た。プラネタリウムのあった建物のなかの映画館だった。いまからちょうど三十年前のこ…
2018.2.7
「グレーテスト・ヒッツ」
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 昨年の夏、真夏日の夕方、僕はひとりで新宿を歩いていた。新宿駅の南口から道を渡り、サザン・デッキとかいう通路をその奥に向かいながら、僕の頭のなかには、とりとめなくいろんなことが浮かんでは、消えていた。前後の脈などまったく…
2017.7.23
渡り鳥と寿司について
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 一九六一年には大学の三年生だった僕は、その年の夏を房総半島の館山で過ごした。なぜ館山だったのか、いまとなってはなにひとつわからない。当時の僕は房総半島に関しては完全に無知だったはずだ。学校の友人に教えてもらったのかもし…
2017.6.13
金魚と散歩だ
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 梅雨の晴れ間、平日の午後、約束どおりの時間に、僕はその喫茶店の自動ドアを入った。彼女が指定した喫茶店だ。僕もときどきここでコーヒーを飲む。彼女と偶然にここで逢うことが、これまで一度もなかった。そのことについて思いながら…
2017.5.11
鮎並の句を詠む
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 鮎並と書いて、あいなめ、と読むらしい。当て字だろう。電車のなかに吊ってあった清酒の広告で、初めて知った。誰が見ても鮎並にしか見えない魚が一尾描いてあり、俳句がひとつ添えてあった。鮎並の皮の旨みのじっんわりと。こういう俳…
2017.4.28
今日も小田急線に乗る
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 小田急線の駅名のなかに「ヶ」という片仮名が六つある。そのうちの四つは花と関係している。その花とは、新宿のほうから順に、梅、百合、そして桜だ。百合はふたつならんでいる。「ノ」と言う片仮名がひとつ。これは片瀬江ノ島だ。「ラ…
2016.7.12
君はなぜ恋しいか
 歌謡曲、あるいは流行歌、どちらでもいいけれど、もの心についてから現在にいたるまで、僕はそれらとどのような接触を持っただろうか。もの心ついてから現在にいたる期間は、日本の戦後五十数年という期間そのままだ。  幼時から子供…
2016.6.18
海苔を巻いたおにぎりの謎
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 つい先日、残暑が続く平日の午後、いつもの私鉄の電車に乗って、僕は新宿に向かった。空いている席があったので僕はそこにすわった。電車のなかで僕は本を読んだりしない。その反対の居眠りもしない。いっぽうの極に読書があり、もうい…
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