972編公開中。 今を映す手鏡のように
戦争 の一覧
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2020.5.16
スープはどうなさいますか
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 いまの日本のどこへいっても、そこにはスーパーがある。片仮名書きされたスーパーという言葉はもうとっくに日本語で、スーパーを意味する。スーパーとはなにですか、と尋ねられたなら、それはスーパーです、と答えるほかない。字面とそ…
2020.5.12
「四角い食事」とは、なにか
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 スクエア・ミールという英語の言葉を日本語に直訳すると、四角い食事、ともなるだろう。一般に市販されている普通の煙草ではない、マリファナ煙草のようなものを総称して、スクエア・ミールと呼んでいた時代があった。いまでもその意味…
2020.5.11
それはいまもこの黄色なのか
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 二十代の前半から後半にかけての数年間、キャンベルの缶詰スープをしばしば食べた、という記憶がかすかにある。主として朝食だったと思う。自分で買っていたのは確かだが、それがどこだったか思い出せない。僕ひとりでどこかへ買いにい…
2020.5.4
あほくさ、と母親は言った
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 僕には母親がひとりいる。日常的な日本語では、産みの母、と言われている。英語ではバイオロジカル・マザーと言うようだ。その産みの母は、育ての母、でもあった。あのひとりの女性が僕を産み、僕を育てた。そのことに間違いはない。僕…
2019.7.19
僕の国は畑に出来た穴だった 3
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前回(2) この作品は、『日本語の外へ』「第2部 日本語──ペシミズムを越えようとしていいのか」 に収録されたものです。 3  幼い僕が初めて自分の国というものに気づいたら、その国は戦争をしていた。戦争をしていたという言…
2019.7.19
僕の国は畑に出来た穴だった 2
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前回(1) この作品は、『日本語の外へ』「第2部 日本語──ペシミズムを越えようとしていいのか」 に収録されたものです。 2  まだごく幼い僕がふと気づいたら、日本つまり自分の国は勝つはずのない戦争をしていた。勝つはずの…
2019.7.19
僕の国は畑に出来た穴だった 1
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この作品は、『日本語の外へ』「第2部 日本語──ペシミズムを越えようとしていいのか」 に収録されたものです。 1  僕はいま一枚の写真を見ている。八十センチ四方ほどの大きさにプリントされた、黒白の航空写真だ。ニメートルほ…
2018.2.23
一九六二年、ボストンの怪事件
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 第一回の殺人は一九六二年の六月に起きた。ボストンの小さなアパートメントの自室で五十五歳の女性が絞殺・強姦された。二週間後、おなじくボストンで六十歳の女性が、まったくおなじような状況のなかで、おなじように殺害された。続い…
2018.2.5
「フラッグス オブ アワファーザーズ」
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 日本軍の守備隊が守る硫黄島を奪取するため、グリーン・ビーチと自ら名づけた海岸にアメリカの海兵隊が上陸したのは、一九四五年一月十九日のことだった。そして三月十二日、二万二千名もの日本兵のほとんどを戦死させて、アメリカ軍は…
2018.1.26
「ワンス・アポナ・タウン」
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『ワンス・アポナ・タウン』というノン・フィクションは、二〇〇二年に刊行されたボブ・グリーンの作品だ。次の年にペーパーバックになったのを、僕は今年の春に手に入れた。ワンス・アポナ・タイム(昔々、あるとき)という定型の言いか…
2018.1.22
「ヨコタ・オフィサーズ・クラブ」
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 アメリカの軍事力を、攻撃力のきわめて高い数多くの基地という、もっとも端的なかたちで国内に持ちながら、戦後の日本は独立し、国際社会へ復帰した。その戦後日本の憲法にうたわれている、戦争の放棄という条項のかわりに、同盟国であ…
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