882編公開中。 今を映す手鏡のように
少年時代 の一覧
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2019.7.19
僕の国は畑に出来た穴だった 3
前回(2) この作品は、『日本語の外へ』「第2部 日本語──ペシミズムを越えようとしていいのか」 に収録されたものです。 3  幼い僕が初めて自分の国というものに気づいたら、その国は戦争をしていた。戦争をしていたという言…
2019.7.19
僕の国は畑に出来た穴だった 2
前回(1) この作品は、『日本語の外へ』「第2部 日本語──ペシミズムを越えようとしていいのか」 に収録されたものです。 2  まだごく幼い僕がふと気づいたら、日本つまり自分の国は勝つはずのない戦争をしていた。勝つはずの…
2019.7.19
僕の国は畑に出来た穴だった 1
この作品は、『日本語の外へ』「第2部 日本語──ペシミズムを越えようとしていいのか」 に収録されたものです。 1  僕はいま一枚の写真を見ている。八十センチ四方ほどの大きさにプリントされた、黒白の航空写真だ。ニメートルほ…
2017.5.27
トマト、胡瓜、豆ご飯、薩摩芋
縦書き
 自分のところの畑の一角には夏にはトマトが実った。海へいく途中でその畑の近くをとおるなら、寄り道をしてそこへいき、トマトを三つ四つもいで海へ持っていった。熟れる前の緑色の不思議な球体が、半分以上は赤くなっているトマトだっ…
2017.5.14
母の三原則
縦書き
 あなたのお母さんに関してもっとも印象に残っていることはなにですかと、ごく最近、人に訊かれた。尋問の雰囲気をかすかに感じさせるような、きわめて真面目な質問のしかただった。母親その人のものとして、もっとも強く特徴的だったの…
2017.5.5
少年たちの共和国
縦書き
「おもしろブック」に連載されていた『少年王者』を夢中になって読んだのは、いつごろだったのだろうか。小学生あるいは中学一年、二年といった年齢のころのようだ。  発売日に書店まで歩いていき、帰り道に道ばたにすわりこみ、『少年…
2017.3.28
梅ヶ丘まで歩いて七分
子供の頃から三十代の終わり近くまで住んだ場所から、小田急線の梅ヶ丘駅まで、歩けば七分くらいだったと思う。故郷のすぐ隣が梅ヶ丘だ。いまでもそのくらいの親近感は続いている。 高校生の頃に自転車で学校へいくには、自宅を出てすぐ…
2016.11.18
こうして覚えた日本語
 漢字の口(くち)という字は、子供の僕にとっては、ひとつの小さな四角だった。四角い一区画、つまりワン・ブロックだ。この認識は片仮名のロ(ろ)に対しても、まったくおなじようにあてはまった。この口というワン・ブロックのまんな…
2016.9.17
なぜいま僕はここにいるのだろうか
 尾道は三度めだ。最初は僕が六歳か七歳の頃、父親の運転する米軍の車で通り抜けた。敗戦後まだ日の浅い時期だ。夏の暑い日だった。二度めは三年まえ、ある雑誌の連載記事の取材のため、編集者そして写真家とともに、坂の町と誰もが言う…
2016.8.21
水鉄砲を買う人
 今年の夏も水鉄砲を買った。拳銃のかたちをした玩具の水鉄砲だ。夏になってから、ひと月ほどあいだを置いて、一丁ずつ。色鮮やかな透明のプラスティック製で、ひとつは現実に存在するオートマティック・ピストルを模した、その意味では…
2016.8.6
その光を僕も見た
縦書き
 広島に原爆を投下したアメリカ軍の爆撃機の副操縦士は、その任務に関して、原爆投下を中心に十一ページにわたる簡単なメモのような記録をのこした。『ニューヨーク・タイムズ』の記者に依頼されたからだという。その依頼がなければ、投…
2016.6.19
父のシャツ
 幼年期を終って少年期へ入っていこうとしていたころのぼくにとって、いつも身近にありながら解明不可能な謎をいくつもはらんで常に魅力的であったもののひとつに、父親の着ていたシャツというものがある。なかでも仕事のときに身につけ…
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