882編公開中。 今を映す手鏡のように
写真 の一覧
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2017.10.5
蒼くはない時にむかって
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『百恵』というタイトルの大きな写真集を、友人がただでくれた。この写真集について、みじかい文章を書いてくれるなら、ただであげるというのだ。ただはいいけれど、気に入らなければなにも書けないかもしれない、とぼくはこたえた。  …
2017.7.26
モノクロームはニューヨークの実力
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 アンドリアス・フェイニンガーが自ら編集した写真集『一九四〇年代のニューヨーク』は、ぼくにとっては一機の非常にすぐれた出来ばえのタイム・マシーンだ。一九四〇年代という時間はとっくに過ぎ去ってもうないし、現在のニューヨーク…
2017.7.25
イースト・サイドの、暑い日の午後の消火栓
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 それほど緊急の用事でもない、という感じでパトロール・カーがくる。歩道に寄ってそのパトロール・カーはとまり、サマータイム・ユニフォームを着た中年の警官がふたり、外に出てくる。ひとりは居心地悪そうにあたりを見まわし、レンチ…
2017.7.24
夏の陽ざしとモノクロームの街
縦書き
 白と黒、そしてその中間にある無限階調、つまりさまざまな灰色だけで出来ている街というものを、夏の光のなかで夢想するのは楽しいものだ。白黒のフィルムで撮影するなら、どこのどのような街も、モノクロームの街になる。しかしそれは…
2017.7.22
沢水を満たし、小さな花をひとつ浮かべる
縦書き
 アーリー・ウインターズ社で買った透明なビニールの洗面器だ。折りたたんで平たくなっているのを広げ、そこへ水を満たす。外へ広がる水の重さによって、底は平らになり、壁は垂直に立つ。ぜんたいが透明だから、沢水をくんできて満たす…
2017.7.20
日本のMの字 その2
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 ここにもあのMの字がある、と思って撮ったのではない。グラフィックな面白さに惹かれて撮った。ただそれだけのことだ。しかしその二点をこうして左右のページに配置したのち、あらためて観察すると、東京の景観のなかに点在するディテ…
2017.7.18
江戸を歩く
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 七〇ページ*〔写真・右〕そしてその左隣の七一ページ〔左〕にあるふたつの光景は、おたがいによく似ている。よく似ていると言うよりも、同一であると言ったほうが正確だろう。ごくわずかな空間をあいだにはさんで、密接して建つ二軒の…
2017.7.12
時間のテーマ・パークを
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 建てられてからすでに存分な量の時間が経過しているがゆえに、それじたいがすでにそのような時間そのものとなっていると言っていい建物、そしてその周辺。たとえばそのほんの一例として、この二ページ〔写真・上〕にあるような建物とそ…
2017.7.1
少年の頃、写真家は、夏の日を見ていた
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 ジョエル・マイエロヴィッツの新しい写真集を手に入れた。『夏の日』というタイトルの写真集だ。『夏の日』というようなタイトルのもとに、マイエロヴィッツがどのようなカラー写真を見せてくれるのか、大いに期待して、僕はこの写真集…
2017.6.14
傘の記念写真を撮った日
縦書き
 傘は絵になる、という法則は充分に成立する、と僕は思う。日常生活のなかにすっかりなじんでいるから、もはや誰も傘に新たな視線を向けることはないようだが、別のページで書いたとおり、開いた状態でもあるいは閉じられていても、傘は…
2017.4.25
人生階段のぼり降り
縦書き
 東京の階段は写真の被写体になり得る。いろんな写真を撮ることが出来る。なぜ誰も撮らないのだろうか。東京で過ごした人生の、現実と自分との折り合いの収支決算は多少の赤字だがそれはまあいい、というような写真の主役として、階段は…
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