884編公開中。 今を映す手鏡のように
会社 の一覧
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2017.9.12
ガールの時代の終わりかけ
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 僕が新卒の新入社員として、会社というものをかすかに体験した時代は、いつだったのですかという質問に対しては、とりあえず年号を答えればいい。しかし年号は単なる数字だから、その頃を知らない人にとっては、年号などなんの意味も持…
2017.8.31
世界でいちばん怖い国
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 カーヴした静かな道からかなり高くなったところに、いまの僕の仕事場の建物がある。道の側にあるいくつかの窓から、カーヴしているその道のいくつかの地点を、それぞれ見下ろすことが出来る。ふと窓の前に立ち、なにげなく道を見下ろす…
2017.8.29
家庭から遠かった男たち
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 自分の家庭以外のところで食事をすること、たとえば街の軽食堂で昼食にせよ夕食にせよ、一回の食事としてなにかを食べることは、子供の頃の僕にとっては、家庭を中心とした日常のなかに成立しているルーティーンから、明らかに逸脱した…
2017.8.28
『妻』
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戦後の日本はやがて崩壊する仕組みのなかにあった。 一九五三年の映画がそのことを静かに教えてくれる。  一九五三年(昭和二十八年)の四月に公開された『妻』は、林芙美子の『茶色の目』という小説を原作としている。例によって例の…
2017.8.27
『女が階段を上る時』
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一九六〇年の日本でバーが全盛期を迎えた。 会社勤めの男たちがもっとも安心して寛げる場所だった。 『女が階段を上る時』という作品に関して、書きたいことはさほどない。このような映画を僕は苦手としている。つまらないから、という…
2017.8.15
拡大にまきこまれた
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 水田稲作の村落から始まった、あくまでも個々の現実に則してものごとを考え解決していくという方針は、外から入ってくるもののうち、都合のいいところだけ採り入れてつなぎ合わせていくという、おなじく現実的な方針と合体した。たとえ…
2017.8.2
団塊の世代という戦後日本
縦書き
「あと数年で団塊の世代が日本の会社世界の現場を去っていく。いまも企業に根強く残る男社会と、それにつきもののセクハラとが、団塊の世代とともに消えていく」という趣旨の文章を、二〇〇二年の確か後半、新聞の短い記事のなかで僕は読…
2017.8.1
「がんばる」とは、なにだったか
縦書き
「がんばれ」「がんばって」と、いろんな人から自分は言われる。外部から届いて来るこの言葉を、自分という人は受けとめる。受けとめた度合いがある程度以上になると、そうか、自分はがんばるのか、と思い始める。さまざまな人たちから受…
2017.6.30
会社で学んだこと
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 会社に就職するとどうなるのかという僕の好奇心に、わずか三か月ではあったけれど、会社は充分に答えてくれた。会社に入って最初にわかったのは、ただの新卒はほとんど人ではない、ということだった。新卒はまず会社の備品になる。備品…
2017.3.24
なにも言わない人(1)
 戦後の日本人にとって、人生とは会社に勤めることだったようだ。なんらかの会社組織に雇用されてそこに所属し、仕事をして給料をもらい、なおかつ生活のほぼ全領域を会社に依存させること、これが戦後の日本人の人生だった。どこからも…
2016.11.23
社員証と高い付加価値
『スーダラ節』という歌が全国的なヒットになったのは一九六一年のことだ。この歌によれば、サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ、ということだった。文字どおりこの気持ちでいた人たちが多かったと同時に、これでいいのか、このままで…
2016.11.21
日本語が消えていく
 戦後から現在までの六十年近い期間のなかを、日本は五年きざみで激変を繰り返してきた。人も社会も五年ごとに、それまでとは質もかたちもメカニズムも、まるで異なる別のものへと転変していった。焼け跡からの復興、高度成長、バブル、…
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