981編公開中。 今を映す手鏡のように
一九五〇年代 の一覧
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2020.9.11
御八つ、お三時、三時ですよ
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 こうしてスパゲッティ・ナポリタンを初めて体験してからの僕が、なにかと言えば店でナポリタンを食べる子供になったかというと、そんなことはなかった。ナポリタンを作ってくれるよう、母親に頼む子供にもならなかった。なぜなら、この…
2018.4.23
均衡を失う日本を考えるための定点
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〈書評〉パール・バック著、丸田浩監修、小林政子訳『私の見た日本人』  パール・バックの両親は一八八〇年、明治十三年に、アメリカから中国へ渡った。父親は理想に燃える宣教師、そして母親はその新婚の花嫁だった。中国に到着するま…
2017.8.27
『女が階段を上る時』
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一九六〇年の日本でバーが全盛期を迎えた。 会社勤めの男たちがもっとも安心して寛げる場所だった。 『女が階段を上る時』という作品に関して、書きたいことはさほどない。このような映画を僕は苦手としている。つまらないから、という…
2017.8.18
ワシントン・ハイツの追憶
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 一九五〇年代なかばから持っているジャズのLPを必要があって見直していたら、ラルフ・フラナガンのLPジャケットのなかに、一枚の写真が入っているのを見つけた。週刊誌ほどの大きさの白黒のプリントで、ワシントン・ハイツのおよそ…
2017.8.10
スヌーピーはハウンド・ドッグだった
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『これがアメリカだよ、チャーリー・ブラウン』という、全八巻のヴィデオ・シリーズがある。チャーリー・ブラウン、ルーシー、スヌーピー、シュローダーなど、『ピーナッツ』の主人公たちが登場する、アニメーションによるエンタテインメ…
2017.8.2
団塊の世代という戦後日本
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「あと数年で団塊の世代が日本の会社世界の現場を去っていく。いまも企業に根強く残る男社会と、それにつきもののセクハラとが、団塊の世代とともに消えていく」という趣旨の文章を、二〇〇二年の確か後半、新聞の短い記事のなかで僕は読…
2017.2.26
六〇年代
 バード。ブーガルー。ブリストル・ストンプ。フレディ。フラッグ。ファンキー・チキン。ヒッチハイク。ハックルバック。ハリー・ガリー。ジャーク。リンボ。ロコモーション。マッシュド・ポテト。モンキー。ポニー。シンガリン。スロッ…
2017.2.1
岩波写真文庫が切り取ったモノクロームのアメリカ
 昔、といってもそれほど昔ではないのだが、岩波写真文庫という文庫のシリーズがあった。発行していたのは、岩波書店だ。  創刊されたのは一九五〇年くらいではないだろうか。およそ考えうるありとあらゆるテーマをモノクロームの写真…
2016.12.23
「そいつぁ、いかすぜ」
「いかすぜ」という言いかたが登場したのは、一九五〇年代のなかばだったと思う。当時のひとりの映画スターの個人的な口ぐせのような言葉だったが、ものの見事に時代を反映していたがゆえに、十代後半から二十代前半の、戦後生まれとは言…
2016.12.22
死語と遊ぶひととき
 あるひとつの事柄が過去のものとなって身辺から消え去り、その結果としてその事柄に言及されることはめったにない、という状態になったとき、その事柄を言いあらわす言葉は死語となる。廃語とも言われる。時間が単に経過するだけで、多…
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