972編公開中。 今を映す手鏡のように
ペイパーバック の一覧
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2020.7.1
僕はチャーリー・ブラウンなのだから
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 僕が『ピーナッツ』を読み始めたのは、一九五六年ないしは一九五七年のことだった。どちらの年だったにせよ、信じられないことに、その僕は世田谷区で高校生だった。父親の仕事の関係で、自宅にはアメリカの新聞がいつも何種類もあった…
2020.6.25
『ピーナッツ』を語る 一生もののつきあい
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『ピーナッツ』の連載が始まったのは一九五〇年十月二日だったという。アメリカ各地の七つの新聞に、『ピーナッツ』のコミック・ストリップが連載で掲載された。作者のチャールズ・M・シュルツから原画を受け取った配信会社が、全米各地…
2020.4.24
古書店で『映画の友』を買い集める
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『映画の友』という雑誌があることは、子供の頃から知っていた。自分ひとりで書店に入るようになってからだから、子供とは言ってもすでに十歳は越えていただろう。その頃に『映画の友』は刊行されていたかどうか。子供の頃の記憶をいまた…
2020.4.23
ほんの一瞬がポートレートとして後世に残る
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 リチャード・フォードの『ワイルドライフ』は買ってあった。探したらすぐに見つかった。一九九一年にロンドンで刊行された、フラミンゴというペイパーバック・シリーズのうちの一冊だ。ほかにさらに二冊あった。買ったからには読もうと…
2020.3.31
ウェスト・エンドの都市伝説
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 神保町の古書店で僕がアメリカのペイパーバックスを古書で買ったのは、ごくおおざっぱに言って、一九六〇年代の十年間だ。  渋谷から10番、須田町行きの都電に乗ると、やがて神保町に西から入ることは、中学生の頃から知っていた。…
2020.3.10
それをマヨネーズ・ブックと称したい
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 一九七二年の確か七月だったと思う。三十代の前半に入ったばかりの僕は、ホノルルのダウンタウンで定宿に滞在していた。南ベレタニアのそのあたりは、いつもは東京にいる僕にとって、一九五〇年代なかばから知っている、故郷のような場…
2020.2.21
長いつきあいはまだ続く
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「ピーナッツ」のコミック・ストリップを最初に読んだのは、まだ子供だった頃だ。父親の仕事の関係で、アメリカの新聞や雑誌、そして書籍が、雑多に大量に、いつも自宅にあった。そのような新聞で見かけて、ふと読んでみた。ひょっとした…
2018.4.4
春まだ浅く、三冊の本を買った夕方
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 今年の春がまだ浅かった頃、平日の夕方、僕はその大きな書店に三階から入った。奥のエスカレーターでいつものように六階へ上がった。六階の三分の一ほどが洋書売り場だ。洋書売り場の客になると、そのとたん、やや誇張して言うなら、僕…
2018.4.2
故国を探した作家の失望の旅とは
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 ジョン・スタインベックというアメリカの作家は、一九〇二年にカリフォルニア州のサリーナスに生まれた。スタンフォード大学に入った十七歳くらいの頃まで、スタインベックはサリーナスで過ごしたようだ。サリーナスやモンタレーなどを…
2018.3.30
自動車泥棒のビューイック・リヴィエラ
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 写真のなかで左から二番目にある『自動車泥棒』という小説は、シャーウッド・アンダスンの『オハイオ州ワインズバーグ』とともに、僕にとってはもっとも記念的な小説だ。読みながら受けとめたスリルと共感の密度や高さ、そして読み終え…
2018.3.26
ペイパーバックの中のトルーマン・カポーティ
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 トルーマン・カポーティの小説『ティファニーで朝食を』を、いま頃になってようやく僕は読んだ。長編小説だとばかり思っていたのだが、短い小説だ。しかし短編とも呼びがたいのだろう、シグネットというペイパーバックの叢書で一冊にま…
2018.3.19
金色の瞳に映るものはなにか
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 バンタム・ブックスというペイパーバックの叢書で刊行された、カーソン・マッカラーズの『金色の瞳に映るもの』という小説の版違いが、今回の写真のなかに四とおりある。いちばん左にあるのが、バンタム・ブックスでの最初のものとなっ…
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