889編公開中。 今を映す手鏡のように
『白いプラスティックのフォーク──食は自分を作ったか』 の一覧
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2019.12.17
銀の鱗に陽ざしを受けて
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 銀鱗煮干し、というものを七百グラム、いま僕は片手に持っている。ポリエチレンの透明な袋に入っている。銀鱗とは魚の鱗のことだ。そこから意味は広がって、魚ぜんたいをも意味する。いま僕が片手に持っている銀鱗は、片口鰯だ。片口鰯…
2019.12.17
昔から知っているこの三人
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 サン・メイドというブランド名の干し葡萄が僕の子供の頃からある。これはいいおやつだった。カリフォルニアで栽培され、カリフォルニアの太陽の光を存分に吸収した、カリフォルニアの自然食品の干し葡萄だ。小さな箱に入っているのが、…
2019.12.17
友だちの家で食べた
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 友だちの家で初めて食べたものが、僕には多いような気がする。印象が強く残り、したがっていまでもよく覚えているものを三つだけあげると、寒天、芋粥、そしてカレーライスとなる。  寒天は武家屋敷の別邸に住んでいた友だちのところ…
2019.12.17
酸っぱい酸っぱい黄色い水
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 戦後の小学校で僕より学年で一年だけ下だった男性が、小学校で体験した給食について、かつて僕に語ってくれた。彼のそのときの言葉を出来るかぎり思い出し、口調も写しながら、僕が再話してみよう。 「コッペ・パンというものは、給食…
2019.12.17
チャーリーが作ってルーシーが食べる
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 アメリカ各地の新聞に連載されていたチャールズ・シュルツの『ピーナッツ』は、一九五三年のある日、横にならんだ四コマのなかに、チャーリーとルーシーのふたりがいた。コマのなかにあらわれたルーシーは、ブレッド・アンド・バター・…
2017.8.30
水になった氷の悲しみ
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 仕事の用件で編集者に電話をかけた。用件をめぐる話が終わると、 「ちょっと待ってね、替わります」  と彼は言い、数秒後、 「もしもし」  と、編集長が電話に出た。 「八時にはいつもの店にいるから、暇なら来なさい」  と、…
2017.8.24
川があり、橋があり、ホテルもあった
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 僕が十歳だった年、夏の終わりのある日の小さな出来事を、いまでも覚えている。僕宛に葉書が一枚、届いたのだ。現在のよりもひとまわりは小さいサイズの、当時の日本の官製葉書だった。宛名は日本語で書いてあったが、文面は英語だった…
2017.8.21
ご飯のおかずが、ご飯
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「こうしておいしい料理を次々に食べて、ワインの酔いもほどよくまわってくると、頭のずっと奥の片隅に、気がつくとふと立ち上がっているのは、学生時代の記憶なんですよ。そういう年齢にさしかかってるのかなとも思いますけど、学生時代…
2017.8.20
占領とヌードル・スープ
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 小さな空き箱がひとつあれば、それを道具にして子供はさまざまな遊びを工夫することが出来る。空き箱ではなくてもいい。なかになにかが入っている箱なら、外側の箱だけではなく、なかにあるものを使っても、子供は遊ぶ。三方の壁に奥行…
2017.7.31
海から見る自分の居場所
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 瀬戸内の海からその港へ入っていくとき、視界に広がる景色というものを、現在の地図を見ながら僕は思い描いている。最近の地図を見ながらだから、思い描く景色は現実にかなり近いものとなっているはずだ。海に突き出た埋め立て地が、港…
2017.7.23
渡り鳥と寿司について
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 一九六一年には大学の三年生だった僕は、その年の夏を房総半島の館山で過ごした。なぜ館山だったのか、いまとなってはなにひとつわからない。当時の僕は房総半島に関しては完全に無知だったはずだ。学校の友人に教えてもらったのかもし…
2017.7.7
カルピスについて思う
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 少なくとも僕の体験のなかでは、カルピスは女性と深く結びついている。カルピスは僕の幼年期から青年期にかけて、女性の一部分であった、という言いかたをしてもいい。カルピスに性別があるなら、それは女性ではないか。  子供の僕が…
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