884編公開中。 今を映す手鏡のように
『坊やはこうして作家になる』 の一覧
1 2 3 4
2017.9.12
ガールの時代の終わりかけ
縦書き
 僕が新卒の新入社員として、会社というものをかすかに体験した時代は、いつだったのですかという質問に対しては、とりあえず年号を答えればいい。しかし年号は単なる数字だから、その頃を知らない人にとっては、年号などなんの意味も持…
2017.8.31
世界でいちばん怖い国
縦書き
 カーヴした静かな道からかなり高くなったところに、いまの僕の仕事場の建物がある。道の側にあるいくつかの窓から、カーヴしているその道のいくつかの地点を、それぞれ見下ろすことが出来る。ふと窓の前に立ち、なにげなく道を見下ろす…
2017.8.4
会社員が老いていく国
縦書き
 僕に思い出すことの出来る範囲で、キー・ワードをひとつだけつまみ出すなら、それはロマンス・グレーという言葉だ。この言葉は確かに兆候だった。日本は老人の国になる、という認識が確定されていく兆候だ。ロマンス・グレーという言葉…
2017.6.30
会社で学んだこと
縦書き
 会社に就職するとどうなるのかという僕の好奇心に、わずか三か月ではあったけれど、会社は充分に答えてくれた。会社に入って最初にわかったのは、ただの新卒はほとんど人ではない、ということだった。新卒はまず会社の備品になる。備品…
2017.4.21
平成十一年の五つの安心
縦書き
 平成十年に日本で首相を務めている人物が、自らを「ヴォキャ貧」であると評したことは、日本にとって記念すべき出来事だ。戦後の五十数年を体験してきた日本がついに到達した、マイナス領域におけるひとつの頂点だ。  平成の十一年め…
2017.4.18
いつもの自分の、いつもの日本語
縦書き
 かつて日本の首相がアメリカのTV局で時局討論番組に出演したとき、放映されたその番組を僕は見た。このときのこの番組に対する、あるひとつの視点からの感想は、すでに別の本に書いた。今度は別の視点から、さらに少しだけ書いておこ…
2017.4.2
書き順と習字(2)
前回|1|  なにごとも適当でいいとは、ごまかす、さぼる、ずるく立ちまわる、というようなことではない。自分に出来る範囲が自分であるという決意、つまり、そのときの自分自身を、いったんは全面的に肯定することだ。  入学式のあ…
2017.4.1
書き順と習字(1)
 僕が小学校に入る日が近づいてきていた頃について、いまの僕は思い出そうとしている。かなり昔のことだ。充分に遠い。忘れてしまったことが多い。忘れてはいないまでも、記憶は淡い。淡さは不正確さでもあるだろう。  というようなこ…
2017.3.26
察し合いはいかに変形したか
 思いやり、という言葉が日本で死語になる日が来るだろうか、と僕は自問する。思いやりという言葉はとっくに死語になっている、と僕は答える。思いやりとは、なにか。思いをやることだ。自分の思いを、他者にやること。やるとは、おこな…
2017.3.19
なにもしなかった4年間(2)
前回|1|  きっとそうだ、といまの僕は思う。なにのために僕はそんなことをしたのか。自覚はまったくしていなかった。だから、なにのために、というようなことは、考えてもみなかったはずだ。なにのためでもなく、ほとんどいっさいの…
2017.3.18
なにもしなかった4年間(1)
 高等学校の三年生という状態が終わりに近づくにつれて、卒業出来るのかどうかの問題が、僕の前に立ちあらわれてきた。このこととその顛末については、すでに書いた。卒業できるかどうかの問題をかたわらに置くと、つまり卒業は出来ると…
2017.3.12
過去と未来から切り離されて
 自分、という人にとって、いちばん楽なありかたは、どのようなありかただろうか。自分、という人は、この自分自身という意味ではなく、いまの日本に生きている人たちのひとりひとり、というほどの意味だ。  自分という人の基本は、な…
1 2 3 4