アイキャッチ画像

町にまだレコード店があった頃(3)

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

 中古のレコードを骨董市のようなところで買う体験を一度だけしてみたい、と僕はかねてより思っていた。僕はコレクターではないし、掘り出し物との遭遇に情熱を注ぐタイプでもない。だから体験は一度でいい。川越の成田山別院というお寺の境内で開かれる有名な骨董市へ、僕はいってみた。

 日によっては野菜を買うこともできるようだが、僕がいったときは骨董や古道具だけだった。店をひとつひとつ見てまわるのは、たいへん面白いことだった。レコードが売りに出ていた。段ボールの箱に何枚ものシングル盤が、無造作に押しこんであった。たんねんに見ていくと、貴重なものが見つかったりするのではないか。

 ケースに入ったSP盤もあった。状態はめちゃくちゃと言っていいものだった。大正時代のものだと店の人が言っていた小型の蓄音機は、その領域に関心のある人なら、買わずにはいられないのではないか。SP盤を売っている店で「熱海ワルツ」という歌の盤を借りて、その蓄音機で僕は再生してみた。しっかりとしたまとまりを持った偏りのない再生音はなかなかのものだった。駆動力はゼンマイなので、それのほどけていく音が、歌とほぼおなじ音量で重なった。

 10インチのLPを三枚、僕は買った。マヒナスターズ。古賀メロディのギターもの。そしてモアナ・エコーズ。三枚とも、新品かそれ同然のまま、時間だけが経過したような状態だった。この三枚の取り合わせは川越の骨董市にふさわしい、と僕は思った。おなじひとりの人が持っていたものではないのか、とも僕は思った。

 モアナ・エコーズのモアナは、たとえばアラ・モアナのモアナのように、ハワイ語なのだろう。モアナという単独の名の場所は、ハワイにはない。アラ・モアナのほかには、ライエのモアナ・ストリートしか、僕には思い浮かばない。モルモン寺院の正面に向けて、海側からまっすぐ延びていく道路と直角に交差する何本かの道路のうち、寺院から見て最初の道路が、モアナ・ストリートだ。

 モアナ・エコーズの10インチLPは、〈きらめくヒット・コーラス〉というシリーズの第四集で、『お座敷ソング傑作集』となっている。一九六三年のジャケットを、僕はつくづくと見る。メンバーは八人だ。大きな障子をバックに、まんなかでスティール・ギターに向かってすわっている人が、おそらくリーダーだろう。ほかの人たちはみんな立っている。両端にギターの人がいる。昔はピック・ギターとも呼ばれていた。fホールのあるアコースティックだ。ふたりともいまで言うエレアコとして使っていたようだ。電気ベースの人がいる。ドラムのスティックを持った人がいる。残りの三人はなにも持っていない。

「大学数え唄」「デカンショ節」「ブガチャカ節」、さらには「南国土佐を後にして」や「月は無情」などが収録してあるこのLPが、鑑賞の対象であったとは思えない。これは実践のためのお手本だ。一九六〇年代の都市への人口大移動は、無限にも思える労働力を会社群に提供した。都市部に移動した人々は、そこで会社員となって勤労した。会社の部や課が名目を見つけては一杯やるとき、そのための場所は当時はまだ座敷だった。酒がまわれば歌となる。会社の男たちに歌うことができたのは、お座敷ソングだった。それができれば充分だった。

 できるようになっておくための、あるいはすでにできることをもっと洗練させておくためのお手本が、このようなレコードだった。定価は千円だ。当時としては高かったのではないか。サラリーマン定食でよければ、千円あれば三食まかなえたはずだ。いまCDが一枚二千八百円だとすると、おなじ尺度で判断するなら、三十年前のLPとおなじ程度にCDは高い。

『古賀メロディー うるわしのギター・ムード』のLPは、古賀政男と古賀ギター・ロマンティカの演奏だ。古賀政男を筆頭に、レキントの鶴岡雅義など五人が、ギター・ロマンティカだ。十曲入っている。全音の『歌謡曲全集』で古賀メロディはよく見た。どの曲にもはっきりした特徴がある、というのがその頃の僕が持った印象だ。

 大学生の僕は、学校の近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら、『歌謡曲全集』の譜面を読む。そのあとビリヤードで大量に時間を消費し、夕食を食べてそれで学校は終わりだ。友人に会って話をしたくなると、新宿へ戻ってバーをめぐってみる。どこかの店にかならず誰かが来ているからだ。歌舞伎町のまんなかのどのバーにでも、当時は学割という料金があった。学生だとわざわざ言わなくても、きちんと学割の料金しか請求されなかった。馬鹿な大学生だということは誰の目にも明らかであり、馬鹿はなぜだか優遇されていた。そしてそのような馬鹿は卒業してみんなどこかの社員となった。

『歌謡曲全集』で見つけた古賀メロディの特徴的な部分を、店のギターやウクレレでひとつにつなげて弾いていくと、たとえば年上のホステスたちは、曲名をすべて正確に言うことができた。古賀メロディとは、要するに底流なのだ。日本人の心、などと言われることもある。該当する日本人の数は少なくなりつつあるが、CD店へいくと「懐かしのメロディ」のコーナーに、古賀メロディはいまも多い。服部メロディを一とすると、古賀メロディの比率は十五から二十ほどにもなる、と僕は感じている。

 マヒナスターズの10インチLPは、『魅惑のコーラス』というタイトルだった。ジャケットに使ってある写真は、東京の夜のネオンを、うるんだようにぼかして撮ったものだ。ひょっとしたら多重露出だ。いまこういう写真を撮る人はいないと思うが、当時はこれがイメージ的には最先端だった。いくつものネオンのなかに「純喫茶」という文字が読める。マヒナスターズの写真が裏にある。スティール・ギター。リズム・ギター。ウッド・ベース。ウクレレ。そしてなにも持っていない人。彼が歌をリードしたのだろうか。

 A面の一曲めが「有楽町で逢いましょう」だ。そこから「夜霧の第二国道」「羽田発7時50分」と聴いていくと、感銘がある。ジャケットの片隅に一九五八年と印刷してあるのが目にとまると、感銘には驚きが重なる。フランク永井の歌について書いたところで、いま挙げたような歌を僕は一九六〇年代なかばの歌として書いた。一九五八年のマヒナスターズのこのレコードはカヴァーだから、フランク永井が歌ってヒットしたのは、じつはそれよりさらに以前のことになる。いわゆる世のなかの動きは、僕なら僕が感じていたよりもはるかに早くから、しかも明確に、スタートしていた。

 これが一九五八年のことだったのか、と僕はいまあらためて驚く。都市化への激動は、この頃すでに、とっくに始まっていたのだ。そしてそこには、都会生活のテーマ・ソングが、ヒット歌謡の数々として生まれていた。マヒナスターズの演奏と歌は、フランク永井と基本的には同質だが、もう少し情感的な方向に向けて誇張してある。

 わかりやすく刻んでいくリズムにスティール・ギターが乗り、そのセンティメンタルにのびる音に、低音とファルセットによるコーラスが重なる。訴えかける力はハーモニーよりもユニゾンのときのほうが強くなるようだ。聴く人の気持ちは適正にせつなく、思いはほどよく昇華され、この両者のバランスの上に、多くの人が相応の勇気づけを手にしたのではなかったか。

 ごく狭い範囲のなかではあるけれど、日本の歌謡曲や流行歌のなかから、自分の気に入った歌や好きになれる歌を拾い集めていくと、それらはみんな都会的であるという特徴を持っている事実に、僕は気づく。都会的とは、どういうことだろうか。もっとも大切な要素は、開かれている、ということだ。では、開かれていないものとは、なにだろうか。閉ざされた場所とは、どこだろうか。そのような時空間の代表として、酒場というものを挙げておこうかと、僕は思う。

 出来の良くない、しかし定型は守りすぎるほどに守った、いわゆる演歌のひとつひとつが閉鎖空間だ。そしてそのような閉鎖空間は、少なくとも歌詞に則して言うかぎりでは、酒場のなかに発生しているようだ。酒場の一軒一軒が、閉ざされた場所だ。一見したところ都会的な、あるいはことさらに都会的であろうとしている多くの歌が、どれもみなおなじ質で閉鎖している。開かれた都会よりも、日本人はそちらのほうをより好むのではないのか。

 多忙なウイークデーの午後、都心をタクシーで走っていて、ダッシュボードのラジオから歌謡曲を聴くともなく聴くのは、いま体験しうるもっとも純粋な日本体験のひとつだと僕は思う。聞こえてくる歌は、閉ざされている第一音から関係者を抑圧しにかかる。すべてを型にはめずにはおくまいとする力は、個などどうでもいいという価値観を支える力だ。狂信的なカルト集団の修行歌のように、それらの歌は聞こえる。そのような集団の典型は、会社だ。日本の都市部には、会社という閉鎖集団が林立し密集している。

 僕にとって流行歌や歌謡曲は、良く出来たロマンティックな歌が持つ開かれた良さというものを、それ以上でもそれ以下でもなく、それぞれの歌の時代とは離れたところで楽しむための、ささやかなチャンスだ。そしてそのような歌謡曲は、ほとんどが時代的にかなり以前のものだという発見を、僕はしている。かなり以前のもの、つまり懐かしのメロディだ。

『歌謡曲全集』で譜面を読んでいたのは、僕が二十歳から三十歳にかけての時期だ。三十歳頃から僕はおそろしく多忙になり、全集に掲載されている歌がつまらなくなっていくいっぽうであることと重なって、僕は全集を見なくなった。いまCD店へいくと、懐かしのメロディのコーナーがある。CDがたくさん並んでいる。ほとんどの歌を僕はリアル・タイムでは知らないから、どの歌も懐かしくもなんともない。懐かしさという感情から無縁であるだけに、いい歌をより新鮮に発見することができる。

 発見していくいい歌の、「いい」とはいったいなになのか。純度の高いセンティメンタリズム、とでも言えば説明になるだろうか。純度の高いセンティメンタリズムというものを、次には説明しなくてはいけない。具体的な反対給付をいっさい期待せずにおこなわれる、外に向けて開かれた、そして外に向けて発せられる、純粋な感情活動だ。当時の人々のあいだに存在した、同時代的な共感のかたちだ。そしてそのような共感を可能にしていたのは、当時の人々だ。いい歌のなかに、僕はその歌の時代の日本人を見ている。

 その日本人を仮に実像としてとらえるなら、その反対側に結ばれる虚像として、現在の人たちを僕は見ることになるのではないか。きっとそうだろう。昔のものだから懐かしいのではなく、もはやどこにもないからこそ、決定的に懐かしい。すべてが損得ずくであり、ぞっとするほどの現実のなかで具体的に自分の得にならないかぎり、人々は歌も聴かないという現在から見渡すと、かつて存在した純度の高いセンティメンタリズムは、二度と戻ってはこないものという意味で、確かに懐かしい。

 都会の最先端の情緒風俗をいい歌にしていくためには、歌詞と曲とのバランスが大事だ。歌詞と曲とが均衡する尾根の幅は、きわめて狭い。その狭い尾根をたどって頂点に達したのは、男性の歌手で言うなら、フランク永井や石原裕次郎の時代だった。そしてそのような歌を限度いっぱいに誇張することによって、これで完成と言っていいほどに自らを様式的にしたのが、歌謡ムード・コーラスだというのが僕の意見だ。歌謡曲の頂点はここだと言っていい。

 抽象化に成功している、と言いたくなるほどに、それをさらに様式的にしたものが、ヒット歌謡のいわゆる演奏ものの、名演だろう。歌謡曲が到達した頂点は、あるいはこちらかもしれない。この頂点の傑作例を、僕はLPで二枚持っている。そのうちの一枚は、十五年ほど前に買った、「名演 日本のメロディ」と副題のついた、『魅惑のクラリネット 北村英治』というLP作品だ。クラリネットを主役としたジャズのセクステットが、「一杯のコーヒーから」「君恋し」「胸の振り子」「雨に咲く花」「星影の小径」など、名曲ばかり十二曲を演奏している。そしてその演奏は、副題にある名演という言葉を、楽々と超えた出来ばえだ。

 もう一枚は、三十年近く前に買った、『小判鮫』というタイトルのLPだ。タイトルからわかるとおり、これは股旅ものの歌の、演奏もののLPだ。編曲は川上義彦、ピアノは杉原泰蔵、そしてポリドール・オーケストラ、というクレディットがされている。股旅もの、あるいは道中ものというジャンルが、歌謡曲のなかにあることを僕は知っている。『歌謡曲全集』のなかに、そのような歌をしばしば見た。股旅ものはこれ一枚で充分だ、というような判断で僕はこのLPを買ったらしい。傑作が十四曲、名演でこのLPに収まっている。

 股旅ものの歌のなかでは、やくざ者のような男が自ら女性と別れてひとり旅に出ていく、といういきさつをめぐる情緒が、イメージとしての江戸時代を背景に、歌われている。愛する女性に自ら別れを告げ、ひとり去っていくという都会情緒は、石原裕次郎の歌で最高点に到達したものではなかったか。背景はまったく異なる股旅ものの歌でも、おなじ主題が生きている。

 歌謡曲の頂点だと僕が思う歌謡ムード・コーラスは、ナイト・クラブというフィクションのなかにたてこもった。自分の現実にかまけるだけで手いっぱいになったとき、もはや無用のものとして、大衆はなんのためらいもなく、このフィクションを放り出した。頂点をきわめるまでの歴史のすべてを、彼らはそのようにして捨てた。

(『音楽を聴く』第3部「戦後の日本人はいろんなものを捨てた 歌謡曲とともに、純情も捨てた」1998年所収)

町にまだレコード店があった頃

   2月24日|町にまだレコード店があった頃ー1
   2月25日|町にまだレコード店があった頃ー2
   2月26日|町にまだレコード店があった頃ー3



1960年代 1998年 「戦後の日本人はいろんなものを捨てた─歌謡曲とともに、純情も捨てた」 『小判鮫』 『歌謡曲全集』 『音楽を聴く』 『魅惑のクラリネット 北村英治』 マヒナスターズ モアナ・エコーズ レコード 古賀政男 戦後 歌謡曲 音楽
2016年2月26日 05:30
サポータ募集中