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ターザンが教えてくれた

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 子供のころ、ぼくはほんとうによく遊んだ。年上の少年たちといっしょに、一人前にとびまわって遊べるようになったのが、小学校1年生くらいのときだろうか。それから12歳くらいまでの全期間をとおして、ぼくは子供の遊びを徹底して遊んだ。子供のころというと、ぼくは、遊びほうけたことしか思い出さない。12歳をすぎたころからは、もうすこし大人びたというか、十代の少年的な遊びに移っていった。

 ぼくが子供だったころというと、すでにかなり昔のことになる。進学のためのテストとか猛勉強、塾などまったく影もかたちもなかった時代であり、子供に課せられた最大の使命は、子供の世界のなかでとにかくまっ黒になって遊ぶことだった。

 柱時計をばらばらに分解して再び組み立てるというようなことからターザンごっこまで、遊びはずいぶん幅が広かったが、そういった子供の遊びの中心になっていたのは、やはり野外をとびまわる遊びだった。

 遊びのための地形と天候に、まずぼくたち子供は恵まれていた。野山をかけめぐる、という古い言葉があるが、野や山はじつにふんだんにあった。高度成長経済がスタートする以前のことだから、田舎はいたるところ野であり山であった。

 目のすぐまえには、おだやかで美しい海があった。風光明媚、という言葉がまさにぴったりくるような、小さな島のいくつもある、やさしい大河にも見える内海だった。真夏の海水浴シーズンでも人がほとんどいないきれいな海岸がつらなっていて、これだけでも少年の遊び場としては充分すぎるほどに充分だった。

 そして、その海のすぐ裏には、山があった。内海を見おろす中国山脈の裾野だから、山といってもたいしたことはない。丘のもうすこし大きいようなもの、と思えばいい。この手ごろな山々がまた、少年にとっては絶好の遊び場だった。

 海と山とにこうして恵まれ、その中間には、野が広がっていた。気候は温暖で、これも少年たちの味方だった。地形や気候の総体が、遊べ、子供たちよ、遊べ、といつも呼びかけ、けしかけているようだった。当時、このような環境のなかに置かれたら、どんな子供でも、夜明けから日没まで、遊び狂ったにちがいない。

 じつにさまざまな遊びを、ぼくたち子供は、おこなった。野外での子供の遊びとは、すこしむずかしく言うなら、その子供の全存在をかけた、想像力によるたたかいなのだ。どの子供も、あらゆる知恵をしぼり、遊びをみずから見つけだし、創り出し、広げていった。

 いま思い出すとすくみあがったり、正真正銘の冷や汗が出るような危険な遊びも、たくさんあった。一見のどかに見えてもひとつまちがえば大怪我につながりえた遊びは、身の回りにいくらでもあった。

 だが、子供たちは、おおむね無事で、元気だった。そしてぼくも、そのような子供のひとりだった。

 こんなふうにして毎日を遊びで埋めつくしていた幼いぼくに、ひとつの決定的な影響をあたえてくれた素晴らしい人がいた。ターザン、という人だ。

 ターザンは、エドガー・ライス・バローズという作家がつくりだした架空の人物だが、子供のころのぼくはアメリカ映画をとおしてターザンに接したから、ターザンは架空よりもずっと実在のほうに近寄った人物だった。

 ぼくに影響をあたえたターザンは、ジョニー・ワイズミュラというアメリカの俳優が演じていた。記録が手もとにないので正確には書けないが、このワイズミュラは、俳優になる以前はオリンピックの水泳選手であり、当時のたとえば自由形100ヤードとかハーラ・マイルとかに、次次に新記録をつくりだした人だ。いい素質を持った、非常にすぐれた泳ぎ手だった。

 彼の泳ぎっぷりは、彼がターザンを演じているターザン映画のなかでしかぼくは見たことがないけれど、じつはこのジョニー・ワイズミュラの泳ぎが、野外で遊びほうけていたぼくたち子供にとって、きわめて輝かしいお手本だった。

 ただ単に泳ぎのお手本であるだけではなく、ターザンという人のあり方をも含めたうえで、そのぜんたいが、子供たちにとって最大の価値であった。ぼくもまたあんなふうでありたいと、どの子供もせつに願うような、そんな存在が、ターザンだった。

 ターザンは架空の人物だが、それを演じたジョニー・ワイズミュラは実在する生き物だ。スクリーンにうつしだされたイメージとしてターザンをうけとめたぼくではあるけれど、ワイズミュラという素晴らしい存在のおかげで、ぼくにとってのターザンは架空と実在のほぼ中間に今でも位置している。

 ジョニー・ワイズミュラは、ターザンを演じるためにこの世に生をうけたような人だ。きたえられた体のしなやかなたくましさや深い陰影のある泳ぎっぷりはもちろんのこと、彼の体ぜんたいから発散されてくる雰囲気や体の動き方、そして顔つきなど、すべてが最高であった。

 彼の顔を写真でよく見るとわかるが、洗練された野性味の影に、ごくわずかにやさしい弱さがただよってはいないだろうか。何代ものターザン役者のなかで彼が群を抜いてよかったことは、誰もが認めている。

 このワイズミュラ・ターザンが、野外で必死に遊ぶ子供たちのひとりであったぼくを、スイミングへ、水へ、海へと、みちびいてくれたと言っていい。子供のぼくが最初に知って楽しんだスポーツは、スイミングであった。

 スイミングをとおして、ぼくは、原風景を見たような気がする。原風景、といまここでぼくが仮りに呼ぶものがたとえばどのようなものであるかというと、真夏の快晴の日、海のうえにあおむけにうかびつつ見上げた青空の深さや陽の明るさ、そして輝く雲の白さ、唇のうえを流れる潮の香りなどである。こういったことが、いまでもはっきりとぼくの身のまわりで尾を引いている。波乗りへの関心も、原風景とつながっていると思う。

 ターザンは素晴らしい。彼が住んでいる密林もよかったし、その密林のなかにある、それじたい生き物であるような池も、ターザンがそのなかで泳ぐとき、このうえなく官能的だった。

 ワイズミュラも、そして相手役のジェーンを演じたモーリーン・オサリヴァンも、いちおう健在だと聞いている。面影を残しつつすっかり老いたターザンやシェーンもまた、素敵ではないか。

(『ターザンが教えてくれた』1982所収)

今日のリンク:『ターザンの復讐』(Tarzan and His Mate,1934、日本公開1934年)ジェーンとの泳ぎのシーンより

tarzan_swimming

[本サイト編集部による参考図版として掲載]


1982年 『ターザン』 『ターザンが教えてくれた』 アメリカ 人名|ジョニー・ワイズミュラ 俳優 子供 少年時代 映画 瀬戸内 自然
2015年11月17日 05:30
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