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スープはどうなさいますか

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 いまの日本のどこへいっても、そこにはスーパーがある。片仮名書きされたスーパーという言葉はもうとっくに日本語で、スーパーを意味する。スーパーとはなにですか、と尋ねられたなら、それはスーパーです、と答えるほかない。字面とその意味するところが、完全に一致している。珍しい例かと思うが、このような例はほかにもたくさんあるだろう。

 そのスーパーに、キャンベルの缶詰スープが、何種類も、そして驚くほどに安い値段で、しかも品切れなどになることなく、一年三百六十五日、いつでも大量に陳列され販売されている。たまに僕はその光景を見る。すごいことだねえ、と思わずにはいられない。どのひと缶もアメリカ製であり、アメリカから輸入されている。ニュージャージー州のキャムデンにあるキャンベル・スープ・カンパニーが、続々と出荷する缶詰のスープは、日本だけでも途方もない量になるはずだ。

 スーパーの棚に積み上げられてならんでいるキャンベルの缶詰スープの前に足をとめるとき、ほぼかならずと言っていいだろう、僕はアンディ・ウォーホルによるあの絵を思い出す。キャンベルのスープ缶を描いたあの絵だ。あれを最初に見たのは、おそらくアメリカの雑誌でだったろう。感銘は充分にあった。なるほど、これはこうもなり得るのか、と僕は自分の感受性の底辺で思った。日本のスーパーの棚にならぶキャンベルの缶の列を見るときにも、おなじような感銘がある。こうもなり得るのか、とつくづく思うところから発生してくる感銘だ。

 キャンベルが作ったさまざまな缶詰スープが、アメリカから海外に向けて、陸続と、ひっきりなしに続いて絶え間なく、輸送されていた時期があった。いまから六十数年前、太平洋戦争の時期だ。キャンベルの缶詰スープは、アメリカ陸軍のフィールド・レーションの重要な一部分を構成していた。僕の記憶ではフィールド・レーションCで、ユニットはM–1、M–2、M–3だったと思う。赤と白のあのレイベルではなく、くすんだ黄色のような地色に、赤や緑色で内容が側面に印刷してあった。僕がそれらを知ったのは戦後のことだ。ミート・アンド・ビーンズとか、ミート・アンド・ヴェジタブル・ハッシュといった、牛肉と野菜を栄養のバランス良く組み合わせて、調理したものだった。

 一九四三年の『ライフ』のなかに、キャンベルの缶詰スープの広告を僕は探してみた。いくつも見つかった。アメリカがおこなっている戦争をより強力に支え、より効果的に有効に遂行していくための総合的な努力に、キャンベルがいかに深く協力しているかを、アメリカ市民に広く訴える広告が、そのなかに何点かあった。

 さまざまな食品を缶詰にする技術は、この当時すでに、かなりのところまで到達していた。アメリカ陸軍のクオーターマスターは、全米の食品缶詰会社と緊密な協力の態勢を組み上げ、缶詰のための調理技術、そしてそれを缶詰にする技術を、さらに高めた。こうして生産され、海外の戦場へ大量に送り出されて兵士たちを支えた缶詰の、戦争遂行にかかわる功績には、はかり知れないものがあるはずだ。

 アメリカの材料を使い、アメリカふうに調理し、慣れ親しんだアメリカの味や香りを、計算された充分な栄養とともに、ひとつひとつの缶のなかに均一に閉じ込める。輸送するにあたっては扱いやすいから、輸送に関する手間は当時としては極限まで、省くことが出来ただろう。戦う兵士たちが、ヨーロッパや太平洋のどこにいようとも、輸送さえ出来るなら、かならず送り届けることが可能だ。だからいかなる場所へも、アメリカの軍隊は、缶詰の食料を輸送した。その缶詰さえあれば、キチンのあるなしを問わず、いつどこでも、兵士たちはおなじ内容の食事をすることが、たやすく出来た。

「ジープからディナーを生み出す方法」と題した、戦争遂行・戦意高揚の広告を、いま僕は見ている。キャンベルの缶詰スープは、正確にはコンデンスド・スープだ。缶ひとつの量に対して、その缶いっぱいの水を加えて温めると、やや多めの二人前となる。レーションのスープはひと缶が一人前で、そのまま食べることが出来た。ジープのエンジン・ルームの、作動するエンジンにとって邪魔にならない、しかし高熱となる箇所に、缶詰スープのレーションを工夫よろしく固定しておく。

 食事の時間になったら、それらを取り出して缶切りで空ければ、熱い肉野菜スープがそこにある、というわけだ。折りたたむことの出来る長い把手のついたフライパンのような調理食器、そしてはんごうを高さ半分にして側面に持ち手をつけた、液状のものを飲むための器具。これらにナイフとフォーク、そしてスプーンが、兵士たちの基本的なメス・キットだったと思う。

 戦争遂行のために高度なところまで開発された、さまざまな調理食品を缶詰にする技術は、家庭を一般的な拠点として、社会ぜんたいに大きな影響をあたえた。スープの缶詰がひとつあれば、それを中心にして一回の食事を、簡単にしかも最小限の手間で、組み立てることが出来るようになった。必要な栄養はひと缶のなかに充分にある。水を加えて温めればそれでいい。スープという中心が、このようにして「あっ」と言う間に、食卓に生まれる。それを取り囲む、少なくて二種類、多くて四種類の、日本語でいうところのおかずを用意すれば、それが食事だ。

 こうした影響をすべて肯定的な方向でとらえるとするなら、缶詰は主婦を解放した、というようなことにもなるだろう。食事のための材料を考え、それを買いととのえる手間が、大幅に省けるようになった。缶詰を買えばそれでいいのだから。栄養やおいしさもひとつの缶のなかにある。好ましいスープがこんなに簡単に用意出来るなら、食事の準備のために主婦が使う時間が劇的に節約出来る。おいしさと栄養で維持する健康な体とその持続力とを、もっと重要なさまざまな仕事や用事にふり向けることが、社会ぜんたいで可能になる。一九四三年の『ライフ』に掲載されたキャンベルの広告には、こんなことが主張してある。

 スーパーの棚に積み上げられてならんでいるキャンベルの缶詰スープは、アメリカから絶えることなく輸入され、日本の一般市民に安価で販売されている。アメリカの缶詰スープが、いまの日本の一般庶民の生活を、支援している。いまの日本における一般市民の生活は、ひょっとして戦争なのだろうか、という思いが僕の頭の片隅を走り抜ける。その戦争の一端を、いまはアメリカが支えているのだろうか。日本でのもっとも平凡な生きかたとされてきたサラリーマンが、ひと頃は企業戦士と呼ばれた。戦士たちの現状には敗色の彩りが濃い。戦後の日本は人々がぼけるほどに平和だった、と誰もが言うけれど、平和だからこそ遂行することの可能な戦争、という種類の戦争が続いてきて、いまも誰もがその戦中にあるのではないか。

底本:『白いプラスティックのフォーク──食は自分を作ったか』NHK出版 2005年


1943年 2005年 NHK出版 『白いプラスティックのフォーク』 アメリカ アンディ・ウォーホル キャムデン キャンベル コンデンスド・スープ サラリーマン ジープからディナーを生み出す方法 スーパー スープ ニュージャージー州 フィールド・レーション ライフ 太平洋戦争 戦争 日本 白いプラスティックのフォーク 缶詰 軍隊 雑誌 M–1 M–2 M–3
2020年5月16日 07:00
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